中畑「大神宮社のアカガシとスギ(高槻の古木)&警官鳥」 のつづき・・・
樫田地区

高槻市大字中畑・田能が所在する樫田地区は
旧国名では丹波国(たにわのくに)桑田郡に属します。
鎌倉時代初期には、田能庄と呼ばれ
皇室領荘園群の中の七条院(後鳥羽上皇の母)領38個庄の1つであり
12世紀院政期に形成された皇室領荘園群の一角でした。
道標

かつて、この地にあった道標と考えられています。
上写真 左の道標

上「従是」 右「東中畑村」 左「西田能村」
しるべ石に挟まれた4体のお地蔵さま

この地域の人々を見守り続けられているお地蔵さまは
旅人の守護神でもあったようですね。
右の道標

上「従是」 右「中畑村」 左「田能村」 下「次場」
昭和33年から大阪府高槻市になっていますが
江戸時代のほとんどは、丹波亀山藩領で田能村・杉生村・出灰村・二料村・中畑村
に分かれ、明治以降は京都に属していました。
樫田地区

高槻市大字中畑・田能が所在する樫田地区は
旧国名では丹波国(たにわのくに)桑田郡に属します。
鎌倉時代初期には、田能庄と呼ばれ
皇室領荘園群の中の七条院(後鳥羽上皇の母)領38個庄の1つであり
12世紀院政期に形成された皇室領荘園群の一角でした。
道標

かつて、この地にあった道標と考えられています。
上写真 左の道標

上「従是」 右「東中畑村」 左「西田能村」
しるべ石に挟まれた4体のお地蔵さま

この地域の人々を見守り続けられているお地蔵さまは
旅人の守護神でもあったようですね。
右の道標

上「従是」 右「中畑村」 左「田能村」 下「次場」
昭和33年から大阪府高槻市になっていますが
江戸時代のほとんどは、丹波亀山藩領で田能村・杉生村・出灰村・二料村・中畑村
に分かれ、明治以降は京都に属していました。
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