高槻しろあと歴史館 2023年1月
しろあと歴史館で、刀・火縄銃を見てきました。
●刀 銘 河内守国助(二代)
重さ0.71kg 江戸時代(17世紀)
当館蔵 (川口コレクション)
河内守国助は数代続きましたが、初代から三代までが名工と評価されています。二代国助は、初代と三代の間という意味で「中河内(なかかわち)」と俗称されています。
この刀は、整った地鉄に華やかな刃文という大坂新刀の一典型です。刃文には、所々に、二代が得意とした「拳丁子(こぶしちょうじ)」がみえます。乱れの様子が、拳の指の並びににていることからこの名が付きました。
●刀 銘 河内守藤原国助(初代)
重さ0.67㎏ 江戸時代(17世紀)
当館蔵 (川口コレクション)
新刀期(桃山~江戸時代)の大坂は全国有数の刀剣産地で、その刀工や作品を「大坂新刀」と呼びます。その先駆けが、京都の堀川国弘門下の初代和泉守国貞と初代河内守国助です。共に元和(げんな)年間(615~24)に大阪へ移住しました。
この刀は、互(ぐ)の目乱れに、丁子乱れが交じった刃文に、初代国助の特徴が表れています。
●火縄銃 銘 江州国友左兵衛証寿(さひょうえしょうじゅ)
重さ3.51㎏ 口径1.0㎝ 江戸時代
当館蔵 (川口コレクション)
火縄銃は、近江国坂田郡国友村(滋賀県長浜市)と、摂津国堺(大阪府堺市)が二大生産地でした。また、両地出身の鉄砲鍛冶が諸大名に抱えられ、全国各地で活躍しました。
この銃は国友製です。銃床(銃身を支える木製部分)には真鍮の地板に牡丹と獅子を銀象嵌(ぞうがん)し、銃身には「牡丹露」の文字が銀象嵌されていて、装飾的です。
●澤田平(さわだ たいら)氏の講座から 2011年
江戸時代に、佐久間象山 が考えて作られた「地震予知機」
何度か「しろあと歴史館講座」に参加させて頂きましたが
その時の講師「澤田平氏(2011年当時76歳)です。
数年前にテレビで拝見しましたが、今もお若いので驚きました。
日本に初めて機械時計が伝来した時期と、鉄砲が伝来した時期は同じくします。鉄砲と時計の材料は同じものが使われており、鉄砲を作る人が時計を作られていたそうです。
この時代に地震の2時間前に磁力の変化が分かるようになっているので、地震の予知ができるそうです。
しろあと歴史館で、刀・火縄銃を見てきました。
●刀 銘 河内守国助(二代)
重さ0.71kg 江戸時代(17世紀)
当館蔵 (川口コレクション)
河内守国助は数代続きましたが、初代から三代までが名工と評価されています。二代国助は、初代と三代の間という意味で「中河内(なかかわち)」と俗称されています。
この刀は、整った地鉄に華やかな刃文という大坂新刀の一典型です。刃文には、所々に、二代が得意とした「拳丁子(こぶしちょうじ)」がみえます。乱れの様子が、拳の指の並びににていることからこの名が付きました。
●刀 銘 河内守藤原国助(初代)
重さ0.67㎏ 江戸時代(17世紀)
当館蔵 (川口コレクション)
新刀期(桃山~江戸時代)の大坂は全国有数の刀剣産地で、その刀工や作品を「大坂新刀」と呼びます。その先駆けが、京都の堀川国弘門下の初代和泉守国貞と初代河内守国助です。共に元和(げんな)年間(615~24)に大阪へ移住しました。
この刀は、互(ぐ)の目乱れに、丁子乱れが交じった刃文に、初代国助の特徴が表れています。
●火縄銃 銘 江州国友左兵衛証寿(さひょうえしょうじゅ)
重さ3.51㎏ 口径1.0㎝ 江戸時代
当館蔵 (川口コレクション)
火縄銃は、近江国坂田郡国友村(滋賀県長浜市)と、摂津国堺(大阪府堺市)が二大生産地でした。また、両地出身の鉄砲鍛冶が諸大名に抱えられ、全国各地で活躍しました。
この銃は国友製です。銃床(銃身を支える木製部分)には真鍮の地板に牡丹と獅子を銀象嵌(ぞうがん)し、銃身には「牡丹露」の文字が銀象嵌されていて、装飾的です。
●澤田平(さわだ たいら)氏の講座から 2011年
江戸時代に、佐久間象山 が考えて作られた「地震予知機」
何度か「しろあと歴史館講座」に参加させて頂きましたが
その時の講師「澤田平氏(2011年当時76歳)です。
数年前にテレビで拝見しましたが、今もお若いので驚きました。
日本に初めて機械時計が伝来した時期と、鉄砲が伝来した時期は同じくします。鉄砲と時計の材料は同じものが使われており、鉄砲を作る人が時計を作られていたそうです。
この時代に地震の2時間前に磁力の変化が分かるようになっているので、地震の予知ができるそうです。
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