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kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

旧奈良監獄⑤「隔離病舎」と、江戸時代の牢舎「ギス監(通称)」

2020年12月09日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
旧奈良監獄④「イギリス積みのレンガの塀と、受刑者が焼いたレンガ」のつづき・・・


庭の右端にある入口を入っていきます。


通路が直進と右にあります。


荒れていますが、中庭のような空間があります。


通路の左側を見ると


建物の中を覗いている人が見えます。


そこは「隔離病舎」でした。


隔離病舎は、精神症患者が大声をだしたり
暴れた場合などに、隔離するのに使用していました。

中を覗くと、ドアと高いところに窓があって
蔵のような感じです。


隔離病舎の左に見える二つの建物は


今から約400年前の1613年(江戸前期・慶長18年)
現在の奈良女子大学の敷地内に奈良奉行(南都町奉行)所が
設立された時の、牢舎の一部でした。


座敷牢は、1.5畳ほどのキリギリスを入れておく虫カゴに
似ていることから、通称「ギス監」と呼ばれました。


江戸末期の1858年(安政5年)に
日本とアメリカ合衆国の間で日米修好通商条約が締結されますが
町奉行所は、囚人には制度も建築も非常に劣悪なものでした。


法治的な近代国家であることをアメリカを中心とした諸外国へ示すために、明治政府は司法の整備と合わせ、負の部分をあえて優先的に先進化することで、自国の近代化をアピールしようと考えました。

そういった経緯ではじまった一大プロジェクトが
監獄の近代化 「明治五大監獄」の建造だったそうです。


※ 現在は、司法記念物に指定されています。


これは「ギス監」の前にある「隔離病舎」の裏側です。

隔離される時に使われたと思われる、裏口のドアや窓も重厚です。
このドアから入っていった人がいると思うと、息苦しくなりますが
近年は、人権的な配慮から使用されていないそうです。
コメント
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