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奈良・人柱(殉死)を埴輪に変えて埋葬された「垂仁天皇皇后陵」

2019年10月26日 | Weblog

日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)生年不詳
第11代 垂仁天皇皇后であり、景行天皇のほか2皇子・2皇女を産む。

父は丹波道主王
母は丹波之河上之麻須郎女。


垂仁天皇皇后陵は「佐紀盾列古墳群」の中心的位置にあり


西には「孝謙天皇陵」、そして孫の「第十三代 成務天皇陵」があります。


全長207メートルの前方後円墳。

後円部は直径131メートル、高さ21.3メートル
前方部は幅87メートル、高さ12.3 メートル。


周濠があり、葺石や円筒埴輪列が巡っているそうですが
円筒埴輪列などは見えませんでした。


垂仁天皇皇后が「垂仁天皇陵」に埋葬されるときに、「野見宿祢」の進言によりその埋葬の古墳に人柱(殉死)として生きた人間を生き埋めにする慣習を取りやめ、埴輪などを埋葬するように制度を変更したという伝説が残されています。

※ 野見宿禰(のみのすくね)
垂仁天皇の頃の廷臣。出雲の人。天皇の命により、当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとって投げ殺し、以後朝廷に仕えた人で、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたといわれています。
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