こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

鎌倉防災ハザードマップ

2015年09月15日 | 鎌倉暮らし

このところの災害続きもあり、鎌倉市の防災マップを読んでおいてと妻から渡された。

自分の住んでいるところ、避難場所などをみる。

鎌倉というところ、逃げ場所が少ない。鎌倉に限らず、うっかりすると低い土地があったりして逃げ損なうこともある。

散歩しながら、今大地震があったらどうしようと常に考えながら歩いている。

海まで出ている時だったら、どうしようとか。鎌倉警察はやっぱり危なくみえるとか。

だが、山もがけ崩れもあるので、気をつけないといけない。

自分のことは、自分でだが、情報も大事、防災放送もよく聞くようにする。

とにかく逃げる 
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頑張り過ぎないように生きる

2015年09月14日 | 日々思うこと、考えること

月曜の夜はNHKテレビ”プロフェッショナル”の放送がある。今夜のプロフェッショナルがどう、という訳ではないが、この番組への登場人物はえてしてスーパーマンだ。すごい労働量があってこそなる仕事がほとんどのように思える。私からみるとよく燃え尽きないものだ、と思える人ばかりだ。みんな頑張っている。

こんきもの人気記事の一つに「頑張れる人、頑張れない人・・・頑張り力」というのがある。4年前の記事。

「燃え尽きたい」という言葉で締めくくってあるその記事。完全燃焼を目指して生きることを良しとしていた。

今年に入ってから、いろいろと人生をよく考えるようになり、果たしてそういう生き方が危ういものであることを実感するようになった。

この記事を冷ややかな思いで読んでいる人も多いだろうと思う。

頑張ることがいいのか悪いのか、そのこと自体はわからない。頑張ることが悪いとはいえないだろうが、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。ましてや燃え尽きてはしかたあるまい。

そして、勝ち組とか負け組とか。人のことはどうでもいいし、人からの評価もどうでもいい。

生きていくうえで、頑張りすぎるのはどうかと自分自身で思うだけだ。

 少しのんびりして考えてみたい。

スローライフ 
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犬が考えていることを考えてみると

2015年09月13日 | 犬との暮らし

犬は普段なにを考えているのだろうか。

エサもしくはオヤツのことか、散歩のことか、飼い主と遊ぶことか。どれも真剣に考えているのだろうが、人間とは違うパターンだろう。

うちのフラットコーテッドレトリバーのナイトはなにを考えているだろう。大部分はエサのことを考えていると思うのだが、散歩のことも負けず劣らず真剣に考えている。

エサを待っている間、こんな風に伏せをしている。鉛筆の芯のようだ。小さな頃は左右にずれていたが、昨年あたりから上手にまっすぐに伏せができるようになった。エサをマテの間だが、ナイトは何のために待っているのかわかっているのだろうか。そして、飼い主たる私はなにを待たせているのか。

オスワリはいろいろな場面でさせる。

オヤツの時もあるし、散歩に出かける前もさせる。私を見つめる目は真剣そのものだ。とすると、何につけても真剣ということになる。

人間などと違って犬はまじめ、大まじめだ。

少し、放っておくと、犬はすぐ横になる。少しといっても、ずいぶんしつこくちょっかいを出されたあとだが、飽きるとこの体勢になる。

よほど気持ちがいいのだろうと、まねをしてみるが、まあまあといったところ。犬とは骨盤の形が違うので、仕方ないのだろう。

それにしても、犬はいつも一体なにを考えているのだろう。

ちなみにコロが、娘のことと、散歩に行かないで済ませることの二つを考えているのはわかる。

好きで寝てばかりいるのではない 
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地震と病理学会 in 山梨

2015年09月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

今朝、鎌倉震度2の大地震で目が覚めた。神奈川県東部が震度4と報じられているのはともかく、震度2で防災放送を流すか?というか、そもそも寝起だったこときを差し引いても、あれで震度2はあるまいと、鎌倉市の震度計の置き場がおかしいのではないかといういつもながらの疑問をもった。津波の心配はないということをラジオで確認し、東京に住む両親と弟の安否も確認したらホッとした。

ナイトが心細そうにみえたので、散歩がてら外に出た。歩きながら、やっぱり震度3はあったのではないかと思う。鎌倉の震度はいつも低いと思う。

今日は山梨甲府で病理学会の勉強会(支部会)がある。早起きしたこともあって、そのまま出かけた。久しぶりに、プレゼンのない、自分のための勉強会だ。鎌倉を出て、神奈川県を北上して、あずさ号で甲府についた。

大学時代の友人で数年前にFacebookで再会した友人のいる地、盆地だから暑いのか、今日、天候が回復して暑いのかわからなかった。

イベントが開催されていて、駅前は賑わっていた。少し早めに着いて、駅のあたりでほうとうでもで腹ごしらえしておきたかったのだが、中央線が遅れてその時間はなかった。

結局、空きっ腹のまま会場に着いた。

発表はどれも興味深いものばかりで楽しかった。あっという間に会は終わって、その後主催の先生の心尽くしで会のあとご当地産のワインをいただいた。たいそう美味しかった。ほかの先生たちと話しているうち、少々、調子に乗りすぎて、帰りの列車に乗り遅れそうになったのだが、来るときと同じく、やっぱり中央線は遅れていて間に合った。

空きっ腹で飲んだのを忘れたまま走ったものだから、中央線に乗っても、心臓がバクバクしていて困った。

遅れていてくれたおかげで、お土産を買い込む時間は残っていた。

師匠の話も聞けたことだし 
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安全保障と災害救助

2015年09月11日 | 日々思うこと、考えること

久しぶりにみる青空、窓を開け昨日までと違う、少し乾燥した空気を感じる。身支度をして、朝食を採りながらテレビのニュースを見る。ここまではいつも通りの朝だけど、今朝は新聞記事もテレビニュースも今回の記録的な豪雨の被害を報じている。北関東に甚大な被害がでてしまったのみならず、残念ながら今日になって宮城県でも堤防が決壊して、被害は拡大してしまったようだ

テレビでは洪水のなか、家に取り残された人が救助される様子が映し出されていた。風雨の強い中、自衛隊のヘリコプターが決死の救出作業を行っていた。無事救出された人はみな喜びを口にしていた。

軍隊というのは、戦うだけでなく、戦いながら生活をしたり、兵站を延ばしたりと、武力以外の機能も備えている。それらの機能は災害救助に大いに役立つものである。だから、日本の自衛隊も災害救助には大変な力を発揮して、これまでにも多くの国民の命を救ってきた。今回の被災地の復興にも大変な力を発揮してくれるだろう。

一方、自衛隊の軍事力、これはどう有効に利用すればいいのだろう。国土防衛のために、武力を行使することはやむを得ない。なぜなら、相手は話の通じる人ばかりとは限らないからだ。

ただ、今回の国会で成立を目指している、集団的自衛権の行使など、直接日本の国土に攻め込まれたときとは違う状況での武力行使が問題となっているが、これはどうしたらいいのだろう。先の総選挙で、選挙権を行使した国民の一人としては選挙結果に従うしかないと思うのだが、改めて考えると、難しい問題だと感じる。

安全保障上の問題に答えはないが、テレビで見た人命救助に活躍したヘリコプターが、紛争に巻き込まれ、人を攻撃することに従事してほしくはないと思うのだ。

誰かが決断するしかない
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やっとやんだ

2015年09月10日 | 日々思うこと、考えること

今回の豪雨、北関東では鬼怒川の堤防が決壊して大変な被害が出てしまったようだ。被災された方々は、お気の毒なことで、お見舞い申し上げる。

それにしてもよく降った。台風18号が通り過ぎたあとに、台風17号の台風一過の運んでくる乾いた空気で楽になるだろうと思っていたら、どうやら違っていたたようで、台風18号の運んできた南からの湿った空気が、台風17号の北風で抑え込まれて、関東地方が縦長の雲に覆われてしまったようだ。どうせ、汚れるのならと昨日と同じズボンをはいて出たら、ずいぶんな汗ジミがあったことに病院に着いてから気がついた。しまったと思ったが、結局帰りも雨はやんでいなかったので、そのままで帰ることにした。

帰りも雨がぱらぱら降っていたが、鎌倉に着いたら星空。

明日は久しぶりに青空が拝めそうだ。

備えよ常に
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歩き出したら、いきなり土砂降り

2015年09月09日 | 通勤・交通・旅行

17号と18号、二つの台風が日本に迫り、一つは昼に上陸した。台風は折からの秋雨前線を刺激して、昨日から大雨が続いていて、明日まで続くらしい。裏山の倒木、崖崩れが気になるが、今度も杞憂に終わってほしい。

コロ健、気圧が低くなると頭が痛くなり、節々もギシギシする。肩こりはひどくなり、痛みすら覚える。カバンにあれこれ詰め込み過ぎというのも良くないのだろうが、仕方ない。こういう荒れた日は、窓の外は見ないで、静かに顕微鏡に向かい、淡々と仕事を進めたい。先週までの尋常でない忙しさは私にとっては限界に近かった。疲れは少々だったのかも知れないが、この大雨で疲れはずいぶん増幅したと思う。

天気は結局、朝から晩まで大雨が降ったり、やんだり、雷が鳴ったりの大荒れの一日となった。さらに夕方には180度の大きな虹までかかったりと、なんだか凄まじい勢いで天気が変わった。ちなみにこの虹、鎌倉でも見えたそうだ。

さて、仕事を終え、帰るところで駅まで歩くか、さすがにバスかタクシーかと迷ったのだが、帰りがけに虫の声がかすかに聞こえてくるのを頼りに、いつも通り裏門目指して医局を出た。裏口を出たときには、すでに結構な雨足だったのだが、今さら表に戻るのもなんだか面倒だし、バスも混んでいそうで気が進まない。結局、そのまま歩いて駅まで帰ることにした。

裏門を出たところで、空車のタクシーが通りかかったのだが、ちょっとだけ雨足が弱まったのを、雨のやむ兆しと思い込み、やり過ごしたのが運の尽きだった。台風の雲がそんなに甘く去ってくれる訳が無かった。

帰りに病院の横にある公園を通り抜けるのだが、一歩足を踏み入れた途端に土砂降りとなった。水たまりにはまらないように気をつけて歩くのだが、公園の遊歩道はでこぼこしていて水たまりだらけ、結局通り抜ける頃には靴の中までぐっしょりとなった。公園を出たら、雨足はいっそう強まってきた。大きめの傘で来たのがせめてもの救いだった。

鎌倉の虹

道路は所々で冠水していて、そんなところでは足をつくところもない有様。膝上まで濡れるのにさほどかからず、だんだんとしょんぼりしてくる。しまいには雨漏りまでしてきて、さんざんなことになってしまった。駅についたらびしょぬれだったが、台風の雨、この程度で済んでよかったと思う。帰りの電車も少しの遅れがあったものの、動いていてくれ助かった。

鎌倉は小雨。なんとか家にたどり着いた。

ヘトヘト 
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いい人かわるい人か

2015年09月08日 | 日々思うこと、考えること

人間を二つに分けるとして、いい人か、わるい人かというのがある。

善人か悪人かということかもしれないし、優秀かそうでないかということかもしれない。だが、それは“誰からみても”ということではない。

自分がある人のことを評して、「あの人、いい人だよ」といったところで、所詮は自分と、せいぜい少数の身の回りの人による評価でしかない。それも見方によっては逆のことになってしまうこともしばしばある。

「あの人は、いい人だ」とこっちは勝手に思っていても、あちらはこちらのことを悪く思っていることもある。「私はあなたのこんなところが嫌いです」などと面と向かって言われたら、はたして「あの人、いい人だよ」と誰かに言っていられるだろうか。どんなに嫌われても、いい人はいい人と思っていたら、それはそうだろうが、ずっとそのような気持ちを持ち続けるのは難しいに違いない。

そう考えると、人をそんなふうに分類しても意味がないということになる。

自分はいい人、わるい人のどちらに思われたいか、というとき、多くの人はいい人と思われたいだろう。だが、いい人とわるい人は表裏一体。いい人という存在そのものが嫌いで、その人のことを悪く思う人もいる。

いい人とか、わるい人とか、そのようなこと、分類すること自体に意味がない。ひと目など気にせず、ありのままの自分でいるしかない。そしてその自分を自分でわるい人に仕立て上げることだけは止めておいたほうが良いだろう。

いい人もわるい人
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鎌倉と京都

2015年09月07日 | 鎌倉暮らし

先週末、私にもお話をさせていただく機会をいただいたサマーセミナーは京都で開催された。京都を歩いて驚いたのは観光客の数。前回訪れたのは病理学会の時なので、もうかれこれ6年ぶりになるのだが、そのときに比べると外国人がとても多く、夜遅くの先斗町でもたくさんの人とすれ違った。下手をすれば日本人の観光客よりも数が多かったのではないかと思えた。

今回会をお世話してくださった地元の先生も、「もう、ここはどこの国なのか、と思うことがよくあります。」とおっしゃっていたが、たしかにそうだった。

鎌倉も、ずいぶん外国人の観光客が増えたと思っていたが、まったくその比ではなかった。さすがに世界遺産だけのことはある。

鎌倉は、東京に近いので少し足を伸ばしてやって来る人がいるが、京都は京都を目指して世界中の人がやってくる。今回はなぜか鎌倉人として京都を訪れるという意識があったので、違いはどれほどあるかと比べたかったが、その思いはまったく意味のないものだった。まったく京都は立派な古都だった。

それぞれの寺社のスケールが違うのはあきらめるとしても、とにかく京都は道路が広く、ちゃんと整備されている。鎌倉は駅前のロータリーはぼこぼこだし、道路は狭くて、交通事故があまり起こらないことのほうが不思議なぐらいだ。税金は一体なにに使われているのだろうといつも思う。

このままでは、はるばる外国から来てくださった方に申し訳ない。

それにしても、鎌倉というのは狭くて小さい。三方を山に囲まれた内側には幕府とそこに使える武士および関係者しかおらず、完全な軍事行政都市だったといえる。そんなところでは、京都のような伝統文化が育つことは無かったのだろうか。ある意味、武家の都市というのは間違っていないが、文化的にはそれほど興味深いものはない。

それでも、多くの寺社が残っていることは幸いだ。そして何より鎌倉には海がある。それはそれで、鎌倉も楽しい時間を過ごすことのできる街ということができる。

少々疲れた
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あの人の考え方、私の考え方

2015年09月06日 | 生き方について考える

学会だの研究会だので集まると、身の振り方についていろいろと同業者同士で話すことがある。この年(50前後)にもなると病理医としての人生をどう仕上げるかを考えるようになる。

昨晩も、そんなことを年の近い人たちと話した。

いろんな人がいろんな人生を描いていて、ある人は教授になることを夢見、ある人はまた別のことを考えている。それぞれの人の目標はみな違う。

不肖コロ健、それなりに自分の人生のことについて考えていることがあるものの、こうしたほうがいいああしたほうがいい、などと言ってくださる人がいたり、私のやりたいことを邪魔する人がいたりと、なかなか思うにまかせない。

いろいろあっても、自分の人生、結局はあれこれ口を挟む人に関係ない。

それに、他の人の人生をうらやましくも思わない。

などといっていると、これまた邪魔をしにくる人がいたりして、人生なかなかうまくいかないものだ。

だが、いちいちそんなことに気を病んでいては、自分の時間の無駄となる。とりあえずは、あの人の考え方はあの人の考え方で、私の考え方ではない。ということで、人のことは気にせず生きていくのが一番だろう。

人は人、私は私 
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ひと段落

2015年09月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

久しぶりの講演。

けっこう大きな会場で30分たっぷりお話をさせていただいた。聴衆は500人足らず。その方達みなさまの貴重なお時間をちょうだいするというつもりでお話ししたのはいうまでもない。

スライド送りがうまくいかなかった(マウスのクリックに対する反応が遅かった。キーボードの→ぼたんに切り替えた時は後の祭り)のが、少々心残りだが、われながらまあまあの出来。準備段階でスライド作りを頑張っていたことを加点として、70点ぐらいはあげていいのではないかと思う。

今日話したテーマについては、今回で一段落と思い、私の思いの丈をお話ししたのだが、聞いてくださった先生方の感想はどうだったろうか。

人生に対してはいろいろな考え方があるだろうけど、コロ健、今日もそれなりに楽しく過ごすことができた。

人を陥れるようなことを考えている人生より、能天気かもしれないが、こうやって日々人のお役に立つことだけを考えて生きているほうが結局は楽しい。

今回のイベント、私は今日でお役御免。明日はせいぜい勉強したいと考えている。

今日お世話いただいた先生には心から感謝申し上げます。

みなさん大変熱心でした。 
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3,000日、というとずいぶん経ったようだけど

2015年09月04日 | 日々思うこと、考えること

ブログの編集画面に「ブログの開設から」というカウンターがあり、今日でそれが3,000日となった。この間書いた記事は2,300あまり。ボツ記事をいれたら、結構な数を書いてきたことになる。これまで、幾度となくやめようと思うことがあったがその都度読者の方に励まされ、ここまでやってくることができた。感謝いたします。

初日(2007年9月9日)の記事(人にはやさしく、そして自分を幸せに)を久しぶりに読んだら、その時の様子や気持ちがありありと目に浮かんできて、しみじみとした気持ちになった。娘に意地悪なことを言ってしまい、そんな自分が少しでも優しい人間になることができたらいいと思って始めたブログだったが、まだまだ私が望む自分にはなっていない。こうありたいという気持ちはずっと持ち続けているのだけど、なかなかそれは難しい。

 

つい先日も夕食のとき、娘が学校でのことを話していた途中、言い回しを間違えることがあったのだが、コロ健その言葉尻を捉え、揚げ足取りをしてしまった。娘は悲しそうな顔をして、それきり黙ってしまい、話は終わってしまった。一緒に食事をしていた妻と息子からも冷たい視線を浴びせられ、私はいたたまれない気持ちになった。「またやってしまった」、そう思った時はあとの祭、せっかくの楽しい夕餉のひとときを私の思いやりの無い一言で台無しにしてしまった。



家族だからといって、私が死ぬまで一緒にいてくれるわけではない。ましてや子供は神さまからの預かりもの、遅かれ早かれ私達の元から去っていく。その前の一緒にいることのできるほんの少しの間だけは無用な意地悪などしたくはないのに、ついやってしまう。家族に対してさえそうなのならば、家族以外の人に対してはいったいどう接しているのだろうかと考えると不安になる。そしてそのようなことはすべて私に返ってくる。

今ある家族関係も、職場、社会での立ち位置もすべては私が生きてきたことの結果だ。

今ある結果は、これ以上でも、これ以下でもない。今日もこうしてこんきも(ブログ)を書いていられることを幸せに思いこそすれ、こうして3,000日経ったのに全く進歩がないからといって、自分を否定的にとらえるつもりはない。自分自身の人生を理解し、受け入れながら前に進んでいくことで人生を切り開いてゆきたい。

それにしても、初心忘るるべからずとはよく言ったものだ。

 

これからもよろしくおねがいします
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サルスベリと桜

2015年09月03日 | 日々思うこと、考えること

久しぶりに蒸し暑さが戻ってきた。少々気持ち悪いが、ひと頃の暑さはなくもう秋だとしみじみ思う。夏休みを後まわしにして頑張って来たもののそろそろ限界の身にはありがたいことだ。今朝の朝焼けは綺麗だったが、そのぶん天気は崩れそうとのこと。

1週間ほど前から、サルスベリの花殻が落ちているのが目立ってきた。サルスベリも夏中次々と咲き続けてきたものの、夏の終わりとともに花も終わりのようだ。今年の夏もサルスベリの咲く道を何とか歩きとおしたが、来年の今頃はどうしているだろうか。

サルスベリはほぼひと月咲き続ける。わずか1週間で散ってしまう桜とはずいぶんな違いだ。サルスベリが細く長くなら、桜は太く短くといったところ。花期が太く短い桜のほうが印象が強いが、サルスベリのような咲き方も悪くない。

多くの家で、サルスベリを植えている。赤以外にも、紫、青、白と花の色もたくさんあって、それを見比べるのも楽しい。

夜は雨 
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いよいよ佳境へ・・・2015年8月の読書記録

2015年09月02日 | 読書、映画、音楽、美術

源氏物語は若菜の巻からが面白いらしい。やっと半分を読み終え、いよいよこれからということ。

講演だの研究会だのの準備があり、さすがにいっぱいいっぱいで読む暇がなかったが、今週末の講演を乗り切ったら、少し余裕ができるのでいよいよ再開だ。

鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りにて

2015年8月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1419ページ
ナイス数:68ナイス

一夜漬け文章教室 (PHP新書)一夜漬け文章教室 (PHP新書)感想
文章の書き方の本を何冊か読んでみたのだが、少々食傷気味となってきた。その理由は、いくつかの本が著者の独断に陥っているから。この本もそのタイプ。新聞記者であった頃の思い出と自慢。たしかにご本人の文章は上手なのだけど、内容は大学で集めただけのネタ(学生のエッセイ、小論文)の列挙に過ぎない。言いたい放題の威勢のいい文体なのだけど、ちょっと残念。
読了日:8月31日 著者:宮部修

 


エピジェネティクス——新しい生命像をえがく (岩波新書)エピジェネティクス——新しい生命像をえがく (岩波新書)感想
講演会の司会をするので、復習というか予習を兼ねて読んだ。この領域の広汎な内容をわかりやすく説明しているが、分子生物学の基礎がわかっていないと、相当難しいのではないか。メンデル遺伝学が体に染み込んでいる身(おじさん)としては、エピジェネティクスの受精後の“リセット”という考え方がなかなか理解できなかった、というか、これだけではなく未だ理解不足のところが多い。ポストゲノム時代と言われてずいぶん経つが、生命現象のすべてはまだまだわからないことだらけ。もちろんその講演会、演者の先生の講義は素晴らしいものでした。
読了日:8月28日 著者:仲野徹


謹訳 源氏物語 五謹訳 源氏物語 五感想
源氏も(もと)頭中将もいいおじさんとなってきた。葵の上、夕顔、六条御息所、紫の上、明石の君。様々な女君たちと織りなした若き日々が集束して来た。一、二巻あたりで感じていた軽薄感が徐々に変容して来ているのがわかる。源氏の女好きなど、今の世でもまあ、ちょっと、という程度。それより、ここまでの話の伏線が既にあの夜の話にあったとは驚く。壮大な平安王朝物語もここがまだ折り返しとは。だが、半分を読み終え、この先を読むのがもったいなくなってきた。この先は、ちょっと休んでから、もっと丁寧に”しみじみと”読み進めていきたい。
読了日:8月22日 著者:林望


謹訳 源氏物語 四謹訳 源氏物語 四感想
地位も名声も得た源氏、栄華が増せば増すほど失うものもある。六条院をなし、多くの女君を住まわせるようになったものの思い通りにならないことばかり。梅壺中宮に玉鬘。当世風の言い方をすれば、かつては嫉妬で左遷された源氏、返り咲いてトップにたったはいいが、気がつけば年も地位もすでにいいおっさん。何をしてもハラスメントで、にっちもさっちもいかなくなっている。若気の至りで赦されていた女漁りももうできなくなるのか。源氏36歳、人生のプラトーをどう乗り切っていくのか、この先ますます楽しみになってきた。
読了日:8月15日 著者:林望


うまくいっている人の考え方 完全版 (ディスカヴァー携書)うまくいっている人の考え方 完全版 (ディスカヴァー携書)感想
自分のことを一番よく知っているのは自分◇他人は自分のことをどれほど知っているだろうか◇他人と一緒になって自分を責めない◇完璧な人はいない。だから、自分が完璧でなくても自分を責める必要などない◇人間誰でも失敗をする。だから、自分だって失敗することはある◇仕事は努力する◇自分の決断に責任を持ち、人生を受け入れる◇自尊心を高め、人生を心豊かに生きる◇自分の考え方は修正できる。
読了日:8月11日 著者:ジェリー・ミンチントン

読書メーター

 

あまり先延ばしにするのも
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だから歴史は繰り返す

2015年09月01日 | 日々思うこと、考えること

生命科学の著しい進歩は人の寿命を著しく伸ばしたが、心身ともに元気で現役でいることができるのはいくら延びても100歳ぐらいまでではなかろうか。今のところ80歳前後でしっかりとした仕事をしている方も多く、そのこと自体はいいことだと思う。とはいえたかだか100年、人間の歴史からみても、ごく一瞬に過ぎない。

人間というのは自分勝手で、いくら世のため人のために生きていこうと自ら思い定めたところで、最終的には自分の国、親族、家族そして自分自身のために生きることを選ばざるを得ない事態に陥る。

だから、いくら人類の歴史の愚を見知っていても、最後には独断に陥ってより良い判断ができなくなり、どこかで聞いたようなことが出来するのだ。

その愚を繰り返さぬように、多くの防御システム、民主主義、憲法そして選挙などを構築しているが、やりようによってそれらは容易に改変されたり、放棄される。人間、権力を手にすれば勝手なことがしたくなるし、権利の有り難さを忘れるとその大切さを後で思い知る。

いくら生きる時間が延びてもそれがせいぜい100年では、そういうことは理解できないし、仮にわかったとしても、残りの時間はほんの少ししかない。短い人生、やりたい放題してやろうと思う人もいるだろう。

歴史は繰り返す、というのは、人の寿命は短すぎていつまでたっても進化することはできないと言い換えてもいいように思う。

歴史を忘れぬ努力をしても
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