2度目のウィーンはできるだけ前回行けなかったところを中心に訪れようと思った。で、街の中心にあったシュテファン大聖堂とか王宮も今回は真面目に!行ってみた。ハプスブルク家というとマリア・テレジアよりも皇妃エリザベート、シシィである。結果的にはシシィだらけの王宮やその他関連施設のオーディオガイドなどでずいぶんシシィに詳しくなったし、結構おもしろかった。絶世の美女、私生活は謎めいていて、最後は暗殺される。これほど、素人が歴史に興味をもつ題材に事欠かない人はいない。
ウィーンはシシィのおかげで現在観光客を呼び込めているし、フランスもマリー・アントワネットで観光人気が続いている。結局観光はハプスブルク頼りかと簡単には言えない。というのは、アントワネットもハプスブルク家として生きた時より嫁いだ後の方がずっと長いし、シシィもむしろハプスブルク家に背を向ける生き方をしていたように見えるからだ。それはさておき、ウィーンはやはり美術館の充実という点ではシシィばかりではない。
アルベルティーナ美術館はもともとあったアルベルティーナ宮殿内に、デューラーらの素描画の膨大なコレクションに加えて、クンストフォーラムが有していた近現代絵画のコレクションをドッキングさせて改めて大規模美術館として誕生したようだ(ただ、以前訪れた時(2003年)あったクンストフォーラムがなくなっていて、その当時はなかったアルベルティーナ美術館が今回あったことから思い込んだだけかもしれない。未確認。)。思いのほかの広さに時間が足りなくなってしまったが、前述の素描画はもちろん、近代絵画の名品も多く、すばらしいコレクション。いったいどこまであるのだろうという広さ。さらに企画展をいくつかしていて、これがまたグッド。筆者が訪れた時は、いずれも知らない作家、画家、写真家など3人を取り上げていたが、現代美術ゆえ?ドイツ語が分からなくても十分楽しめる展示となっていた。知っていたらもっと時間をとっていたであろうアルベルティーナは美術好きには隠れた名所である。
クリムトがウィーン画壇の保守的傾向を嫌って結成された「(ウィーン)分離派」の初代名誉会長に就いたのが1897年。その年から建設のはじまったのがセゼッション(分離派)館。キャベツのような頭頂部は有名で、一度訪れてみたいとおもっていたところだ。しかし、その異様な出で立ちを表すほどには常設展が充実しているわけではない。というか、ここはクリムトと出会う、言わば聖地。そう、ベートーヴェン・フリーズが地下に設えられている、それに出会う場所であるのだ。
ベートーベヴェン・フリーズは分離派の象徴的な作品で、クリムト自身、あまりに大きな反発に驚いたとも伝えられているが、そのあたりは、常に保守的画壇に挑戦し続けてきたクリムト故、反発も計算づくであったのかもしれないが、そのあたりはよく分からない。いずれにしても、第9すなわち「歓喜」へ至る様を、人間の強欲、闘争、そして勝利へと象徴的、あるいは具象的に人や怪物をあしらうことによって描いている一大叙事詩である。地下への小さな入口をくぐるとぱっと開ける無機質な四角の部屋3面。実は、以前レプリカを見たことがあり、もっと小さいものと感じていたが思いのほか大きく、そして、それゆえ勇壮であった。
セゼッションそのものは小さく、企画展も少なく、その割に料金は高い。しかし、ベートーヴェン・フリーズにまみえるためには訪れなくてはならない、いわばクリムト巡礼の地なのである。(セゼッション)
ウィーンはシシィのおかげで現在観光客を呼び込めているし、フランスもマリー・アントワネットで観光人気が続いている。結局観光はハプスブルク頼りかと簡単には言えない。というのは、アントワネットもハプスブルク家として生きた時より嫁いだ後の方がずっと長いし、シシィもむしろハプスブルク家に背を向ける生き方をしていたように見えるからだ。それはさておき、ウィーンはやはり美術館の充実という点ではシシィばかりではない。
アルベルティーナ美術館はもともとあったアルベルティーナ宮殿内に、デューラーらの素描画の膨大なコレクションに加えて、クンストフォーラムが有していた近現代絵画のコレクションをドッキングさせて改めて大規模美術館として誕生したようだ(ただ、以前訪れた時(2003年)あったクンストフォーラムがなくなっていて、その当時はなかったアルベルティーナ美術館が今回あったことから思い込んだだけかもしれない。未確認。)。思いのほかの広さに時間が足りなくなってしまったが、前述の素描画はもちろん、近代絵画の名品も多く、すばらしいコレクション。いったいどこまであるのだろうという広さ。さらに企画展をいくつかしていて、これがまたグッド。筆者が訪れた時は、いずれも知らない作家、画家、写真家など3人を取り上げていたが、現代美術ゆえ?ドイツ語が分からなくても十分楽しめる展示となっていた。知っていたらもっと時間をとっていたであろうアルベルティーナは美術好きには隠れた名所である。
クリムトがウィーン画壇の保守的傾向を嫌って結成された「(ウィーン)分離派」の初代名誉会長に就いたのが1897年。その年から建設のはじまったのがセゼッション(分離派)館。キャベツのような頭頂部は有名で、一度訪れてみたいとおもっていたところだ。しかし、その異様な出で立ちを表すほどには常設展が充実しているわけではない。というか、ここはクリムトと出会う、言わば聖地。そう、ベートーヴェン・フリーズが地下に設えられている、それに出会う場所であるのだ。
ベートーベヴェン・フリーズは分離派の象徴的な作品で、クリムト自身、あまりに大きな反発に驚いたとも伝えられているが、そのあたりは、常に保守的画壇に挑戦し続けてきたクリムト故、反発も計算づくであったのかもしれないが、そのあたりはよく分からない。いずれにしても、第9すなわち「歓喜」へ至る様を、人間の強欲、闘争、そして勝利へと象徴的、あるいは具象的に人や怪物をあしらうことによって描いている一大叙事詩である。地下への小さな入口をくぐるとぱっと開ける無機質な四角の部屋3面。実は、以前レプリカを見たことがあり、もっと小さいものと感じていたが思いのほか大きく、そして、それゆえ勇壮であった。
セゼッションそのものは小さく、企画展も少なく、その割に料金は高い。しかし、ベートーヴェン・フリーズにまみえるためには訪れなくてはならない、いわばクリムト巡礼の地なのである。(セゼッション)