kenroのミニコミ

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日本酒の深さと造り人の広がりに「カンパイ! 世界が恋する日本酒」

2016-10-10 | 映画

愛の映画である。日本酒への愛、作り人への愛、コメ農家への愛、日本酒を広げようと奮闘する人への愛。しかし、愛では日本酒の魅力を伝えきれない。愛の奥に合理的な戦略、簡単には真似できない努力がある。

日本酒というか、アルコール全体の消費量はじり貧である。その理由は、若い人がアルコールをあまり飲まなくなった、飲酒運転による悲惨な事故が相次いだ、飲酒時のマイナスイメージなどいろいろあるだろう。しかし、「悪酔い」という言葉もあるように良い飲み方を実践すればよいし、そのためには悪酔いしないお酒を選ぶこと。日本酒、アルコール全体の消費は減っているのに、日本酒の海外輸出はどんどん伸びている。三増酒(三倍増醸清酒)の時代しか知らない者からは、これが日本酒!と思わせるほどの洗練されたSAKEが今や世界を席巻しつつあるといっても過言ではないのである。

そのような洗練された日本酒をつくることを目指し、紹介してきた3人が本作の主人公である。英国は地方出身のフィリップ・ハーパーはアメリカ人ジョン・ゴントナーとともにJETプログラム(日本の公立学校への英語教師派遣プログラム)で来日した。日本酒について全く興味も知識もなかった2人がそれぞれ日本酒の魅力に取りつかれ、ハーパーはその後奈良県の酒蔵の蔵人となり、大阪の酒蔵を経て、京都の木下酒造の杜氏として迎えられ、新しいお酒をどんどん生み出している。片や、ゴントナーは日本酒伝道師として世界にその魅力を発信するとともに、英語で日本酒を教える「酒プロフェッショナルコース」を開催し“信者”を増やしている。やがて信者らは日本の外で蔵(ブリュワリー)を展開していく。

造り酒屋の5代目、久慈浩介は地元で「蔵を継ぐぼんぼん」という視線に重圧を感じていたが、蔵に戻り、蔵元となると持ち前の行動力、アピール力で南部美人を海外展開していく。  

映画はこの3人へカメラを向けて展開していくが、日本人のどの蔵人以上に職人気質のハーパーは最初撮影を断ったという。しかし小西未来監督の説得と「押しかけ」によって、その日本酒と造りに対する揺るぎない信念を見せつける。主人公はこの3人だが、彼らを取り巻く仲間や支えあう人々も撮りこまれる。久慈の友人で東京農大の同級生の鈴木大介はハーパーと蔵人として一緒に働いたことがあり、そして、東日本大震災で友人や実家の蔵を失った。流された蔵の跡や友人の墓を訪ねる鈴木にカメラは同行する。失くしたものは還らない。しかし、鈴木は現在山形県で旨し酒造りに挑むことで、震災を失ったものを忘れないようにしているように見える。震災後すぐに花見で酒を呑んでくださいと訴えた久慈も思いは同じだろう。当時は「自粛」ブームの中「花見なんてとんでもない。酒を売りたいだけだろ」という中傷もあったそうだ。しかし、このような「自粛」(=実際に被害者が止めてくれと言っているのではなく、周囲や関係のない人が、被害者感情を過剰に忖度する日本人的感性)では地元の復活や、心の回復にはつながらないと、むしろ世界に打って出た久慈こそ勇気ある人だろう。

映画が伝えたいことはたくさんある。日本酒の奥の深さは言うまでもない。しかし、久慈が自分の息子を継がせるかどうか、彼が継ぐかどうかなど分からないと言った言葉に、娘は対象でないというジェンダーの問題。ハーパーほどの求道者でなければ務まらない蔵の「ブラック」な労働条件、そして杜氏制度をなくし大成功した「獺祭」(旭酒造)に見られるような近代化・合理化の波とどう付き合うかなど。

 現在女性杜氏も複数誕生し、東京農大の風景では女子学生がたくさん見られた。変わらなければならないことと変わってはいけないこと。酒造りはその難しさを端的に見せてくれる世界なのかもしれない。ところで英語で表記されるSAKEは英語では目的とか理由といった意味である。お酒をつくる目的と理由とは何か?人に幸せをもたらすため? イスラム世界を除外しているようだが、含意深い語ではある。


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