著者は現在における日本のピカソ研究の第一人者である。そのピカソが試みたキュビスム世界を浩瀚な資料の渉猟を通じて明らかにしていく。とにかく緻密である。研究書というものはそうでなければならないことは分かっているが、キュビスム絵画ですぐに思い浮かぶ四角な矩形の一つひとつを丁寧に剥いでいくように、論は進む。キュビスムを巡る言説を丹念に解きほどいていく。著者の論考を敷衍し、逐一の解説を付すことは私の能力では到底できないので、そのエッセンスと魅力を紹介したい。
印象派の出現以降、近代を彩る絵画の世界は20世紀に入り、その印象派を土台としてフォビズムや表現主義と並んでキュビスムが勃興する。ピカソの「アヴィニョンの娘たち」が描かれたのが1907年。この作品によってフォビズムから脱却したピカソは、翌年ブララックとともにキュビスムを発表する。ピカソがそこに至るのには、モーリス・ドニらのナビ派からフォビズムへとの表現主義的流れもキュビスムの到来を予見させるセザンヌのタッチなど多くの影響が見て取れるが、著者が引用する批評家ルービンによれば「セザンヌ的キュビスム」(ただしこの語を著者は用いない。)はブラックのもとで生まれ、その後ピカソに影響を与えたとする。そして「アヴィニョンの娘たち」でも描かれている中に黒人もいることから分かるようにアフリカ芸術=広義にはプリミティヴ・アートの要素も当然ある。
要するに1909年からピカソとブラックが「分析的キュビスム」を始め、それが後にはシュルレアリスムへつながっていったなどという簡明、超大雑把な美術史展開を拒否するのである。ピカソのどの絵が誰のどの作品につながり、ピカソ自身のいつのどの素描が後年どの作品につながるのか、あるいはどう変化したのか、それはピカソやその時代の誰の言説によって後付られるのかを丹念に紐解いていくという、まるで何万ピースもあるようなジグソーパズルを完成させるような気の遠くなる作業である。
それには1900年代の美術批評はもちろんのこと、それぞれの画家の言葉、キュビスムを強力に紹介したパリの画廊といった言説、プロト・キュビスムから分析的キュビスム、デュシャン兄弟らの身体的キュビスム、同時代に興り、キュビスムとの近接性も高い未来派や様々な制作者らの動向と変遷、そして1914年から18年までのヨーロッパの美術世界にとてつもない影響を与えた第1次世界大戦と美術に携わる人々(中には未来派の画家らのように命を落とした者もいる。)の作品(変化)、さらには第1次世界大戦以後のキュビスムとそれ以外と、著者のパースペクティブは止まるところがない。
本書を理解するには、19世紀末から20世紀初頭に至る西洋美術の基本的理解が欠かせないし、そのためには世界史に通暁しておかなければならない。著者は、日本語版などもちろん出ていない資料を冒頭記したように各国の美術館、研究施設などを渡り歩き渉猟した。であるから研究書であるのはもちろんそうなのであるが、まるで、緻密な謎解きをするかのような圧倒的な説得力にも満ちている。
日本ではキュビスムは根付かなかったというのが一般的理解だと思うが、その中にあってフェルナン・レジェのもとでオザンファンとともに学び、助手までこなした坂田一男が日本のキュビスムの唯一の成功者だと思う。ヨーロッパのキュビスムがどう日本に紹介され、それが咀嚼、大きな力とはならなかったのか、なったのか。著者の次編も大変楽しみである。(松井裕美著 2019年 名古屋大学出版会)