kenroのミニコミ

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「豊かになりたい」ではなく「豊かでありたい」  ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの

2013-04-14 | 映画
報道されたかもしれないが、昨年(2012年)7月にハーバート(ハーブ)・ヴォーゲル
が亡くなっていたことは知らなかったことが恥ずかしい。前作「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」は、ここでも紹介したが(アート、アート、アート NYゆえの至福感 ハーブ&ドロシー http://blog.goo.ne.jp/kenro5/s/%A5%CF%A1%BC%A5%D6)、ワシントンのナショナル・ギャラリー(今年1月に初めて訪れることができた アメリカ東海岸美術館巡り20131 http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/b822881048099c355cf4a0920de0156a)に2000点の作品を寄贈したところで前作は終わっていた。そして今回ハーブ&ドロシーがアメリカ50州の美術館にすべて50点ずつ寄贈するという50×50プロジェクト(2500点!)を追ったのが本作。
ハーブをはじめとしてアーティストの中には作品を散逸させることに反対の者もいたという。しかし、ホノルル美術館館長が言うように「アートはLAやNYに集めればいいという考え方は非常に近視眼的だ。文化の発展には最も保守的な部分を解き放たなきゃいけない。いくら都会で前衛芸術が盛んでも他の文化が置き去りなら変化は訪れない。アートには、その力がある。」。本作、50×50プロジェクトの意義はこの言葉に収斂される。首都に行かなければ、大都会に行かなければアートに接しえないのでは、文化は「置き去りにされる」。そうはいっても厳しい現実もある。ネヴァダ州ラスベガスはカジノとネオンの街。現代美術どころか、市民らがアートを欲する下地がない。50×50の作品を受け入れたラスベガス美術館がなんと閉館に追い込まれる。ハーブ&ドロシーの大切な贈りものはどうなってしまうのか。窮地を救ったのはネヴァダ大学に併設されたドナ・ビーム美術館。贈りものをすべて引き受け、学生の美術研究にも役立てるという。ただ、ドロシーがマメに送り先の美術館が贈りものをHPにアップしているかどうか確かめているが、その数は少なく、まだ全然アップしていないところもある。そして不景気時に、真っ先に削減されるのは文化予算。今回、本作で紹介されたのは50州の内11州。今後ハーブ亡き後ドロシーが一人、各州の状況を確かめ、時には訪れる旅に出るだろうが、50州すべてで贈りものが来館者の前に日の目を見ることはあるだろうか。
現代美術は取っつきにくいと言われるが、キリスト教の知識がなければ近代以前の西洋美術は理解できないし、時代背景が分からなければキリスト教美術以外の作品も深いところでは楽しめない。現代美術の中でもビデオ作品のように歴史的、政治的背景が濃厚な作品もあるが、ハーブ&ドロシーが蒐集したコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートはその点作品に接した時の「感じ方」が大事だ。そう「アートに不正解はない」(ロバート・シスルウェイト オルブライト=ノックス美術館ガイド)のだ。
ハーブを亡くし、ドロシーはコレクションを止め、ただ一つの作品を除いてすべてナショナル・ギャラリーに寄贈する。アメリカの多くの美術館が富豪の財で成り立っていたのとは違い、ハーブ&ドロシーは公務員で、生活はつつましい。しかし、ただの一点も売ることなく「贈りもの」とした。そう、二人のアートに対する愛だけが、アートと人との関わり合いの神髄を私たちに教えてくれるのだ。ハーブ&ドロシーは作品を収集する中でアーティストや美術館関係者など多くの友人を得て、長い信頼関係を築いてきた。そこにあるのは「もの」ではなく結局「ひと」だったのかもしれない。二人の蒐集欲を支えてきたのは。
「物持ち」より「人持ち」と言ったのは上野千鶴子さんだったか。そう、物持ちは「豊かになりたい」と思いそうなるが、自分自身が「豊かでありたい」と人持ちになるには、好奇心と限りなく拡がる情感が必要だ。ドロシーが手元に残したただ一点。それはハーブの描いた絵だった。ドロシーは言う。「(私たちの)贈りものと一緒にハーブは生き続ける」と。
コメント (1)
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