たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ポールとフローラの反逆精神、マリオの作家魂にひれ伏す

2010年03月25日 17時08分44秒 | 文学作品

マリオ・バルガス=リョサの『緑の家』は、25年ほど前に、わたしに彼が書くような小説を書く意欲を与えてくれた。それは結局ものにはならなかったが、彼の近著『楽園への道 El paraiso en la Otra Esquina』(原著2003年、田村さと子訳、河出書房新社、2009年)は、わたしに何かを書くことの意欲をふたたび漲らせてくれたような気がする。リョサの作家魂に脱帽である。

エキゾティズムが広く行き渡っていた19世紀後半のヨーロッパで、ポリネシアに楽園を求め、現地の女たちとの放縦な暮らしの果てに、独特の絵画を生み出したポール・ゴーギャン。彼は、ヨーロッパの芸術活動がその内部での限界に達した状況で、地球上のプリミティブな環境には、異なる美の価値が存在することを、芸術作品をつうじて示した。その意味で、彼の思いは、人類学者の根っこの部分に重なる。

ポールには、彼が生まれる4年前に死んだフローラ・トリスタンという名の母方の祖母がいた。19世紀半ば、アンドレ・シャザルの性的欲望の対象となり、3人の子どもを出産するが、彼女は結婚生活のなかで、結婚とセックスに対する嫌悪を増大させ、夫のもとから逃れて、やがて、女性解放運動の「スカートをはいた煽動者」となる。波瀾のうちに、彼女は、41歳の短い生涯を閉じる。彼女もまた、女性のためだけでなく、あらゆる社会的弱者の正義を主張して、孫のポール・ゴーギャンと同じように、社会の楽園の建設を夢見たのである。

『楽園への道』は、約50年の時を経て語られる、ナショナルな制度やヨーロッパ的なものへの反逆児・
フローラとポールの歴史小説であり、本の奇数章ではフローラの死の直前の活動が彼女の過去の回想とともに語られ、偶数章では、ポールのタヒチ渡航の知の暮らしと絵画の成立の経緯が綴られる。二つの物語は、フローラの娘でありポールの母であるアリーサを介して部分的に重なるが、けっして交わることなく進行する。それは、『緑の家』以来のマリオ・バルガス=リョサが得意とする対位法的な小説の技法である。読者は、永遠と続く同じ物語をうんざりしながら付き合うのではなく、一つの完結した物語が適当な長さで終わり、次にまったく別の話が続いていくのに身を任せる。じつに読者にやさしい組み立てになっている。ワクワクしながら、読者は、次の物語に進んでゆくことができる。

ポールはタヒチに渡り、性を爆発させ、それを芸術にぶつけ、やがて、性と芸術をともに枯渇させていった。もちろん、フィクションなので、物語には、作家の想像力が深く入り込んでいる。例えば、男でもあり女でもあるタヒチの樵夫である若者ジョテファに、ポールは欲情する。

身を任せ、なすがままにされたい。樵夫によって女のように愛され、乱暴に扱われたい。ポールは恥ずかしい気持ちを克服しながら背を向けたままジョテファに近づき頭を若者の胸にもたせかけた。あざけるような様子もなく明るく笑いながら、少年は彼の肩に両腕を回して、自分の身体にぴったりと引き寄せた。身体がうまく収まり一つになったのを感じた。ポールはめまいに襲われ、目を閉じた・・・ジョテファの片手が水の中で彼の性器を探っているのを感じた。愛撫されているのを感じるとすぐに小さな声を上げて射精してしまった。その少しあと、ジョテファも彼の背後で同じように射精した。少年はずっと笑っていた。

ポールがタヒチに来るずっと前、1887年に、フィンセント・ヴァン・ゴッホは、ポール・ゴーギャンの絵を見つめて言った。

「これは人間の血と臓腑から生まれた大作だ。性器から放出される精液のようだ」ポールを抱擁しながら懇願した。「俺もペニスで絵を描きたい。教えてくれないか」このようにしてはじまった友情だが、悲惨な結末を迎えることになってしまった。

ポールは、タヒチから移動してマルキーズ島で、「名前を口にするのが憚られる」性病を患ってそれを進行させ、やがて「性欲自体起きなくなっていった。ただ脚が狂いそうなくらい焼きついて痒く、身体が指すように痛み、心悸亢進のせいで呼吸困難に陥った」後に、やがて55歳で生涯を閉じた。

ポール・ゴーギャンにとって、楽園ポリネシアは、貧困、不運、病気にさいなまれた土地であり、そこが、彼の終焉の地となったのである。その意味で、タヒチやマルキーズは、たんなる楽園ではなかったが、そのことが意味する人間的真実にわたしは打ちのめされた気がする。

(写真は、《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか》 1897-98年ボストン美術館。萌えグラファーからもらったゴーギャン展の絵葉書より)


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