たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

性の人類学談義メモ

2007年09月15日 13時21分22秒 | 性の人類学

Nさんが言うように、性をめぐる問題に対して、哲学的・思弁的な研究の蓄積(たとえば、フランスの性研究)の観点から眺めるならば、人類学は、性をめぐる行動を、経験的に、より近い地点から解読しようとする点で、スリリングである。人類学の醍醐味は、経験としての性行動、セックスおよびその(社会的文化的)背景へと漸近し、その息づかいまでをも含めて、エスノグラフィックに活写しようとするところにある。他方で、人類学は、そうしたミクロなアプローチとは真逆の、マクロな時間枠のなかで、ヒトをヒトたらしめている過剰なる、蕩尽的な性の始原・淵源を求めて、ヒト以前(以外)の生き物の性行動へとまなざしを向け、探究しようとする欲動を、そのうちに抱え込んでいる。前者が、エスノグラフィーをベースにして、人類の(ときに過剰な)性のありよう、その多様性を明らかにしようとするのに対して、後者は、主に、生き物の生殖へといたる行動などの観察をつうじて、性行動の進化・適応過程を解読しようとする。

Sさんの関心は、東アフリカに見られる「儀礼的(特別な)性交」について。喪明けや屋敷建築のさいに、屋敷内で決まった順番で「性交」がおこなわれる。そうした「性交」は、そのような社会では、じっさいには、どのようなものとしておこなわれ、どのようなものとして捉えられているのだろうか。性交そのものが、儀礼的に、新たな秩序を構築するために使われるとは、いったいどのようなことなのだろうか。
「儀礼的な性交」は、屋敷内では誰もが知っている事実で、性交の相手は、そうした騒々しい雰囲気のなかで、上手く性交がおこなえなかったというようなことがあったという。その行為を取り巻く、前後のそうしたざわめきのようなものを含めて、全貌について知りたい。

Tさんは言う。問題は、「ヒト以前」のサルには、同性愛行動やマスターベーションというような「人間的な行動」をおこなうことがないと思われているがゆえに、そういった(過剰な)性行動の報告が、人びとの関心を引くということである、と。性の人類学は、サルに、ヒトの性行動を重ねあわせて、読み取っているのではないか。攻撃的であり、残虐的なチンパンジーに対して、頻繁にセックスをし、社会関係の調節をはかろうとするボノボ。そういった類型は、サルの行動を、ヒトの行動の延長上に読み取ることの典型ではないだろうか。サルは、人間あるいは人間性の起源を求める対象でしかない、とも。そういったものではない、性の人類学からのサルの性への接近を。

以上、新宿での性の人類学の打ち合わせ(2007.9.14.)の個人的なメモ。Sさん、Tさん、害獣対策のあり方などを含めて、いろいろと勉強になりました。ありがとうございました。

写真は、夜這い旅行の帰り道でのプナンの男女。


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