たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

呪医の末裔

2006年03月28日 22時00分47秒 | エスノグラフィー

 先ごろ、20年ぶりに、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を再読した(再読したのは、『百年の孤独(全面改訳新装版)』)。いつの間にやら、諸事を放り出して!、3日間、「戦う」ように読みふけった。
 マコンドという架空の町の建設とブエンディーア家の百年間のリニアーな歴史を、淡々と、そしてマジカル・リアリスティックに書き綴ったこの稀なる文学書は、ガルシア=マルケスの文学が、人間存在を想像し、理解し、描写する点で、人類学よりもずっとずっと高みに達していることを思い知らせてくれた。
 人類学も、70年代くらいまでは、人間探究と記述分析の点で、それに匹敵する力量を誇っていたが、70年代以降の文化=テキストの問題への拘泥以降に、袋小路に入り込んでからは、迫力とその意志を失っていったのではないか。それが、現在の私のちっぽけな仮説であるが、そういう言い方は、かなり荒っぽいと思うので、ここでは、これ以上、それについては書かない(というか、書けない)。
 松田素二著『呪医の末裔』は、『百年の孤独』に匹敵する、東アフリカ・ケニアのオデニョ一族の百年の<生>の歴史記述である。現代日本社会とほとんど接点のないような、遠い遠い<アフリカの他者>の、ある一族の百年にわたる歴史が刻まれている。
 いったい、<アフリカの他者>のある家族の歴史を読むことが、現代の日本人にとって、どんな意味を持つのだろうか?そのような素朴な疑問をもってこの書を読むと、<アフリカの他者>は、われわれの前に具体的な名前を持ち、苦悩と快楽を経験する個々人として立ち現れる。彼らの生き方に共感し、ときには、反発を抱くことで、<アフリカの他者>であるオデニョ一族の人たちが、われわれとつながっていることに思い至る。
 「自身の内面の苦悩を解決するために、取捨選択しながら外部の力に依存していった大オデニョ。白人宗教の宣教助手やイギリスのための下級兵士とされた事実を、自分のビジネスチャンスのためにフルに活用したオグソやムラゴ。白人(近代)世界と土着(伝統)世界の二重基準を設けて、二つの正義と倫理を自在に活用してサーバント生活を送ったケヤ・・・」(p.277)。

 一族がこの百年のあいだに経験してきたことは、外部の巨大な力によって、自分の意志に関わりなく行き方の背景が決定されてきた歴史であった。この数百年のあいだ、強大な覇権国家によって世界は序列化されてきた。19世紀には大英帝国、20世紀にはアメリカ合衆国がその覇権の中心を占めてきた。ケニア社会の場合、最初はイギリスによる植民地支配と近代化、つづいてアメリカによるグローバル化の大波に直接飲み込まれてしまった。この個人の努力ではいかんともしがたい現実を前にして、オデニョ一族は、それぞれ多様でユニークな対処法を編み出しながら、自らの生の基盤をつくりだしていった。(pp.276-7)

 この著作は、「強者(近代)」と「弱者(非近代)」の硬直した二分法を前提としつつ、弱者の創造的な論理の面を強調して、ポストコロニアルな理論の検討へと踏み込む危うさの手前で踏みとどまり(そういう面も、若干垣間見られるが・・・)、アフリカに生きる人びとの<生>を照射することで、彼らとわれわれが、同じ時代をともに伴走していることを気づかせてくれる。ケニアの人びととの長年(20年以上)の深い付き合いによって、はじめて可能になる力技だと思う。
 人間の苦悩や快楽の経験のざわめきの総体に対して、ことばや表現を与えること、それは、エスノグラフィーが取り組むべきことの一つなのだと思う。

松田素二『呪医の末裔:東アフリカ・オデニョ一族の20世紀』講談社。


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