「ひろしま」の印象がこびりついていたので、担任の先生に「原爆映画は以前見たことがあります、気分が悪くなりました、どうしても観なければいけませんか」というと、「そうか、よし、いいだろう、その替わり『ひろしま』の感想文を書け」と云ってくれた。
広島 被爆から73年の「原爆の日」 犠牲者の冥福を祈り、「核兵器のない世界」へ誓い新たに 2018.8.6 11:40
http://www.sankei.com/politics/print/180806/plt1808060012-c.html
写真:平和記念式典に参列したハガティ駐日米大使=6日午前、広島市の平和記念公園
広島は6日、被爆から73年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、参列者が犠牲者の冥福を祈り、「核兵器のない世界」への誓いを新たにした。
式典には、被爆者や遺族代表をはじめ、安倍晋三首相のほか、過去3番目に多い85カ国と欧州連合(EU)代表部の大使らが参列した。米国からはハガティ駐日大使が参列。駐日大使の参列は3年ぶりで、トランプ政権になってからは初めてとなった。
原爆投下時刻の8時15分に遺族代表らが「平和の鐘」を打ち鳴らし、参列者全員で黙祷した。
松井一実市長は平和宣言で「世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にある」と指摘した。そして「だからこそ私たちは『ヒロシマ』を『継続』して語り伝えなければならない」と呼びかけた。
安倍首相はあいさつで「近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化している」との認識を示した。その上で「核兵器のない世界」を実現するためには「被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要だ」として、日本が双方の「橋渡し」に粘り強く努める決意を述べた。
式典では、松井市長と遺族代表が、この1年間に亡くなったり、死亡が確認されたりした5393人の名前が書かれた原爆死没者名簿を原爆慰霊碑の石室に納めた。これまでに記帳された被爆死没者の総計は計31万4118人となった。
全国の被爆者健康手帳の所持者数の減少と高齢化はさらに進んだ。所有者数は平成29年度末で15万4859人と過去最少で、平均年齢は昨年度末に比べ0・65歳高い82・06歳で最高を更新した。
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西村眞悟の時事通信 平成30年8月6日(月)
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兵隊さん、仇をとってください
七十三年前の本日午前八時十五分、アメリカ軍のB29爆撃機は、広島の上空からウラニウム型原子爆弾(コードネーム、リトルボーイ)を投下した。
これが、都市の住民に対する人類最初の原子爆弾の使用である。
四年前、私は、サイパン島でこのリトルボーイをB29爆撃機に搭載した場所とその二百メートルほど離れた場所にあるファットマンを搭載した場所に佇み、原爆を搭載したB29が広島と長崎に向けて飛び立った滑走路を歩いた。
ジャングルから滑走路に吹き抜けていく風は、熱帯の風なのに、そこに、ゾッとする不気味さを覚えた。
このテニアンの原爆搭載場所と広島長崎に向かう滑走路には、アメリカ軍の手によって、誇らしげに、[Historic Point]というプレート、そして当時の写真と説明書きが建てられていた。
しかし、日本人にとってこの地は、ユダヤ人にとってのアウシュビッツのように身の毛のよだつ地である。
以下、「大本営参謀の情報戦記」(大本営陸軍部参謀堀栄三著)より
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昭和二十年五月中旬、ホノルルを発ってサイパン島方向に向かったB29が、長文の電報をワシントンに向けて発信したことを我が国の陸軍特情部が掴んだ。
B29が直接ワシントンに発信するなど、今まであり得ない行動であった。
即ち、このB29は、新しいコールサインを持つ正体不明機であった。
よって、以後、特情部は、このコールサインを持つB29を追跡し始める。
六月下旬、この正体不明のB29がテニアン近海を飛行しだし、七月中旬には、日本近海にまで足を伸ばしてきてテニアンに引き返す奇妙な行動を取り始めた。
八月六日午前三時頃、同じコールサインでごく短い電波がワシントンに飛んだ。
午前四時を過ぎた頃、硫黄島の基地に対してこの機は「われら目標に向けて進行中」と打電した。
特情部は、「特殊任務機前進中」と緊張した。
しかし、以後、一切、電波を出さなかった。
午前七時二十分頃、豊後水道水の子灯台上空から東の広島上空に達したB29一機が、播磨灘に東進中に簡単な電報を発信した。
通常、このような一機の発信は、航続編隊に対する気象の連絡であることは統計的に判明しているので、特情部は、先行の一機に続いて豊後水道の西から東に進む航続編隊の発見に目と耳を集中していた。
その瞬間、八時六分、二機のB29が、豊後水道とは反対の東の方向から広島上空に突入していた。
ああ、万事休す堀参謀等は、五月以来、注目していたワシントンに直接電波を発する正体不明機が原爆投下という特殊な任務をおびた機であることを最後まで見抜けなかった。
八時十五分広島上空に一大閃光ととともに原子爆弾が投下された。
八月七日早朝ワシントンでトルーマンが正式に原子爆弾と表明した電波をキャッチして、初めて広島に原子爆弾が投下されたことを確認し、ニューメキシコ州で新しい実験が為されたという外電が、原子爆弾の実験であったことが判明した。
・・・我々は沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。
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以上、「大本営参謀の情報戦記」終わり。
米国大統領トルーマンは、広島への原爆投下直後、戦艦オーガスタでその報告を受けた。
そして、飛び上がって言った。
「ワア、人類で最初のことが起こった。サア、みんな、家に帰ろう!」
この、日本に決定的ダメージを与える」というアメリカの対日作戦目標は、アメリカのハワイ併合前の一八九七年(明治30年)に海軍次官セオドア・ルーズベルトによって作成された「オレンジ計画」から一九一四年(大正3年)にセオドアの甥のフランクリン・ルーズベルト海軍次官が作成した「オレンジ計画」に至る迄一貫したものである。
アメリカにとって、日本に対する原子爆弾の使用は、この「オレンジ計画」に一貫して定められた対日作戦目的実現の「手段」だった。
その上で、この時点において、原子爆弾使用の人類史における意味を、直ちに見抜いた国家元首が、我が昭和天皇であることを我らは知るべきだ。
それは、八月十五日に国民に伝達された「終戦の詔書」(玉音放送)に明確に述べられている。
・・・敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶところ、真に測るへからざるに至る。
しかもなお交戦を継続せむか遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却すべし。
・・・是れ朕が帝国政府をして、共同宣言に応せしむるに至る所以なり。
昭和天皇は、原子爆弾が、人類の文明を破却するものであるとう認識を鮮明にされ、その人類の文明を破却から守る為に停戦すると宣言された。
この天皇のお志と、戦艦オーガスタの上で飛び上がったトルーマンの様子を見るとき、天地の差を感じる。
この差は、人間と無血虫の差だと言ってもよい。
ここに、我ら、日本人は、負けたとはいえ、人類の文明の名において、誇りを持つべき所以がある。
無自覚なアメリカを含む人類の文明を救ったのだから。
さて、本日の朝、八時十五分、私もNHKの広島での慰霊祭の実況を見ていて黙祷した。
そして、被爆者を思い黙祷したが故に、広島市長の「平和宣言」とNHKの女のアナウンサーに関して、一言、言っておかなければ気が済まない。
そもそも、数年前の土石流の時でも、この七月の集中豪雨による災害の時でも、多数の市民の命を陣頭指揮して守り抜く姿が一向に見えない広島市長が、現在進行中の市民の惨害から遊離した他人のように、「平和宣言」とは何事か。
身の程をわきまえろ。偽善ではないか。
また、式典の模様を厳かに解説していたNHKの女のアナウンサーは次のように言った。「広島市民の皆様は、過ちを繰り返しませんからという誓いを受け継いでこられました」厳かに押しつけがましく、何を言うか。
まるで北朝鮮のおばはんアナウンサーのようではないか。
これでは、原爆を落とされたのは、落とされた広島市民と日本の国が、過ちを犯したからと言っているのと同じである。無礼者。
アメリカは、十九世紀後半から、太平洋を支配するために練り始めた「オレンジ計画」による「日本を徹底的に壊滅させる」という一貫した対日方針を達成するために広島に原爆を投下したのだ。
さらに、広島の市長もNHKのアナウンサーも、我こそは、被爆した広島市民の心が分かっているかのように、彼らの思いを代弁するな。僭越ではないか。
三代目江戸屋猫八(岡田六郎)さんは、陸軍船舶部の兵長として呉にいたが、広島救援のために被爆直後に部隊で広島に入った。
その時、道ばたに座っていた被爆した人々は、異口同音に救援部隊に言った。
「兵隊さん、仇をとってください。仇をとってください」と。
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