資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ゆっくり百名山~意外にキツイ三浦アスプス

2022年03月16日 | 登山&自然系資格とその活用

 ゆっくりの会主催の三浦アルプスに参加。私は行かないが、来月、屋久島宮之浦岳に登るそうで、そのための長時間のトレーニング。今日はコースタイム7時間のロングコースが設定されている。

(京浜急行発行のマップに歩いたコースを追加したもの)

 朝JR逗子駅に集合、バスに乗って登山口へ。いきなり急登で、仙元山へ。心臓がバクバクする。ここは駿河湾がよく見える。春霞で、富士山は薄っすらと顔を出す程度。

 

 250段の階段。このアルプスは標高200m程度だが、こんな登りがある。

 次のピーク、ソッカ山。ここで小休止。

 約3時間半で、乳頭山へ。ここで約半分、今日は長い。

 乳頭山は、その形がよく似ていることから付いた。樹木に隠れている。

 一旦下って、再び登り返し。馬頭観音へ。

 ここから最後のピーク、二子山へ。展望よし。

 少し戻って、森戸林道に下る。この渓谷が結構すごい。ロープ場あり、渡渉ありだ。

 そして7時間のロングコースを完登。少人数で足並みがそろっていたため、結構速いペースでした。

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目指せ五百資格~新選組検定2級、ああ、あと1点

2022年03月15日 | 地理・歴史系資格とその活用

 1月に京都、金戒光明寺(幕末の会津藩屯所)まで出かけて受験した、新選組検定2級の結果が返ってきた。大きな封書を開くと、100点満点で69点。受験生469人中299位。

 合格ラインは70点。ああ、あと1点。泣いても泣ききれないね。また次回受験しよう。

 

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ときめき百名城巡り~山火事にあった足利城跡

2022年03月14日 | 城郭検定資格とその活用

 昨日の記事、足利アルプスの続編。足利アルプス縦走の途中に、足利城跡がある。

 足利城は、平安時代に築城された。戦国時代には、足利氏の城になり、足利氏は、秀吉の小田原攻めで北条方についたため、天正18年(1590年)にその役目を終えた。戦国時代、何度か、足利城での戦いがあったそうだが、あんまりメジャーでないため省略。

 山城の郭の位置もわかっている。本丸を中心に、三方の尾根に段郭と堀切がわかっている。

 本丸は今は御嶽神社だ。右隣に木製のお社があったが、こちらは燃えてしまったようだ。山頂は両崖山。以前来た時より明るい。樹木を切ったようだ、燃えたかな。

 本丸と北側の堀切。足利アルプスの縦走コースになってる。

 本丸と西側の郭を切る堀切。山火事で、黒焦げの樹木もある。

 西側の郭スペース、物見台かな。

 お城に興味のなかった、前回、前々回の縦走は、すっと通り過ぎてしまったが、興味が沸くと、視点も違ってくる。知識を豊富にすることは楽しいね。

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ゆっくり百名山~山火事から一年足利アルプス

2022年03月13日 | 登山&自然系資格とその活用

 強風の中、足利アルプスに登る。東武足利駅からタクシーで、浄因寺へ。ここがスタートで、足利駅近くの織姫神社がゴールだ。途中、行道山、大岩山剣が峰、両崖山と続く、標高が500m以下の低山の峰を縦走する。

 スタートの浄因寺への登りには、小さなモノレールがある。現在は休止中だそうだが、一度乗ってみたいものだ。

 そして、浄因寺。岩の上の建物(清心亭)がもう落っこちそうで、現在は立ち入り禁止になってる。江戸時代に葛飾北斎が、この清心亭とそこに渡る空中の橋(天高橋)を描いている。

 奥の院に登ると、寝釈迦がある。釈迦が寝てるというと、東南アジアにある巨大な寝た釈迦を思い出すが、こちらは、ミニサイズ、可愛い。

 さらに登って、標高442mの行道山山頂へ。この日は、赤城山の展望がベスト。

 次は、大岩山。剣が峰と名がついているが、山頂は尖っているわけでもない。さらに下って、大岩毘沙門天へ。

 このお寺は、昨年の火災の時、仏像を慌てて運び出したそうだ。建物は燃えなかったが、修復の寄付を募ってる。私は1千円の虎のおみくじに、1回百円の鐘を2回突く。

 次は、両崖山、お目当ての足利城がある。この辺りは黒こげの樹木が多くなってくる。足利城は明日の記事にしました。

 両崖山は展望がよく、また岩々でもある。

 アップダウンを繰り返し、織姫公園へ。この形は、古墳だろうか。

 最後は、織姫神社に降りる。真新しい社殿だ。

 神社から、歩いて、東武足利駅へ。途中、渡良瀬橋を望みながら歩く。風が強い。

 駅構内には、ホームのメロディを森高千里さんの「渡良瀬橋」にしたというポスターが貼ってあった。この曲、今でも人気あるんだね。

 足利アルプス、一昨年秋に続いて3度目の縦走でしたが、アップダウンがあり、累積登りは6百m、岩も多く、トレーニングになる、面白いアルプスでした。お薦めですよ。

 

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DX検定の結果が返ってきた、スコア576点

2022年03月12日 | IT系資格とその活用

 1月に受験したDX検定の結果が返ってきた。認定証とスコアを印刷する。オンライン受験だからその場でわかるはずだが、なぜか結果は、いままで公開されていなかった。

 その結果、1000点満点で、576点。100点満点に換算すると57.6点。これって、不合格じゃん。まあ、この試験、スコア制なので、合格、不合格はないが、600点以上はスコアとは別に、スタンダードレベルと、認定されるが、これには達しない。

 さてその内容だが、IT先端技術トレンドもビジネストレンドもどちらも同じような点数だ。全国平均より低いのは、12区分中、サービス、AITとソフトウエアの3区分。商品やサービスは、GAFA企業とその商品名を知ってないといけない。これ苦手、普段こういった仕事に従事してないと、わからんねえ。

 まあ、全国平均より高そうだから、良しとするか。DX検定はこれで終わり。最近は、仕事と、山、お城、温泉と忙しくなって、資格まで手が回らなくなってきた。資格はボチボチになっている。ブログ名、変えようかな。

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ときめき百名城巡り~堀と白い土塀が美しい土浦城

2022年03月11日 | 城郭検定資格とその活用

 茨城県の続・百名城、午後は土浦城。こちらはJR土浦駅から15分ほど歩くと、到着。堀に白い土塀が映えて美しい。

 かつては三重、四重の堀に囲まれいたが、現在は内堀のみだ。その堀を渡って本丸裏門の霞門(かすみもん)から入る。東櫓が見えて来る。

 東櫓は二層二階の入母屋造り、復元だ。周りの道路からよく見える。内部も開放されているが、靴を脱ぐので入らない。

 広い本丸の大手口、櫓門(やぐらもん)、本丸に現存する櫓門は、関東で唯一だそうだ。確かに立派、昭和の最後に解体修理された。

 本丸もう一つの櫓、西櫓。こちらも二層二階だ。昭和24年キティ台風で被害を受けて解体され、しばらくして平成3年に復元された。こちらは開放されていない。

 そして、そばの土浦市立博物館へ。入口にスタンプがある。中には、土浦城の模型が展示されていた。一番大きいのは、本丸真ん中の御殿だ。

 土浦城は、お堀に囲まれ、コンパクトだが、美しい城でした。

 

 

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ときめき百名城巡り~もうちょっとお金かけたらどう、笠間城

2022年03月10日 | 城郭検定資格とその活用

 この日は近場の茨城県の続・百名城の二城巡りに出掛ける。早朝自宅を出発、JRを乗り継いで、笠間駅へ。駅前で電動自転車を借りて、山城の笠間城へ。井筒屋というガイダンス施設?でスタンプを押し、電動の力を借りて、山城に登る。

 千人溜りという、名前通りの広い駐車場で降りて、徒歩で登る。山城らしく、道は曲がりくねっている。狭くなった場所に大手門址があった。

 そして、三の曲輪、二の曲輪に登る石段がある。三の曲輪、二の曲輪は、雑木林になっていて入れない。

 その石段を登ると本丸だ。広場だが表示板もない。隅っこに、お城には関係ない石碑がいくつかある。こういった石碑は、今まで行ったお城にも結構あった。日露戦争とか、地元の偉人などの記念碑や鎮魂の碑だ。地元の人たちが建ててるんだから、外来者がとやかくは言えない。でも、お城なんだから、もうちょっとお城のこと書いてくれればねえ。

 本丸の上、佐白山に、八幡台櫓址という石碑が。パンフレットによると、この八幡台櫓は、今は笠間市内のお寺に移設されて残ってるそうだ。行ってみるか。

 八幡台櫓跡を下ると、そこに笠間城の説明文があった。そうか、ここ通らなかったからすぐにわからなかった。ただし、看板の文字が薄くなって読めない箇所がある。それに枯れ草が高く伸びて、看板が読みにくい。笠間市の方、何とかならないでしょうか。

 そして、いよいよ天主曲輪入口へ。石段で登る。

 天主に立ってる神社が見えて来た。ただし、天主に登る石垣には、シートが掛かっている。おそらく崩れているんだろう。また、神社の周りを廻る通路は、立入禁止となっている。東日本大震災時に危険な状態になったそうだ。

 立入禁止になってない方の石段を登り、神社に参拝。天守からは遠くの山々が眺められる。ここもかなり石段は崩れている。しかし、東日本大震災といえばもう11年も前だ。何とかならないもんかねえ。この土地は私有地なのか、はたまた、財務真理教か。

 (注 財務真理教とは、緊縮財政の財務省を皮肉った言葉、財務省は、影響力のある学者や新聞社など抱え込んで、日本は財務破綻すると言わせている。これを宗教に例えたもの、実際には世界の標準的な財務管理をすれば、政府のお金はまだまだ出せ、地方自治体も潤う)

 電動自転車でお城を下る。笠間日動美術館という立派な建物がある。また、大石蔵之助の像もある、大石はここの出身だそうだ。

 そして真浄寺へ。このお寺に、笠間城にあった八幡櫓がある。二層だが、お城の櫓らしい。

 残りの時間を使って、有名な笠間稲荷へ。参道に小さな狐の陶器がいっぱいある。これ、陶器製の狐で、中にはおみくじが入ってる。私は大吉。お稲荷さんは商売の神様。縁起いいねえ。

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目指せ!五百資格~温泉観光実践士を取得

2022年03月09日 | 温泉&健康資格とその活用

 今年初めに受講した温泉の講座で、温泉観光実践士を取得した。これは、温泉の専門家8名の講演を聴くだけである。聴き終わって報告すると、しばらくして、認定証と記念品が送られてきた。

 認定証には、所定の講座を全課程終了したことを認定し「温泉観光実践士」の称号を付与する、と書かれている。まあ、ずいぶんと取得するのに楽な資格である。しかも現在は、オンライン講座もある。

 資格商法と言われればその通りだ。しかし、受講する度に、温泉の知識や楽しみは増える。その価値がこの称号になって現れる。悪くないと思う。

 この講座、年に何回もある。3回受講すれば、資格の名称が変わり、温泉観光管理士になる。5回だと、温泉観光診断士、7回だと温泉観光管理診断士、10回だと温泉観光永世診断士、15回だと温泉観光カリスマ、30回以上なら最後は、温泉観光永世カリスマとなる。 

 うむ、もう2回くらいなら受講してもいいかな、と思っている。そして記念品は、温泉観光実践士協会の2022年度のカレンダー。確かにオリジナルではあるが、もうちょっとなんかないかねえ。もう3月なんだけど。

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ゆっくり百名山~アルプスらしい、皆野アルプス

2022年03月08日 | 登山&自然系資格とその活用

 今日はゆっくりの会で、秩父は皆野アルプスへ。日帰りの割に場所が遠いので、集合は10時、秩父鉄道皆野駅。町営バスで秩父華厳の滝へ。バスを降り、少し歩いて滝へ、見事な滝だ。

 滝そばの小広場で、ラジオ体操をして出発。最初1時間は、森の中、ほどほどの勾配で尾根へ、最初のピークは天狗山という。この山は巡礼の山、修行にちなんだ地名がよく出てくる。

 天狗山からは、岩場のヤセ尾根だ。ロープ、鎖場などが次々と現れる。大前山、如金峰(にょきんほう)、和立峠と歩く。アルプスとはよく名付けたものだ。アップダウンが切れ目なく続く。

 そしてやっと、アルプスの最高峰、破風山(はっぷさん)。ここで昼食休憩、展望よし、埼玉の百名山、両神山もよく見える。

 昼食後も、岩稜帯が続く、猿岩に、男体拝(なんたいおがみ)、男体って、日光の男体山だそうだが、今日は全く見えない。展望は、まあまあ。

 さらに下って、前原山。その手前で、武甲山が見渡せる。雪で真っ白だ。秩父の山は、まだまだ雪の中だ。私のような冬山をやらない者は、しばらくは行けないね。

 そして、山を下りた。登山者向けのカウンターと、そしてクマ注意だって、もう遅いよ。もう少し歩いて、秩父鉄道皆野駅へ、ここでストレッチをして解散。

 所要5時間20分(うち休憩1時間20分)、累積標高差700m、標高差以上に疲れた歩き甲斐のあるアルプス、皆野アルプスでした。結構お勧めですよ。

 

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続・百名城巡り~巨大な空堀、北条早雲の興国寺城

2022年03月07日 | 城郭検定資格とその活用

 JR東海道線、原駅からタクシーで興国寺城へ。歩いても30分ほどだ。三の丸、二の丸、本丸、天守台と段々に高くなり、その北に、大空堀、北曲輪と、横に並んだ定郭式だ。

 北条早雲がこの城を拠点に、伊豆に進出した。江戸時代になって、入った殿様は、地元といざこざを起こし、逐電してしまった。そして廃城、と最後は締まらない終わり方をしている。

 さて、城に登城。入口にスタンプが置いてある。半透明のプラスチックの入れものに入ったスタンプだ。パンフレットは品切れ、ガイダンス施設などは何もない、続・百名城にしては、寂しい城だ。

 本丸土塁を登り、天守台へ。少しだが、石垣が残っている。

 天守台は狭く、礎石だけが残る。発掘の時は、瓦は発見されなかったというから、天守のようなものはなかったらしい。

 天守台からは、道路がまっすぐ、駿河湾まで伸びている。

 天守から大空堀に降りる。堀の底から見上げても、巨大な空堀だ。と、突然、ゴオ~という音。見えないが、北側そばに、東海道新幹線が走っているようだ。

 そして徒歩で、JR原駅へ。この城、整備計画があるが、予算面で途中になっているそうだ。でもまあ、ほどほどの城だね。

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続・百名城巡り~巨大な丸馬出し、諏訪原城

2022年03月06日 | 城郭検定資格とその活用

 JR東海道線金谷駅で降りる。徒歩30分で諏訪原城へ。駅を降て歩き出すと住宅街を登る。そして、東海道の石畳に到着。ここも登りが続く。ここは、旧東海道の難所の一つだったという。一つずつの石が大きく、凸凹して足が痛い。登山用ブーツなら平気なんだが。

 と呟きながら、石畳を過ぎ、お茶畑を歩く。のどか~。遠くの山には、たぶんお茶の木だろう「茶」の文字が。

 そして、諏訪原城ビジターセンターに到着。駐車場に大型バスが1台止まっている。おや、普通の観光客も来るのか、と思っていたら、クラブツーリズムの続・百名城巡りツアーだった。添乗員さんに声を掛けたら、今度参加してくださいな~、と言われる。

 ビジターセンターには、諏訪原城の精巧な模型がある。また発掘した中には、鉄砲玉や天目茶碗まである。戦いと、お茶の趣味と、面白い。

 そして、いよいよ、現場へ。石碑と案内板がある。石碑は新しいが、案内板はだいぶ年季が入っている。

 まず大手曲輪と外堀だ。茶畑に隣接している。 

 この城は、何といっても武田の丸馬出が特徴だ。このお城には6つの丸馬出が残っている。「丸馬出は虎口の前に設けられ、三日月堀と曲輪がセットになった空間。防御だけでなく、味方が出撃するときの拠点にもなる。」(諏訪原城パンフレットより)

 そして、一番大きい二の曲輪丸馬出へ。巨大な馬出だ。三日月堀も大きい。そういえば、これ、大阪の陣で真田幸村が作った真田丸に似ている。どちらも武田流築城術か。

 復元の薬医門は、工事中でそばに寄れない。遠くから一枚。

 二の曲輪から本曲輪へ。何も残ってはいない。本曲輪の先は崖地だ。こっちは防御の必要がない。馬出の方向を守ればいい。

 カンカン井戸に水の手曲輪。井戸だけが残っている。この城は、武田方が徳川方の高天神城を攻略するために築城したものだ。従って、武田が滅んだあとは、不要になり、廃城になってしまった。

 そして、再び徒歩で東海道を下り、JR金谷駅へ。諏訪原城のそばには喫茶店が2軒ほどある。私は先を急ぐので入らなかったが、休憩にはちょうどいいね。

 

 

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ほっこり百名湯巡り~珍しい含ヨード泉が、何と東京大手町に

2022年03月05日 | 温泉&健康資格とその活用

 先週金曜日は、大手町な一日であった。朝、地下鉄に乗って大手町駅へ。まず、江戸城スタンプを押しに皇居へ。パレスホテルそばの和田倉休憩所で押印、以前スタンプは押してあったが、うまく押せなかったため、紙に貼っておいた。これが、まずいようで、再度押し直し。

(パレスホテル前は皇居だ)

(江戸城の石垣は、さすが切り込み接ぎだ)

(和田倉休憩所にスタンプがある)

 次は、3回目のワクチンだ。大手町合同庁舎の自衛隊で。こちらは、30分ほどで終了。4回目は、もう勘弁してほしいね。打ちに来た人は、疎らだった。

 そして、ワクチン会場を出て、大手町の温泉を探す。この温泉、「含ヨード泉」という日本では稀な温泉だ。温泉ソムリエのテキストを見ていたら、含ヨード泉が東京、大手町にあるという。ワククチンのついでに行こうと決めていた。

 探すこと10分、何と、自衛隊のワクチン会場のお隣のビル地下だ。大手町温泉という。浴槽は、赤茶色、半透明の温泉、ヌルヌルする。口に入ると、かなりしょっぱい。

 写真は撮れないため、フロントで分析書を頂く。含よう素ーナトリウムー強塩化物温泉(高張性・中性・温泉)になってる。そして溶存物質が何と、27g/kg。温泉の規定値の27倍。ナトリウムイオン9.6g、塩化物イオン15.6g、こりゃ、しょっぱいはずだ。

 そしてもう一つ、ヨウ化物イオンが38.4mgと、規定値をかなりオーバーしている。ヨウ素は、うがい薬などに入ってるあれ、殺菌作用が強い、ヨードチンキもそうだ。

 ヨウ素、かなり入ってるから、味覚も感じそうだが、なんせ塩化物がすごい量だ。そちらに味覚がとられている。ワクチンを打った方の腕は浴槽に入れないため、長居はしない、あっさりと上る。しかし、都心の、それも大手町で、含ヨード泉とは、ビックリだ。

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ほっこり百名湯巡り~単純泉でもいい湯だ、筑波山温泉

2022年03月04日 | 温泉&健康資格とその活用

 一度は関東平野の、東京の夜景を山頂から眺めてみたいと思っていた。筑波スターダストクルージングを今年の最終日に出掛けた。せっかくだから中腹にある宿に泊まって、温泉に浸かって、という小旅行である。さて、そのロープウエー。女体山山頂付近で夕刻から待っていたが、ガスが掛かって、東京方面はよく見えない。残念。

(筑波山山頂から、土浦方向は明りが見えるが、東京方向はガスってる)

 宿に帰って、部屋の窓を開けると、こちらの方が、ずっときれいだ。なんだこりゃ。

(筑波山観光ホテルの部屋の窓から、標高は約500m)

 そして、筑波山温泉、この温泉は筑波山に登り、降りて汗をかいたときは、ほとんど毎回入っている温泉だ。単純泉だと知ってはいたが、改めて分析書をじっくり見る。

 筑波山温泉双神の湯、アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性低温泉)となっている。一言でいうと、温泉成分が少なく、お湯の温度が温泉法の規定25℃を上回るから温泉、という意味だ。

 温泉法の25℃はどんな意味があるか、温泉ソムリエのテキストを読むと興味深い内容が書かれていた。温泉法ができたのは、昭和23年、ドイツの規定を参考にしたそうだ。地中から湧き出る温度が通常の平均気温より明らかに高いのは、その水が地中深くで圧力や熱を受けたもの、マグマだまりの影響を受けたものに違いない、だから温泉だ、というもの。平均気温は15℃程度で、25℃以上が温泉というと、通常より10℃も高いのだ。

 地中深く熱せられたお湯は、たいてい何らかの温泉成分を含んでいる。この筑波山温泉の溶存物質は、138mg/kg。温泉法の1000mg/kgには遠く及ばないが、それでも温泉成分は入っている。通常の入浴剤は、150mg/kg程度の濃さだから、筑波山温泉も入浴剤程度の成分が入っている。

 その成分の内訳をみると、多い成分は、ナトリウムイオン35mg、炭酸イオン33mg、メタケイ酸水素イオン49mgだ。特に炭酸イオンは、泉質名には反映されないが、30mg以上入ってると、非常にツルツル感が強くなる。実際、入浴後は、肌がツルツルだ。ぺーハーが書かれていないが、アルカリ性。さらに炭酸イオンのおかげでツルツルになる温泉だ。

 温泉も奥深いね。単純泉といっても立派な温泉、バカにはできないね。

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続・百名城巡り~壮絶な戦いの舞台、高天神城

2022年03月03日 | 城郭検定資格とその活用

 JR掛川駅に到着。百名城でもある掛川城は、昨年登城したため省略。同じ掛川市でも、続・百名城の高天神城へ。交通が不便なため、タクシーを利用。一旦帰ってもらって、登城を終えたら又タクシーを呼ぶことにする。

 高天神城は、戦国時代、激しい戦いがあった。駅前の観光協会のパンフレットによると、今川→桶狭間の戦い→高天神に徳川が入城→武田信玄が攻めるも落とせず→武田勝頼が落す→設楽原の戦い→徳川が攻めて落城 と次々に城主が代わった、その都度、激しい戦いがあった。特に最後の徳川が武田を攻めたときは、最後の城兵九百が飢えの中、突撃、全員討ち死にという、悲惨な城だ。

 さて、山城の案内図を見ながら、登城開始。まずは追手門、次に、戦闘配備の指示をした着到櫓跡、そして南に突き出た曲輪の三の丸へと登っていく。

 さらに登って、道が悪くなってきた当たり、本丸址に。本丸は今は広場になっていて、幾つか石碑が建っている。

 本丸からは、下の田んぼがよく見える。山は崖になっていて、守りが固い山城だ。

 御前曲輪へ、ここは城主の奥方の曲輪だ。曲輪の奥には、コンクリートの基礎が残っている。戦前天守を立てたが、太平洋戦争中に、落雷で壊れてしまった。一説には米軍に目立つから破壊したとも。

 的場曲輪、弓矢の練習の場所だ。

 かな井戸。この辺が一番激しい戦いだったそうだ。隣は高天神社への階段、だいぶ疲れて神社には行かなかった。

 北側に回り、袖曲輪に、二の丸。

 最後は、搦手門(からめてもん)へ降り、駐車場でタクシーを待つ。

 天守のある城のような華やかさはなく、まさに戦いの砦。気軽に散策というより、戦いに散った城兵を想って歩いた城でした。

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続・百名城巡り~どうする家康、浜松城

2022年03月02日 | 城郭検定資格とその活用

 さて今日は、東海道は、浜松から。朝の浜松駅から歩いて続・百名城の浜松城へ。

(駅前に来年の大河ドラマが掛かっている)

 この城は今川が築城したが、徳川が入った。それから17年間家康が城主、その後、25代城主が代わったが、幕府で、老中や京都所司代など、多くが出世している。このため、出世城とも呼ばれているそうだ。

 石段を登ると、浜松城が見え始める。天守は、野面積みの上に、実際の三分の二で、復興された天守だ。

(天守が見え始めた、冬だから見えるが、春秋は樹木で見えないだろう)

(天守門の石垣、大手は城の看板、できる限り大きな石を入れる)

 また、最近、天守門も再建された。野面積みの石垣は、当時のもの、迫力満点だ。

(再建された天守門、入口に、続・百名城のスタンプがあった)

(当時の石垣、そこそこ算木積になってる)

 天守の内部は、例によって資料館、ビデオが流れている。家康の破れた三方ヶ原の戦いを放映していた。三方ヶ原の戦いは家康生涯、最大の負けいくさ、逃げる際のエピソードが沢山残っている。パンフレットによると、八幡宮の雲立ちの楠や、小豆餅と銭取、さらに、白尾、小粥などのエピソードだ。

(VTR前の人形、よくできてる)

 天守からは、下に天守門がよく見える。

(天守そばには、市役所)

 天守の内部と外部に井戸がある。水は当時最重要なものだ。天守の中にあるのも頷けるね。

(天守内部の階段を降りると、井戸がある)

(外にも井戸、この城には、十本の井戸があったそうだ)

 そして、離れて天守を撮影。石垣が素晴らしい天守だ。来年の大河は「どうする家康」、ちょっと楽しみになってきた。

(石垣を下から、そして、青空に映えて、美しい浜松城天守)

 家康の像にお別れして、次のお城、掛川から高天神城へ。

(家康の銅像のようだ、なんか手に持ってる)

 

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