JR掛川駅に到着。百名城でもある掛川城は、昨年登城したため省略。同じ掛川市でも、続・百名城の高天神城へ。交通が不便なため、タクシーを利用。一旦帰ってもらって、登城を終えたら又タクシーを呼ぶことにする。
高天神城は、戦国時代、激しい戦いがあった。駅前の観光協会のパンフレットによると、今川→桶狭間の戦い→高天神に徳川が入城→武田信玄が攻めるも落とせず→武田勝頼が落す→設楽原の戦い→徳川が攻めて落城 と次々に城主が代わった、その都度、激しい戦いがあった。特に最後の徳川が武田を攻めたときは、最後の城兵九百が飢えの中、突撃、全員討ち死にという、悲惨な城だ。
さて、山城の案内図を見ながら、登城開始。まずは追手門、次に、戦闘配備の指示をした着到櫓跡、そして南に突き出た曲輪の三の丸へと登っていく。
さらに登って、道が悪くなってきた当たり、本丸址に。本丸は今は広場になっていて、幾つか石碑が建っている。
本丸からは、下の田んぼがよく見える。山は崖になっていて、守りが固い山城だ。
御前曲輪へ、ここは城主の奥方の曲輪だ。曲輪の奥には、コンクリートの基礎が残っている。戦前天守を立てたが、太平洋戦争中に、落雷で壊れてしまった。一説には米軍に目立つから破壊したとも。
的場曲輪、弓矢の練習の場所だ。
かな井戸。この辺が一番激しい戦いだったそうだ。隣は高天神社への階段、だいぶ疲れて神社には行かなかった。
北側に回り、袖曲輪に、二の丸。
最後は、搦手門(からめてもん)へ降り、駐車場でタクシーを待つ。
天守のある城のような華やかさはなく、まさに戦いの砦。気軽に散策というより、戦いに散った城兵を想って歩いた城でした。