JR東海道線金谷駅で降りる。徒歩30分で諏訪原城へ。駅を降て歩き出すと住宅街を登る。そして、東海道の石畳に到着。ここも登りが続く。ここは、旧東海道の難所の一つだったという。一つずつの石が大きく、凸凹して足が痛い。登山用ブーツなら平気なんだが。
と呟きながら、石畳を過ぎ、お茶畑を歩く。のどか~。遠くの山には、たぶんお茶の木だろう「茶」の文字が。
そして、諏訪原城ビジターセンターに到着。駐車場に大型バスが1台止まっている。おや、普通の観光客も来るのか、と思っていたら、クラブツーリズムの続・百名城巡りツアーだった。添乗員さんに声を掛けたら、今度参加してくださいな~、と言われる。
ビジターセンターには、諏訪原城の精巧な模型がある。また発掘した中には、鉄砲玉や天目茶碗まである。戦いと、お茶の趣味と、面白い。
そして、いよいよ、現場へ。石碑と案内板がある。石碑は新しいが、案内板はだいぶ年季が入っている。
まず大手曲輪と外堀だ。茶畑に隣接している。
この城は、何といっても武田の丸馬出が特徴だ。このお城には6つの丸馬出が残っている。「丸馬出は虎口の前に設けられ、三日月堀と曲輪がセットになった空間。防御だけでなく、味方が出撃するときの拠点にもなる。」(諏訪原城パンフレットより)
そして、一番大きい二の曲輪丸馬出へ。巨大な馬出だ。三日月堀も大きい。そういえば、これ、大阪の陣で真田幸村が作った真田丸に似ている。どちらも武田流築城術か。
復元の薬医門は、工事中でそばに寄れない。遠くから一枚。
二の曲輪から本曲輪へ。何も残ってはいない。本曲輪の先は崖地だ。こっちは防御の必要がない。馬出の方向を守ればいい。
カンカン井戸に水の手曲輪。井戸だけが残っている。この城は、武田方が徳川方の高天神城を攻略するために築城したものだ。従って、武田が滅んだあとは、不要になり、廃城になってしまった。
そして、再び徒歩で東海道を下り、JR金谷駅へ。諏訪原城のそばには喫茶店が2軒ほどある。私は先を急ぐので入らなかったが、休憩にはちょうどいいね。