渋沢栄一検定で出てきたシーン、栄一がパリ万博に出発するとき、妻の弟を養子にした。名を平九郎という。平九郎は、戊申戦争に幕府方として参加し、飯能の戦いで敗れ、顔振峠から黒山に逃れたが、最後は自決した。
今日は、顔振峠と平九郎自害の地を訪ねる。顔振峠は、20年以上前に行ったっきりだ。今も茶屋はあるだろうか、黒山鉱泉は廃業したというがその後どうなってるんだろうか、と思いながら、西武線吾野駅で降り、歩き出す。暫くは川沿いに歩いて、途中からは山道。
1時間ちょっとで顔振峠だ。峠にはちゃんと、平九郎茶屋がある。おばあさんがお店をやってる。入ってサイダーを注文、大河ドラマの影響で、昨日もテレビが来たよって。平九郎は、この茶屋で草鞋を買ったそうだ。
そして下り、なんせバスダイヤが3時間も空いている。12時半のバスに間に合わないと大変だ、ということで午前中から下り始める。1時間ほども下ったあたり、平九郎自害の地があった。石碑と、説明板、それに自害の時、腰かけたと言われる石がある。平九郎は享年22歳、写真を見る限り、幕末・明治のイケメンだ。そばのグミの木は平九郎グミという。赤い実は平九郎の血、という。時期外れで今は、実はなってない。
そばには黒山三滝がある。バスの時間を気にしながら滝を見に登る。しかし、途中で時間切れ、戻る。
途中、黒山鉱泉がリニューアルされて、「くろやま文学館」という、しゃれた喫茶店になってる。休憩に名作小説のステレオドラマが聴けるそうだ。一度入ってみたいな。
一昨日の大河ドラマ、平九郎は、まだ小さな子供として登場していた、ドラマで自決するシーンがあるとすれば、あと10年くらい先のはず。