ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(89) 磯砂山

2014-10-25 08:49:21 | 私の関西百山

 

89  磯砂山( 661m   <丹波高原西部>

(いさなごさん) 661m 。丹後半島のほぼ中間部、京丹後市峰山町にある天女伝説の山。中腹まで車道が通じ、登山道もよく整備されていて、地元の人に親しまれている。
 
 
一夜を過ごした国民宿舎・丹後由良荘を後に、川沿いの府道を南に車を走らせる。正面の磯砂山が次第に近づいてくる。乙女神社近くで道端のおばさんに道を聞き、府道と舗装林道を4㎞登ると「羽衣茶屋」がある。ただしトイレとベンチだけの無人休憩所である。すでに標高400 m、車を置いて小雨の中を出発。
 
 
やや勾配の強い舗装道を 300 m登ったところが登山口で、「頂上まで 1010 段」という標識がある。しばらく登ると左手のガレ場の上をトラバースして、峠状になったところに「磯砂女池」への分岐がある。池へは帰りに寄ることにして、「あと 870 段」を頑張ることにする。雨はいつの間にか止んだ。
 
 
階段は適度な歩幅になるように工夫され、しかもチップが埋め込んであって足に優しく、歩きやすい。右手、海側が開けてきたが霧が出てきて乳白色のベールに覆われている。「南無妙法蓮華経」と彫られた石塔を通過して、ひと登りで頂上の広場に着く。登山口から僅か 40 分、楽なハイキングだった。
 
 
一等三角点があるので展望はよい筈だが、あいにく霧の中で展望はまったくゼロ。ヘリコプターで天から舞い降りたというモニュメントの天女と記念撮影して、元の道を下る。
 
分岐から小さなコブを越えて磯砂女池に行ってみた。今は薄暗い木立に囲まれた小さな水溜まりに過ぎないが、昔は天女が水浴びしたというほど、神秘的で清澄な池だったのだろう。
茶屋に帰る頃、また雨が降り出した。林道から府道へ降りたところで、偶然、先ほど道を尋ねたおばさんに出会った。挨拶すると「天気が悪くて悪かったねえ。どこから来たの」、そして「お茶、飲んでいきませんか」と言ってくださった。昔ながらの旅人への親切が嬉しかったが、このあと太鼓山へ行くので辞退した。
天女神社は、天女の子供を祀ったという言い伝えがあり、前にキャンプ場などの施設をもつ「天女の里」がある。参拝して天女の里でお土産に桃を買った。鱒止の青々した田園風景の中で振り返ると、展望に恵まれなかった私たちを気の毒がるような磯砂山が、「今度はいい天気の時においで…」と見送ってくれていた。
 
2007 年7月26 日【コースタイム】羽衣茶屋 09:10 …登山口09:15 …磯砂女池分岐 09:25 …礒砂山09:50 ~ 10:15…磯砂女池分岐 10:27 …磯砂女池…分岐 10:40…登山口 10:45

 
「礒砂女池の羽衣伝説」(分岐の説明板より)
北畠親房著の元元集(1337年)に『丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に井あり。その名を真井(女池)という。この井に天女八人降り来て水を浴(あ)みき。麓の和奈佐という老父(おきな)、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。天女万病に効く天酒(てんのさけ)をよくす。 十有余年するうち、老父の家富み栄えるも、老父は”汝はもともと、わが児にあらず”と家より追う。天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡(こおり)船木の里にたどりて死す。 里人天女を奈具社(なぐのやしろ)に祀る。こは豊宇賀能売(とようかのめ)の命(伊勢外宮の豊受大神)なり』と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある天女伝説の中でも、極めて格調の高いものである。 大宮町