ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

三十三間山に登る(2012.10.16)

2012-10-18 20:32:47 | 山日記

【三十三間山】標高842.3m。福井県(三方上中郡若狭町)と滋賀県(高島市)にまたがる。独立峰ではなく、三方五湖の南東にある矢筈山、雲谷山から南に走り若狭街道・熊川宿近くの杉山で終わる県境尾根の最高峰である。山名は京都三十三間堂の用材(棟木)を切り出したことに由来する。関西百名山の一。
【登山日】2012年10月16日
【メンバー】イノッチ、丸さん、三輪子さん、変愚院、♀ペン
【コースタイム】倉見駐車場09:40 …林道分岐10:00…最後の水場10:20…夫婦松11:10~11:17…山頂まであと1km地点11:40…風神11:57…県境稜線12:03~12:07…三十三間山山頂12:20~12:30…芝生広場12:40~13:20…夫婦松14:00~14:20…最後の水場14:50~14:55…駐車場15:20

 
 
 先週に続き、丸さん夫妻、イノッチさんと変愚院夫婦の5人で登る。今日は丸さんの車に同乗させて貰い、琵琶湖大橋を渡って伊香立でイノッチ車と合流。花背から朽木と比良山地の西部を北上。若狭町に入ると車窓前方に前山を背にした三十三間山が大きく横たわっている。9時半に登山口の倉見に着いた。
 

大きな表示版に従って広い駐車場に着く。手前側にトイレ、奥に案内図、さらに奥に第二駐車場があり停めてある車が見える。第一駐車場には他に1台だけ先着していた。第二駐車場には登山届ボックスがあり、横に木の杖がたくさん置いてあった。地元の人によく登られている山らしく、後で民宿で聞くと、この辺りでは小学校高学年や中学生も遠足で登るそうだ。登山届を出して出発。第二駐車場奥には「三十三間山」と記された石碑と、その横に山名の由来と、石碑の字は三十三間堂を管理する妙法院主の揮毫であることを記した石碑があった。ゲンノショウコ、ミゾハギ、ノコンギク、イヌタデ(アカマンマ)など秋の花が咲き乱れている草地を抜けると野獣除けの高い柵があり、登山者用の扉を開けて林道に入る。
 
 
幅の広い立派な林道は、左に八幡川の流れを見ながら緩く登っていく。透き通った水が苔むした岩を噛んで白いさざ波を立てる美しい沢だ。所どころに大きな岩が現れる。右手の杉林の中に開けた空地は古い寺院の址か、石垣や灯篭も残されている。20分で二つの林道の分岐に来て、「三十三間山登山道」の指導標に従って右の道に入る。ここが登山口で「山頂まで3Km」と記してある。(Photo by Inocchi)
 

美しい流れに沿った道は、何段かに分かれた小滝を捲くよう登る頃から次第に傾斜を増して、右手の山肌が崩落した箇所にくる。道にもゴロゴロした岩や石が転がり歩きにくくなる。沢が二つに分かれる処で「最後の水場 山頂まで2.4km」の標識があり、♀ペンが2Lの水をペットボトルに補充した。
 

沢には丸木橋が架かっているが浅瀬を渡り、沢を離れてジグザグの山腹に取り付く。しばらくで尾根道に出るが、ずっと急坂が続く。かなり、うんざりする頃、中年の男性が登ってきて「もうすぐ中間点ですよ」と声をかけて先に行かれた。少し展望のきくところがあり「ちょっと一服しませんか」と書いた地元老人会の標識がある。しかし頑張って「夫婦松」の標識まで登る。「山頂まで1.5km」の表示がある。先ほどの登山者が休んでおられて言葉を交わす。高浜の人でこの山には何度も登られているという。やや霞んだ若狭湾や三方五湖を眺めながら休憩する。

夫婦松から勾配はさらにきつくなり、掘割状になって斑ロープが張ってあったりする。だんだん疲れ始めた足を励まして登っていくと「風神」と書かれた場所があり、「風神さん右へ10m」と書いてあったが帰りに寄ることにする。(Photo by maru-san)
 
 
 
 
一登りで県境稜線に飛び出した。ススキの穂が秋風に靡き、美しい笹原と芝生のような草原の向こうに大きく横たわる山頂部が見える。今まで苦しい登り一辺倒だっただけに、一気に開けた展望は胸が空くような爽快さだ。改めて元気が湧いてきて、足取りも軽くなだらかな稜線を歩く。笹原が切れる処で下ってきた3人の男性と行き違う。イノッチが聞いたところでは、中の一人は80歳だそうだが、元気な足取りでとてもそうは見えなかった。
 

芝生の広場では、夫婦松で出会った高浜の男性が昼食中だった。「ここからはすぐだから、食事はここでしたらよい」先に山頂に登っておこうという私と同じ意見で、「ザックを見ていてあげる」というお言葉に甘えることにする。イノッチと三輪子さんは「軽いから」と背にしたままで登る。灌木帯の急坂を登っていくと、林の中にトリカブトがまだ咲き残っていた。葉が枯れたマムシグサ?には赤い実がついていた。やはり空身は楽で、10分足らずで頂上についた。灌木に囲まれた狭い空き地に三等三角点と何枚かの山名板。展望は全くない。丸さんがせっかく担ぎ上げた三脚を忘れて、苦肉の策で木の股にカメラを置いて記念写真を撮る。(Photo by maru-san)
 

引き返して芝生の広場に降りる。先ほどの登山者が私たちの帰りを待っていて下さって、しばらくおしゃべりする。風が強く、肌寒さを感じる。彼の話では、ここは風の通り道で年中こんな様子という。「あれが青葉山」と左手遠くに霞む三角形の山を教えて貰った。「鹿のフンに気を付けてくださいよ」と笑顔で言って下る彼にお礼を言って、芝生に腰を下して大展望を満喫しながらランチタイム。食後のコーヒーは山火事が怖いのでお預けにする。(Photo by maru-san)

いつまでもいて昼寝でもしたい心地よい場所だが、そろそろ空模様も気になってきた。明日は雨の予報なので、今日中に三方五湖の観光もしておきたい。心残りだが重い腰を上げる。稜線を離れてすぐ、風神さんを見に行く。「奉納○○禮理趣分経千○供○○」と書かれた上が太い円錐状の石塔と、般若心経を書いた赤い前掛けの石仏が一体あったが、「風神」らしい神様は見当たらなかった。
 

帰りはさすがに楽で、先頭でどんどん下っていって「愛想がよいので評判の若女将に早く会いたいから早い」と丸さんに冷やかされた。途中で栗が山のようにたくさん落ちているところがあって、中身はすべて食べられていた。この近くで登る時に三輪子さんがお猿さんを見たそうだ。鹿の鳴き声も聞こえた。夫婦松に着いてコーヒータイム。根元のすぐ上で二本に分かれていたが、一本は切られ、残る一本も枯れている。腰を下して熱いコーヒーを楽しんだ。
 

最後の水場で顔を洗い、何人かは丸木橋を渡った。(Photo by maru-san) 
帰りは往きより長く感じる林道を歩いて駐車場に帰る。今回も気の合った仲間と楽しく歩けて、素晴らしい山行ができたことを山の神様に感謝したい。

秋たけなわの矢田丘陵(2012.10.15)

2012-10-15 11:23:44 | 矢田だより

 

快晴の週明け。少し遅めから矢田歩きに出かけました。
いつものお地蔵さんの前に車を置かせて頂きます。田圃では稲刈りが終わりました。
 
 
青空を背にした鈴なりの柿の木。
 

キノコもびっしり。
 

矢田寺の本堂が朝日を浴びています。お参りして、近畿自然歩道に入ります。
 

一汗かいて国見台へ登りましたが、全くの無展望でした。
 

一休みして尾根道を北へ歩きます。
イノシシが掘り返した跡がずっと続き、ヨメナが咲いていました。
 

矢田山最高所です。まほろば展望所で気温17℃。
景色は霞んでいましたが、尾根歩きで汗も引き快適です。

今日は用事があるので、ここまでにして「矢田大石」経由で下りました。
約2時間、11,667歩の気持ちの良い散歩でした。

懐かしい神戸へ(2012.10.13)

2012-10-14 11:28:05 | Weblog

夫婦同志でお友達のKさんご夫妻に、久しぶりに会いに行きました。御影駅に迎えに来て下さった車で、まず六甲山麓のKさん宅にお邪魔します。愛犬のHUGちゃんが、飛びついて歓迎してくれました。

Kさんは知る人ぞ知るガンマニア。集めたモデルガンはなんと600挺、中には1挺ン十万円の物もあり、総額は計り知れません。これはコレクションのごく一部。
 

ちょっと持たせて貰いました。自動小銃、ライフル、拳銃…コルトだけでも何種類もあります。昔、映画で見た懐かしい銃もすべて揃っていて、これはもう趣味の範囲を越えています。
 
 
 
これは女性用の小型拳銃。小さいものでもズシリと重いものもあります。HUGちゃん、こっち向いて!

凝り性のKさんは、今の関心は飛行機でマニヤ用の雑誌や、未製作のモデルの箱がずらり。TVゲーム機から発展したコックピットに座らせて貰いましたが、計器類は本物。手作りですが、かかった費用は奥様の「あじさいさん」にも内緒だそうです。ウンチクを傾けた話を聞きながら思わず1時間もお邪魔して、本命の息子さんのお店へ行きました。
 

JR・六甲道駅のすぐ近くに8月初旬開店されたカフェ・レストラン「hug」。New York-style cafe'  を名乗り、開店前には父君とアメリカまで見学に行かれただけに、驚くほどお洒落な雰囲気です。愛犬と同じ名前ですが、ハグ君の方はお店より3年先輩です。
 

50坪もある店内は分煙スタイルで座席もゆったりしています。Kさんの話によると、テーブルの広さや高さ、色彩にまでこだわって、一度納入されたのにやり直しまでしたそうです。
 

ランチメニューの中から「ロコモコ丼」を頂きました。ご飯の上にハンバーグと目玉焼きを載せてグレイビーソースをかけたもの。ハワイの定番料理だそうです。

こちらは「エビとほうれん草のトマトクリーム パスタ」。仲良く半分ずつ食べましたが、どちらもとても美味しかったです。ご馳走になっていうのも変ですが、お値段もリーズナブル。5人の女性店員も愛想がいいし、シェフはハンサム。これで流行らない筈はないでしょう。50人分の座席がほぼ埋まる盛況でした。
 
 
ご自慢のケーキも薦められましたが、もうお腹一杯で残念ながら辞退。ゆっくり食後のお茶を楽しんで、お土産にマグカップを頂きました。車でハーバーランドへ送って貰い、Kさんご夫妻とお別れしました。久しぶりにお目にかかってお忙しい中をお喋りしたえ上、ご馳走になって楽しい時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。
 
 
 
ここは真っ赤な観覧車が回る遊園地や、映画館もある「神戸モザイク」。海際に広がる複合商業パークです。
 
 
反対側の海側には六甲の山並みを背にしたポートタワーが見えます。
 

ミナト・コウベでの昔の恋人たちのデート、さてこれから何処へ行きましょうか?

秋晴れの金勝アルプスを歩く(続)

2012-10-12 16:14:12 | 山日記

 

13時前、昼食を終えて天狗岩をあとにする。しばらく登って振り返ると、先ほどの天狗岩の左に琵琶湖の湖面が光り、右には緑の鶏冠山が整った姿を見せていた。

 
ここでまた稜線を離れて下り、沢を渡って急坂を登り返すと耳岩である。岩は上部に登るのは危険なので、裏側回ると少し先に天狗岩や鶏冠山、三上山などが見渡せる展望台があった(13:07~13:17)。
 

再び尾根上の縦走路を歩く。松林があると、道の両側にこれまでも見てきた「入山禁止」の白いテープが張ってある。松茸の季節によく見かける景色だが、匂いだけでも嗅ぎたいものだ。何度か階段を登るとベンチがあり、道標の立つ白石峰である(13:27)。右に下ると狛坂磨崖仏への道だが、ここから前回(2004年)は雨で行けなかった竜王山へピストンする。

 

平坦な尾根道を行くと、間もなく茶沸観音がある。岩に彫られた座高50センチほどの石龕仏だが、名前の由来などは分からない。縦走路を離れて右に折れ林の中を下る。階段道をどんどん下ると左手の木の幹に大きなハチが数匹集まっていた。大急ぎで通過して、再び登り返す。いくつか分岐があるが、階段を登っていくと八大竜王を祀る祠前の広場に出た(13:47)。竜王は水を司る神で竜王山の名前もこれに由来している。(写真は1987年10月に撮影したもの)
 

右に少し登ったピークが四等三角点(604.7m)の埋まる竜王山の山頂である。自然林の中だが、窓のように開いた木の間から三上山が小さく見えた。後を追うように登って来た男性ふたりは奈良の山岳会の人で、今日は下見という話だった。私たち夫婦には12年ぶりの懐かしい山頂だ。ザックを置いた竜王社前に帰り、下山にかかる。(14:00)
 

竜王山から白石峰に帰る途中で、いくつかのグループに出会った。連休明けなのに意外に人気のある山らしい。白石峰は休まずに通過。狛坂寺址へ下る道に入る。急坂だが石を並べて段を作って整備され、歩きやすい。薄い浮彫の仏像が残る巨岩の「重ね岩」を過ぎて、最後の展望所「国見岩」で天狗岩と別れを惜しむ。
 

薄暗い林の中の急な下り道になる。前に来た時に比べると、かなり道が荒れている感じだ。石垣の跡を見ながら急な石段を下ると、狛坂寺址に降り立った(14:40~14:50)今は狛坂磨崖仏と平地を挟んで小さな石仏が数対並ぶだけだが、9世紀初めに金勝寺の別院として創建された大寺であったという。奈良時代に彫られた磨崖仏は、高さ6.3m幅4.5mの巨岩に、中央に大きな如来坐像、両側に脇侍の菩薩立像を浮き彫りにしている。上部には化仏が並んでいるが、これは後の補作(鎌倉時代)ともいわれる。
 
 
磨崖仏の岩の上に点々と白い苔のような斑点が浮かび上がっている。最初(1987年)に見たときは、あまりにも鮮やかに線刻が残っているので驚いたものだ。1995年撮影の上の写真と比べても、現在はかなり摩耗しているのが分かる。野ざらしなので風化も激しいのだろう。今のうちに保護するすべはないのだろうか?
 
ここから林道茶沸線に出る道も沢沿いがかなり荒れていた。つい先月の大雨の影響かも知れない。いつもより時間がかかるように思いながら、やっと林道出合にくる(15:08)。四駆でも走れそうにない大石がゴロゴロ転がっている道を下る途中に、「警笛鳴らせ」の交通標識が出ているのが面白い。それでも下流にくるほど道は良くなり、右岸に渡るところからは歩きやすくなった。
 

新名神道の下を潜って谷沿いの道を行くと、右に「逆さ観音」がある。鎌倉時代の三尊像を彫った大岩が逆さにずり落ちたものである。あかあかと夕陽を浴びていた。
 

さらに広くなった流れに沿っていくとオランダ堰堤に出る。草津川の砂防ダムの一つだが、1872年に技師・田辺儀三郎がオランダ人ヨハネス・デ・レーケ指導で設計したもので、川畔にレーケの銅像が立っている。その横から石の堤の上を対岸に渡るとキャンプ場の一角で、間もなく朝の駐車場に帰った(16:20)
一日中、暑いくらいの快晴に恵まれて二つの山頂を踏み、沢歩きやちょっぴり岩の感触も味わいながら、予定通りのコースを歩くことができた。ご一緒した皆さんにも喜んで頂けたようで、本当に楽しい山歩きだった。下見をして下さったり、車に便乗させて下さった丸屋さん・猪花さん、ありがとうございました。

秋晴れの金勝アルプスを歩く(2012.10.09)

2012-10-11 14:16:43 | 山日記

 

琵琶湖南部の大津市、草津市、栗東市にまたがる金勝アルプスは、標高600mに満たない低山の連なりだが、荒々しい花崗岩の巨石が山肌に露出するアルプスの名に恥じない風貌の山である。また、山中には磨崖仏や寺院跡が多く、古くはこの地に仏教文化が栄えたことを伝えている。素晴らしい秋晴れの一日、新しい山仲間と一緒にこの山に向かった。
 

猪花さんの車に同乗させて貰って、新名神・草津田上IC近くで丸屋ご夫妻と合流、上桐生キャンプ場の広い駐車場に車を置く。丸屋さん宅からは自転車でも10分という近さでベランダから山容がよく見えるが、こちらへ来られて間がないので初めての山だそうだ。猪花さんも湖南アルプスなどには登っているが、金勝は初めてで、先日この駐車場まで下見がてら走って下さっている。私たちも前に6度歩いてはいるが、前に来たのは2004年で8年前のこと。懐かしい山がどんな表情で迎えてくれるか楽しみだ。(08:45出発)
 

駐車場をでて数分、左右に池を見て北谷林道を歩く。指導標に従って右に折れると、ミツバチの箱や古い小屋など見覚えのある草地を抜ける。自然林の山道は次第に傾斜を増して、新しい林道に飛び出した。しばらく迷ったが右に行くと標識があり、これも見覚えのある分岐に来た。沢の左岸を登って落ヶ滝に着く(09:20)。滝は落差80mほどあるが、いつも水量が少な目で少し迫力に欠ける。それでも何段にも積み重なった巨岩の間を落ちる姿は実に見事だ。
 

分岐に帰り別の沢に沿って緩く登る。いったん広い河原に出て次に沢筋に入ると、大石にペンキ印があったり、ロープの下がっている大きなスラブ状の岩を登ったり変化に富んだ道になる。ようやく前にもこの大岩を登ったことを思い出した。天気が良すぎるのか、寝不足が祟ったのか、汗がだらだら流れて無性に喉が渇いて調子が出ない。
 

それでも沢歩きが終わると林の中の急坂の登りは短く、しばらく頑張ると北峰縦走路に出た(10:05)。木陰の小広場にひんやりした空気が流れている。初めて腰を下して休んだ後、鶏冠山へ向かう。尾根上の道は木の間から右手に三上山、竜王トレーニングセンターやMIHOミュージアムなどを見下し、かなり急傾斜な悪場も交えながらピークを二つ越える。最後に短い急登をこなして鶏冠山頂上(490.9m)に立つ。林に囲まれ無展望なので、三角点で記念写真を撮って引き返す。(10:45~52)
 
 
登ってくる何人かの人と出会った後、もとの分岐をを通過して尾根道を南へ行く。風化した花崗岩の白砂、緑の松、そこそこに大きな岩を配置されてまるで箱庭のようだ。今日は真っ青な空の下に白い岩が映えて、より美しく目を奪われる。少し風もでてきて爽やかな天気になり、「いいなあ」「いい山やなあ」と言い合いながら景色を楽しんで歩く。大きな岩の一つに登ってみると、先ほど登った鶏冠山や近江平野に浮かぶ近江富士・三上山が絵のように美しい。行く手には巨岩を積み重ねたような天狗岩が逆光に黒々と聳えている。
 

いったん下ってジメジメした沢状の所を渡って稜線へ登り返すと天狗岩の真下に出た(12:15)。涼しい木陰にベンチがあり、昼食にいい時間と場所だが「先に岩に登ってみよう」と衆議一決。ザックを置いて左側のルンゼ状になった所から取り付く。短い鉄の橋を渡って岩の上に立つ。琵琶湖を中心にして湖北、湖東の山々を一望にする胸のすく展望が広がった。鶏冠山は目の前、牟礼山の下に丸屋さんのお家の屋根も見えたようだ。左手の新名神道路が始めてみる景観だ。地元・草津から年に何回もくるという方に記念写真のシャッターを押して貰う。他に赤いシャツの青年が二人、真昼の陽射しを浴びながらお握りを食べていた。
 
 
私たちも岩を降りてランチタイム。(~12:55)

仲秋から晩秋へ(2012.10.06)

2012-10-06 09:48:53 | 今日の大和民俗公園

 

明るくなるのを待って、いつものように大和民俗公園へwalkingに行きました。
公園東側の大棚のヒョウタンは収穫されましたが、西側に少しヒョウタンが成っています。コスモスと一緒に撮ってみました。
 

我が家に帰ると、鉢植えの白花ホトトギスが咲いていました。
季節は晩秋に移って行きます。

天理・竜王山(2012.10.3)

2012-10-05 09:56:43 | 山日記

 

竜王と名の付く山は「コンサイス日本山名辞典」で見るだけでも23座ある。殆どが水神を祀る山で、山麓の農村とのかかわりが深いことを伺わせる。中でも天理市と桜井市にまたがる竜王山は、家から近くて気軽に行ける山なので年に何度も登ることが多い。 今日は1月の初登り以来、急に思い立って出かけた。
【コースタイム】 長岳寺07:25…不動石仏08:10…林道に出る08:40…頂上09:05~09:30…不動石仏10:07…長岳寺10:55
 

日本最古の官道「山辺の道」のほぼ中間にある柳本の長岳寺。淳和天皇の勅願で空海が天長元年(824)に大和(おおやまと)神社の神宮寺として創建したという古い由緒を持ち、地元では「釜口(かまのくち)のお大師さん」として信仰が篤い。まだ先着車が二台あるだけの駐車場に車を置かせて貰い、寛永17年(1640)再建という大門を潜る。
 

すぐに境内を出て山辺の道に入り、T字路で別れて山に向かう。空には雲が多いが雨の心配はまず無さそうだ。柿畑の中の舗装路で急坂を上がっていく。果樹畑で収穫作業をしていた女性に挨拶すると、「良かったら持っていって。渋柿やけど、よう熟したんは美味しいよ」と真っ赤な大きな柿を4個も下さった。
 

早速一つを口にして、残りは大事にビニール袋に入れて皮が破れないようそっとザックに収める。柿畑を抜けると土道に変わり、小さな石仏がポツンと立つところから山道になる。石仏の横のブリキ板に「ハチに注意」と大きく赤字で書いてあった。
 

切り通し状になった急坂に階段が延々と続く。しばらく勾配が緩んだと思うと、再び木の階段道や土嚢を階段状に積んだ道になる。いつも手入れされているが、大雨が降るとすぐまた荒れてしまうようだ。イノシシの掘り返した跡もあちこちに見られる。じっとりと湿気を含み、水が流れている所もあって汗が滴り落ちてくる。「不快指数100やなあ」と♀ペンは背中を濡らすのを嫌って、人目がないのを幸いにザックをお腹の方に回して、得意のカンガルースタイルで歩く。
 

U字に抉れた岩が露出している所もあるが、この山の地質は花崗岩が主なので滑らないのが幸いである。固定ザイルが張ってあるところを過ぎると、ベンチがあり、しばらく勾配が緩む。急な登りでこの不動さんに出会うと、山頂までほぼ半分の道程になる。
 

ヒノキの植林帯に入ると尾根道に出て、しばらくは水平な道になる。右に長岳寺奥ノ院への道を分けると、また階段道になる。しかし休まずにゆっくり登り続けてきたので、少しも苦しさを感じない。
 

最後の急坂を過ぎると勾配が緩み、両側から雑木が覆いかぶさってトンネルのようになっている。ここを抜けると指導標の立つ所が天理ダムから登ってくる車道との出合で、トイレや展望台、案内図などがある。左に緩く下ると北城址、天理ダムに通じているが、今日は右の南城址に向かう。

竜王山頂部には竜王社も二つある。古くから山麓の村がそれぞれに祀ってきたものだが、現在でもこの辺りは藤井町、田町、柳本町の境界が複雑に入り組んでいる。これは車道脇の田竜王社。少し車道を歩いて、右手の大きな説明板のある所から山道に入る。長谷への道を左に分け、昔の砦の跡らしい見晴らしの良いところにでる。さらに何段か平坦地と短い石段を登ると、南城本丸址の広場に出る。

山頂に着くと、橿原から来たという方がベンチでメモを取っておられた。よく登られているそうで「今日は思ったより霞んでいて明石大橋の写真が撮れない」と残念そうだった。しばらく立ち話をして下って行かれたが、私より3歳年長とは思えぬ若々しさに驚いた。

山城は戦国時代に十市氏が築いたが、その規模は上杉謙信の春日山城に匹敵する大規模なものだったという。その本丸跡からの展望はさすがに見事である。こちらは信貴山から生駒山に続く山並み。その下に矢田丘陵が長く伸びている。
 

大和平野に緑の島のように浮かぶ古墳群。その向こうに右から二上山、葛城山、金剛山の峰々が並んでいる。手前の説明版が新しく綺麗になった。
 

三角点横のベンチに腰を下ろしてティータイム。先ほど頂いたカキは甘くてとてもジューシー、その上種がなく美味しかった。空には次第に青空が拡がり見晴らしもよくなってきたが、先ほどから大きなハチが二人の周りをブンブン飛び回っている。長居は無用と20分ほどで頂上を後にする。
 

帰りは護摩を焚いた跡の残る柳本竜王社の横の道を下る。今日は私たちがこの道を初めて通るらしくクモの巣に悩まされながら下る。車道が近くなって人声がして女性二人が登ってきた。車道の分岐で左(南)側の竜王古墳群を通る道に入るつもりだったが、先ほど頂上で道が崩れていると聞いたので、元来た道を帰ることにした。
 

帰りは日が射してきて湿気も少なくなり、風も出てきて朝とは段違いに快適な下りになった。調子良くどんどん下って不動さんを過ぎる。この頃から時々、登ってくる人に出会うようになる。

「今日は登山の日と聞いて、朝の家事を済ませて登ってきた」とおっしゃった地元の女性は、私たちが「郡山から来た」と聞いて「ひょっとしてペンギンさん?」と訊ねられた。何と10年も前からホームページやBLOGを見て下さっている方で、私たちのレポートを参考にして山を歩かれたこともあるとか…。「出会えてよかった」と言っていただいて、こちらこそ思わぬ出会いが嬉しかった。お名前を聞かなかったが、またどこかの山で会えますように…。
 

長岳寺門前の「根上がり松」。下に並ぶ石仏の中には室町時代の古いものも混じっているとか…。非常に快調に登り下りして、♀ペンは「これならもう一度登れる」という。近くの白山(シロヤマ)にでも足を延ばそうかとも思ったが、今日は自重してこのまま帰ることにした。新しい出会いもあり、楽しい半日の山歩きだった。


ホームページ更新しました(2012.10.02)

2012-10-02 18:36:38 | パソコン日記

 「ペンギン夫婦お山歩日記」に「奈良百遊山」のページがありますが、奈良には他にもまだまだ素晴らしい山が、それこそ山ほどあります。私たちが登った中で、ぜひご紹介したい山を10山選んで「奈良100遊山プラス10」としてUPしました。山岳辞典的な紹介でなく、私たちが実際に歩いた様子を写真と共にレポートしています。どうか、ご覧下さい。

101 山上ヶ岳(1719m)
いわゆる大峰山。 いまなお女人禁制を守る山岳修験の山。変愚院の修行の様子も…。

102 頂仙岳(1717m)
往時の「弥山駆出」で大峰奥駆で重要だった山。弥山~頂仙岳~明星ヶ岳~八経ヶ岳周回コースを。

103 三津河落山(1654m)
大台山中に発する紀ノ川・熊野川・宮川の源流がある。周辺の巴岳、如来月、日本鼻、大和岳の紹介も。

104 勝負塚山(1246m)
川上村と天川村が境界争いで勝負した?

105 大所山 (1346m)
別名・百合ヶ岳。ユリの代わりにシャクナゲとブナの美林。山麓には琵琶滝などの渓谷美も。

106 馬ノ鞍峰(1178m)
台高山脈の主稜上にあるが、あまり登られていない不遇の山。南朝の遺跡カクレ平の上に聳える山。

107 蛇崩山(1172m)
だぐえやま。大峰山脈・笠捨山の東南にある。戦後になってニホンオオカミうぃ見たという伝説の山。
玉置山、宝冠ノ森、笠捨山などかっての奥掛最南端の山と共にレポート

108 戒場山(738m)
大和富士・額井岳の峰続き。山麓の戒長寺、近くの伝・山部赤人墓などの歴史散歩を兼ねて。

109 日張山(595m)
宇陀の低山だが、山麓の青蓮寺は中将姫伝説で名高い。

110 外鎌山 (293m) 
とかまやま。低山なれど名山。万葉の昔から「忍坂のやま」と歌われ、朝倉富士、磯城富士と言われた美しい姿の山。私たちは道探しに苦労したが、最近は簡単に登れるようになっています。