ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

秋晴れの金勝アルプスを歩く(続)

2012-10-12 16:14:12 | 山日記

 

13時前、昼食を終えて天狗岩をあとにする。しばらく登って振り返ると、先ほどの天狗岩の左に琵琶湖の湖面が光り、右には緑の鶏冠山が整った姿を見せていた。

 
ここでまた稜線を離れて下り、沢を渡って急坂を登り返すと耳岩である。岩は上部に登るのは危険なので、裏側回ると少し先に天狗岩や鶏冠山、三上山などが見渡せる展望台があった(13:07~13:17)。
 

再び尾根上の縦走路を歩く。松林があると、道の両側にこれまでも見てきた「入山禁止」の白いテープが張ってある。松茸の季節によく見かける景色だが、匂いだけでも嗅ぎたいものだ。何度か階段を登るとベンチがあり、道標の立つ白石峰である(13:27)。右に下ると狛坂磨崖仏への道だが、ここから前回(2004年)は雨で行けなかった竜王山へピストンする。

 

平坦な尾根道を行くと、間もなく茶沸観音がある。岩に彫られた座高50センチほどの石龕仏だが、名前の由来などは分からない。縦走路を離れて右に折れ林の中を下る。階段道をどんどん下ると左手の木の幹に大きなハチが数匹集まっていた。大急ぎで通過して、再び登り返す。いくつか分岐があるが、階段を登っていくと八大竜王を祀る祠前の広場に出た(13:47)。竜王は水を司る神で竜王山の名前もこれに由来している。(写真は1987年10月に撮影したもの)
 

右に少し登ったピークが四等三角点(604.7m)の埋まる竜王山の山頂である。自然林の中だが、窓のように開いた木の間から三上山が小さく見えた。後を追うように登って来た男性ふたりは奈良の山岳会の人で、今日は下見という話だった。私たち夫婦には12年ぶりの懐かしい山頂だ。ザックを置いた竜王社前に帰り、下山にかかる。(14:00)
 

竜王山から白石峰に帰る途中で、いくつかのグループに出会った。連休明けなのに意外に人気のある山らしい。白石峰は休まずに通過。狛坂寺址へ下る道に入る。急坂だが石を並べて段を作って整備され、歩きやすい。薄い浮彫の仏像が残る巨岩の「重ね岩」を過ぎて、最後の展望所「国見岩」で天狗岩と別れを惜しむ。
 

薄暗い林の中の急な下り道になる。前に来た時に比べると、かなり道が荒れている感じだ。石垣の跡を見ながら急な石段を下ると、狛坂寺址に降り立った(14:40~14:50)今は狛坂磨崖仏と平地を挟んで小さな石仏が数対並ぶだけだが、9世紀初めに金勝寺の別院として創建された大寺であったという。奈良時代に彫られた磨崖仏は、高さ6.3m幅4.5mの巨岩に、中央に大きな如来坐像、両側に脇侍の菩薩立像を浮き彫りにしている。上部には化仏が並んでいるが、これは後の補作(鎌倉時代)ともいわれる。
 
 
磨崖仏の岩の上に点々と白い苔のような斑点が浮かび上がっている。最初(1987年)に見たときは、あまりにも鮮やかに線刻が残っているので驚いたものだ。1995年撮影の上の写真と比べても、現在はかなり摩耗しているのが分かる。野ざらしなので風化も激しいのだろう。今のうちに保護するすべはないのだろうか?
 
ここから林道茶沸線に出る道も沢沿いがかなり荒れていた。つい先月の大雨の影響かも知れない。いつもより時間がかかるように思いながら、やっと林道出合にくる(15:08)。四駆でも走れそうにない大石がゴロゴロ転がっている道を下る途中に、「警笛鳴らせ」の交通標識が出ているのが面白い。それでも下流にくるほど道は良くなり、右岸に渡るところからは歩きやすくなった。
 

新名神道の下を潜って谷沿いの道を行くと、右に「逆さ観音」がある。鎌倉時代の三尊像を彫った大岩が逆さにずり落ちたものである。あかあかと夕陽を浴びていた。
 

さらに広くなった流れに沿っていくとオランダ堰堤に出る。草津川の砂防ダムの一つだが、1872年に技師・田辺儀三郎がオランダ人ヨハネス・デ・レーケ指導で設計したもので、川畔にレーケの銅像が立っている。その横から石の堤の上を対岸に渡るとキャンプ場の一角で、間もなく朝の駐車場に帰った(16:20)
一日中、暑いくらいの快晴に恵まれて二つの山頂を踏み、沢歩きやちょっぴり岩の感触も味わいながら、予定通りのコースを歩くことができた。ご一緒した皆さんにも喜んで頂けたようで、本当に楽しい山歩きだった。下見をして下さったり、車に便乗させて下さった丸屋さん・猪花さん、ありがとうございました。