ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

11回目の富士(2.富士宮道を登る)

2011-09-17 10:27:15 | 山日記

9月13日(火)
昨夜は何度も目を覚ました。ご来光を見るために登る何人もの足音、声高な若者のグループの話し声が窓の外でする。隣で寝ていた外国人もしきりに寝返りを打っていたが、0時に小屋の嫁さんが起こしに来て出て行った。その後もトイレに行く人が廊下を通ったり、話し声などで眠りは浅かった。

5時前、朝方になってウトウトしていて♀ペンに起こされる。東の空が明るんできた。

5時33分、宝永山の斜面から太陽が顔を出す。村山古道のメンバーは、その前に頂上を目指して小屋を出ていった。

5時35分、弘子夫人の見送りを受けて出発。小屋の裏には大きな柵に通行止めの標識があるが、みんなそれを跨いで登っている。静岡県は9月5日から冬季登山期間として、六合目から上を通行禁止にしているが実効はない。事故のあった場合の行政の責任逃れ対策だろうか。特に今年は8月に天候が不順だったので、例年になく9月の登山者が多いと渡井さんに聞いた。

この富士宮ルートは、頂上への他の三つの登山道(御殿場、須走、吉田)に比べて距離が短く(五合目~山頂 約5km)、短時間で登れるのが利点だが、勾配のきつい個所が多い。最初の目標となる新七合目の標高が2,780mだから2,490mの六合目から標高差290m。しかし、歩き始めの身体には、最初から急坂の登りは長く感じる。前にあった旧六合の小屋がなくなったので尚更である。

陽が登るにつれ右手からの光線が強く眩しく感じられる。振り返ると宝永山荘の小屋の屋根が小さくなり、雲の帽子をかむった愛鷹山が見える。その向こうに天城連山が浮かんでいる。少し雲は多いものの、上空は青く雨の心配はなさそうだ。ボツボツ夜の間に登った人が下りてくるのに出会うようになった。ちょうど1時間で新七合に着いた(06:35)。小屋の前で村山古道グループが休んでいた。ここのご来光山荘をはじめ、この上の小屋はすべて来年まで閉まっている。

ざらざらの砂礫の道や火山岩が転がる道を交互に登り、ブル道を横切るところで3,000mを越え、新七合から頭の上に見えていた小屋に着く(07:30)。てっきり八合目と思っていたら元祖七合目・山口山荘だった。過去10度も来ているのに、頼りない記憶だ。小屋の横でバナナとビスケットで朝食に代える。水分は前に他の人が欠乏して弱っていたのを教訓に、いろんな飲料を一人2Lづつ持ってきたので、存分に補給する。畠山さんを先頭に村山グループ(何人か下山して6人に減っている)がゆっくりと、しかし着実な足取りで登っていく。私たちも15分ほど休んで出発する(07:45)。ここからは溶岩塊の岩場で、歩き難く傾斜も強まる。

先ほどからつかず離れず登ってきた馬の尻尾のような長い髪の毛を後ろでくくった(まさにポニーテール)若者に「先に行って」というと「ワタシハジメテデスカラ」と答える。艶やかな綺麗な髪なので若い女性とばかり思っていたら、なんと韓国青年だった。「日本語ヘタですか」 (吉本カッ!)と言いながら何やかや話かけてくる。「山始めてです」というので、♀ペンが「日本では?」と聞き返すと「韓国でも」。何でも義理の兄さんが富士宮にいてそこから来たらしいが、ジャンパーを手にしたTシャツ姿で手にはペットボトル1本の空身。「この上、小屋開いてますか」「自動販売機ありますか」「頂上まであと何時間ですか」とうるさくてしょうがない。「私たちはジイサン、バアサンだから先に行ってくれ」というと、しばらく行って岩の上に腰を下ろして待っている。「日本のオジイサン、オバアサン強い。韓国でもそう。韓国若者弱い」そうだ。またアト何時間と聞くので、八合目から2時間といってやったら、ついに「アイゴー!八合目までで止めます」と言った。そして、やはり前後して登ってきた若いペア(あまりイチャイチャするので、どこの国の人かと思うと日本人だった)に話しかけに行った。ヤレヤレ。

今年の富士は若い人に人気があるようだ。それもカラフルな新素材のファッションに身を包んだ軽装の人が多い。なかにはウエストバッグ一つの人も。まあ、今日は大丈夫だろうが天候急変の時はどうするのだろう。さすがに年には勝てず、何人もに追い抜かれる。下りてきて道を譲るのに待ってくれた人が、上に向かって「オーイ!きりぎりす!」と叫んでいる。すると帽子からスパッツ、靴まで全身を明るいグリーンに統一した若者が跳ぶように駆け降りてきた。(吉本カッ!)

おかげで気もまぎれて、あまり辛くなく八合目のテラスが頭上に見えた。最後の急坂をゆっくり上ると八合目・池田館(08:30)。村山古道メンバーの記録係らしい女性が写真を撮ってくれた。このグループとは、ここまで追いつ追われつしながら来たが、追われるとシンドイので後は少し間をあけて追尾しよう(08:40発)。

八合目(3,200m)から再び砂礫の道になり、ゆっくり踏みしめるように登る。右手に昔は9月でも万年雪の残っていた大きな沢が見えるが、温暖化のためか雪のかけらもない。始めて富士に登った時、お世話になった九合目・万年雪山荘の前で、また村山古道の女性にシャッターを押してもらう。(09:30)

25年前に75歳だった義父は、15時10分に五合目駐車場を出て18時50分、3時間40分でここに着いている。今回私たちは六合目からで4時間かかっている。100歳を越えた今でも義父が元気な筈だ。

低い屋根、頑丈な石積み作りの九合五勺・胸突山荘。(10:15)
最後の胸突八丁の急登りに備えて、ハチミツ漬けのレモンを食べる。二人で重いザックを担いでテント泊していた頃、よく口にした懐かしい味が元気を与えてくれる。

柱だけ残った鳥居の跡を過ぎるといよいよ胸突八丁。前を行く村山古道グループは相変わらず悠揚迫らない足取りだが、一人かなり足を引きずるようにしている人がいた。私たちは二度ほど立休みして息を整えて登る。

この鳥居をくぐると、いよいよ富士宮山頂だ。

11:10 富士宮頂上。浅間大社奥宮に参拝した後、右手のご来光を見る岩場でしばらく休む。人影のなくなった社前で写真を撮って剣ヶ峰に向かう(11:25)。

富士宮頂上の標高は約3,730mなので最高峰・剣ヶ峰との標高差はあと50m足らず。まず砂漠のような道を左手に三島岳(3760m)を見ながら行く。右手の「このしろ池」は干上がって全く水が見えない。正面に見える景色は、白いドームがなくなって測候所も無人になってから荒涼とした廃墟のように変わった。V字の底の部分から道は左下へ降りるブル道になる。右へ折れると最後の難所、「馬の背」と呼ばれる急勾配の砂礫の道になる。

滑り落ちそうな急斜面を一歩一歩踏みしめながら「富士山特別地域気象観測所」に近づく。

観測所前の階段を登り、建物の前にある「日本最高峰・富士山」の碑で記念写真(11:40)。シャッターを押してくれた若者たちの顔も、この空のように晴れやかでにこやかだ。ここに来ると誰も、今までの登りの苦しさなど忘れて達成感に浸っているようだ。碑の右手に二等三角点(3775.63m)が見えるが…

実際の日本最高点(3776m)は数メートル左奥に離れたこの絶壁の上である。赤いペンキのマークがあり、なぜか溶岩の隙間に硬貨が散らばっている。下を覗きこむと足が竦み思わず腰を下ろした。

さらに山頂の一番奥には電子基準点が設置されている。国土地理院の発表では『ピラーの高さは3mあり、電子基準点の標高(アンテナ底面)は3777.5m』でここが正式な日本最高点ということになる。『なお、これにより一般に知られている富士山の標高3776mを変更することはありません。』 ということだ。

正面の柵が見える辺りに昔は鉄梯子があり、「お鉢巡り」コースに入るのに利用した記憶がある。また(写真)左手には展望台があり、3年前にはここで大展望を楽しめたが、今はロープが厳重に張り巡らされて登れなくなっている。今日は雲も多いし、何度も見た風景なので特に残念でもない。無風快晴で陽射しが強い。唯一、日の当たらない基準点の陰で、富士山では定番にしている柿の葉寿司の昼食をとる。