ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

月山・弥陀ヶ原

2011-07-20 09:02:38 | 旅日記
鳥海山・獅子ヶ原湿原と出羽三山の旅(4)

『八日、月山にのぼる。木綿(ゆう)しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包(つつみ)、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に氷雪を踏てのぼること八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶(たえ)身こごえて頂上にいたれば、日没して月顕(あらわ)る。笠を舗(しき)、篠を枕として明るを待。日出て雲消ゆれば湯殿に下る。』
 松尾芭蕉の「奥の細道」でも特に好きな個所です。江戸時代には月山の登拝口は八方七口といわれ、羽黒山の羽黒口をはじめ、庄内側に三か所、内陸側に四か所の登山口がありました。
奥の細道には『六月三日、羽黒山に登る。…四日、本坊にをいて俳諧興行。…五日、権現に詣(もうず)。』とありますが、羽黒山に参詣したあとの六日、七日の記述がありません。芭蕉はどの道を登ったのでしょう?



今は深田百名山の一つにあげられる月山。殆どの登山者はこの八合目からスタートします。
 自動車道路の終点でバスを降りるとすでに標高1,400m。この標識の後ろに月山の大きな山容が横たわっている筈なのですが、残念ながら濃いガスに覆われて、山頂部はおろか、ほんの少し先までしか見通せませんでした。



八合目は湿原地帯で、「いろは四十八沼」といわれる大小の池沼が散在し、ワタスゲなどの植物が生えています。なかでもホンモンジスゲは水田の稲穂に似た実をつけるので「御田ヶ原」の名が生まれました。
 現在では「弥陀ヶ原」の方が通りがよく、高山植物の宝庫として知られています。ここで1時間半、自由散策をします。



湿原の中を一周する木道の遊歩道が設けられていて全部回っても3kmほどですが、バスの時間があるので途中の中之宮から半月形にショートカットするように言われています。
 ここが「中之宮」御田原神社。参籠所として宿泊もできるそうです。ここで神札の代わりに神印を押した手拭を授かりました。

月山神・月読命(つくよみのみことが)が姿を現したのは欣明八年(547年)丁卯の年と伝えられ、以後、卯の年は「卯歳御縁年」として、この年に参拝すると特にご利益があるとされています。



月と関係が深い「ウサギ」は豊穣の象徴であり、また月読命は農耕と漁猟の神とされています。



この鳥居をくぐって10分ほどで頂上への道と分かれます。「頂上まで登りたいなあ」





一面のガスの中にニッコウキスゲが浮かんでいます。



弥陀ヶ原で見た高嶺の花たち。ミヤマホツツジ



イワイチョウ



ウラジロヨウラク



ゴゼンタチバナ



トキソウ。他にキンコウカ、コバギボウシ、ハクサンチドリ、イワカガミ、チングルマ、ヨツバシオガマなど。ミズバショウは花が終わり、葉がお化けのように大きくなっていました。



名残を惜しみながらバスに帰りました。