ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

11回目の富士(4.さらば富士、また来年)

2011-09-19 16:17:46 | 山日記

宝永火口縁からは数分で宝永山荘に着く。17時前、小屋横でちょうど富士宮口登山口を降りてきた実川さんにバッタリ出会い、一緒に山荘に入る。

今日は、たまたま実川さんの「富士山1111回登頂」の日だった。宿泊客の明石のMさん、宝永山荘の渡井正弘さんと一緒に記念撮影。それにしても、凄い記録だ。

昨夜と違って今夜の宿泊客は私たち以外にはMさん夫妻だけ。百名山挑戦中で、富士山は92座目。ネットで調べて開いている二軒のうち宝永山荘にしたそうだ。M夫人は渡井弘子さんから実川さんの話を聞き、「凄い」と目を丸くした。さっそく、ここにも置いてある著書「富士山に千回登りました」にサインを貰っている。

「本をもってきたらよかった」と言っていると、正弘さんが「これに書いてもらいな」と日の丸の旗を渡してくれた。
夕食を終えた後も、実川さんとビールを飲みながらお互いの近況や、この宝永山荘で知り合った共通の知人の話で盛り上がる。

18時15分、十六夜の月が宝永山の肩に登った。19時過ぎ、実川さんが小屋を出る。今夜は五合目の車の中で寝て(連続登頂はこのスタイルが多い)、明日朝、また登ってくるそうだ。

9月14日(水)
山を下りる日がきた。Mさん夫妻は5時過ぎに出発していった。
私たちはゆっくり朝食を頂いて、グズグズしている。浅間大社本宮に参拝してから帰る予定だが、社務所が開くまで時間を潰しているのだ。実は、富士山頂奥宮では70歳以上の登拝者は白扇とお神酒を授かることができる。ただし、山頂の社務所は8月末で閉まる。毎年のように奥宮にお参りしているが、混雑を避けて9月から10月中頃に登っているので、まだ頂いていない。

昨夜、渡井さんに今日の予定を話すと、「登頂証明書があれば里宮でも頂けるようになったようだ」と証明書を貰っている。

8時前、実川さんが3人の仲間と登ってきた。今日は「主杖流し」を登るそうでヘルメット姿である。「主杖流し」は旧六合目の上から「お中道」へ出て、沢をいくつか越えたあと溶岩の岩盤や涸れた沢筋を直登して測候所の直下にでるルートだそうだ。4人のうち3人が表富士の山岳ガイドという最強メンバーだ。登山口まで見送り、私たちも山荘に別れを告げる。

渡井夫妻に見送られて宝永山荘をあとにする。砂礫帯のオンタデや

ミヤマオトコヨモギの花とも1年間のお別れだ。

青空を背にくっきりと稜線を見せる山頂部を見返りながら駐車場に帰る。今日も朝から多くの車で賑わっていた。

裾野の道を下って富士宮市街に入り、浅間大社の駐車場に車を入れる。紅白のハギが満開だった。

ここは、日本国内に約1300社ある浅間神社の総本宮である。創建は垂仁天皇の3年(BC.27 !!)。807年、坂上田村麻呂により現在の土地に移されたと伝えられる。神体山はもちろん富士山。
朱塗りの楼門へ登る階段の途中に鉾立岩が見える。山宮御神幸の際、神鉾(富士山頂の神霊を納めた鉾)をこの岩に立てて休めた場所で、この行事は明治まで続いたという。

手前が拝殿、奥が本殿。楼門とともに1604年(慶長9年)徳川家康の造営。本殿は二重の楼閣造りで、「浅間造り」といわれる美しい建築形式である。



参拝を済ませ、社務所で神饌料を供えて事情を話したが、かなりの時間待たされた挙句に「今年の分は無くなりました」とのことで、代わりに杓文字とお箸を授かった。扇子が欲しかったのに残念だ。

 

本殿左手にある「三ノ宮」、右手には同じように七ノ宮がある。

特別天然記念物・湧玉池(わくたまいけ)
本殿右にある泉水池で、富士の雪解け水が溶岩を潜り抜けて、ここから毎分6,300リットルも湧き出している。かって富士登山をする人は、この水で身を清めてお山に向かったという。左の赤い建物は水屋神社。手前に水を汲む蛇口が並んでいるが、「煮沸して使うように」注意書きがあった。

次第に日差しが強まって下界の暑さにたまらず車に帰り、今年の富士登山を終えた。