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ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

伊勢神宮参拝(2014.01.14)

2014-01-15 13:38:39 | 旅日記



今年は少し遅めの「お伊勢参り」でした。大きな燈籠が出迎える外宮の入り口から


表参道火除橋を渡り、大鳥居を潜ります。


水が撒かれた玉砂利の参道を進むと、神楽殿の前を通り旧社殿の前に来ます。昨年10月、20年ごとの式年遷宮が行われ、神様は新しい社殿に移られましたが古い社殿はまだ残っていました。


衣食住をはじめとする産業の守り神「豊受大神」をお祭りする新しい正殿が左に建てられています。御垣内の中に入り参拝はできますが、内部の撮影はできません。


別宮への入り口にある亀石。近頃なぜか人気のあるパワースポットです。


正殿を背にして亀石の前を進むと、右手に1の土宮があります。もともとはここ山田原の地にあった地主神(土着の鎮守さま)・大土乃御祖神を祀っています。2は元寇のときに神風を吹かせて敵を追い払った風の神様をまつる風宮。ここから坂道を登った小高いところに豊受大神の荒魂を祀る3多賀宮(高宮)があります。4は参拝を終えて帰る途中で大杉と太さを競う♀ペン。


バスで内宮へ行き、宇治橋を渡ります。外宮でもそうでしたが、もう1月半ばなのに絶え間なく参拝者が行きかっています。


御手洗(みたらい)所で五十鈴川の清流で身も心も清らかにして…




五重!の垣根に囲まれた正殿におわします天照大神に参拝します。


奥にある旧殿地をぐるりと回りました。これは初めての経験です。


御厩(うまや)横から参集殿にでて陶器の縁起物を授かり、参集殿でしばらく休んで子安神社にも参拝して境内をでました。


そのあと御祓い横丁を散策。ここもすごい人です。ようやく少し疎らになった処で…




赤福本店前はいつもの行列で店の人が「最後尾」の札を掲げていました。

 

お蔭横丁ではリニューアルされた「おかげ座」で、古事記や日本書紀に基づく日本神話の映像や、爪や髪の毛まで表現した精密な和紙人形の展示を楽しみました。予報がいい方に外れて、少し気温が低かったものの素晴らしい快晴の一日でした。


2013年の旅(2)

2013-12-30 10:42:41 | 旅日記

4月8日 美濃の花めぐり
里帰り中の娘、孫と4人でH社の日帰りバスツァーに参加、美濃路の花の名所を訪ねました。



まず岐阜県海津市にある国営木曽三川公園センターへ。ちょうど「チューリップ祭り」が行われていて、約1時間、たっぷりと艶やかな花の饗宴を楽しみました。



西国三十三国霊場満願の寺・谷汲山華厳寺では「さくらまつり」の最中でした。約300本のソメイヨシノ並木の参道を本堂へお参りして、孫と戒壇巡りもしました。ちょうどお釈迦様の誕生日で「仏生会」の甘茶を頂きました。



バスの正面に真っ白な能郷白山の姿を見ながら本巣市根尾谷へ。「蕾の時はピンク色、満開に至ると白色、散りぎわには特異の薄い墨を引いた色になる」薄墨桜を鑑賞して、たっぷりと季節の花を愛でることができて大満足の一日を終えました。


4月23日 八重桜と牡丹の寺



山友達の幸ちゃんに案内して貰って、孫と三人で広陵町の新家長福寺へ行きました。ガイドブックなどには紹介されていませんが、古くから「桜御坊」と呼ばれ、知る人ぞ知る隠れたサクラの名所です。それほど広くない境内に色々な種類の八重桜が植えられ200株を越すボタンと妍を競っています。フジの花も満開で見事でした。


4月26日 岡寺の石楠花と牡丹



山門をくぐり石段を登ると美しい庭園に色とりどりのボタンが植えられています。本堂にお参りし、竜蓋池の前を奥ノ院に向かう参道の両側は満開のシャクナゲです。



奥ノ院から本堂南側の斜面に続く
道もシャクナゲのトンネル。三重塔の建つ台地で展望を楽みました。「花の寺」の名にふさわしく他にも様々な春の花が目を楽しませてくれました。


5月23日~24日 黒部トロッコ列車と雪の大谷
CT社の一泊バスツァーの旅で黒部へ。朝、奈良を立って宇奈月着は15時。



トロッコ列車で黒部渓谷探勝。目も眩むような絶壁を縫って、いくつものトンネルを抜けて鐘釣まで行きました。



約1時間の自由散策時間に万年雪展望台、河原の露天風呂、薬師堂などを見て宇奈月に帰りました。この夜は富山のホテルに泊まりました。

翌日は立山へ。快晴の空の下を美女平、弥陀ヶ原と登っていくうち、車窓から見える辺りの景色は新緑のブナ林から純白の世界に変わり、車内のあちこちで歓声が上がります。室堂バスターミナルで下車、2時間の自由行動。



何はともあれ雪の大谷ウォーク。10年前に黒部ダム側からケーブルやバスを乗り継いできたときは凄い風雨で外に出られませんでしたが、この日は照り返しで暑いほどの良いお天気でした。終点近くの最高地点で壁の高さは16m。

室堂バスターミナルへ引き返し、北側の雪原へでました。雪面からの反射で目が痛いほどの青空の下に大日岳、剣岳、別山から雄山へと続く稜線…ぐるりを取り巻く山々の様々な思い出を胸に、帰りのバスに乗りました。


6月24日 出雲大社



直径52㎝、高さ6mの銅製の大鳥居を潜り、正面の拝殿に進み
ます。普段は正月5日間以外は拝殿右手にある八足門までしか入れません。今年は昭和28年以来60年ぶりの「平成の遷宮」の年で、拝殿と本殿との間にある楼門まで入って参拝することができました。普通の神社と違ってここでは二礼、四拍手、一礼です。太さ8m、長さ13.5m、重さ4.5tの日本最大の注連縄が張られた神楽殿に昇殿して、厳粛な気持ちになって頭を垂れて参拝。神主さんの祝詞、巫女さんの舞の奉納のあと、御祓いを受けてお神酒とお授けものを頂きました。


10月6日~8日 北東北の旅
丸さんご夫妻をお誘いして、3日間のJTBハイキング・ツァーに参加しました。
6日 伊丹発のJALで1時間の空の旅。1時間20分で着いた「いわて花巻空港」はあいにく今にも泣きだしそうな空模様でした。

いったん南下して一関市厳美渓(1)で昼食。出発まで天然記念物の渓谷美を観賞しました。午後は霧雨の栗駒山麓世界谷地(やち)を散策(2,3)。秋田県鹿角の湯瀬温泉に泊まりました。



7日 夜来の雨が上がった八甲田山へ。ロープウェイで田茂萢岳へ登り、田茂萢(たもやち)湿原から美しく紅葉した上毛無岱(けなしたい)、下毛無岱を経て酸ヶ湯へ下りました。



酸ヶ湯で入浴中、激しく降っていた雨も小降りになり、和田湖畔の宿へ移動する途中で奥入瀬渓谷を歩きました。



8日 発荷峠から八幡平へ。朝から無情の雨が降り続き、八幡平の頂上はガスと雨で無展望でした。
山頂ハイキングは急遽、後生掛温泉周辺(1~3)と大沼のハイキング(4)に予定変更されましたが、普段ツァーでは行くことのないコースを歩けて、まずは満足の旅でした。


11月5日 奈良公園



正倉院展に行きました。「なら仏像館」、青銅器館もゆっくり見て、奥村記念館の屋上に登り、夢小路から大仏殿周辺を散歩。紅葉も始まり鹿クンもたくさん群れていました。
飛火野の紅葉も進んでいます。秋の奈良は外国人も含めて大勢の観光客で賑わっていました。


12月8日 京都東山散策



年に二、三度顔を合わせ、食事会やハイキングなどを楽しんでいるイタリア・ツァーのお友達と京都東山・三条通りにある文久元年創業の「三味洪庵」で昼食会。そのあと南禅寺、疎水、哲学の道を散策しました。まだ見事な紅葉で特に永観堂が圧巻でした。京都駅前で夕食後、京都タワーの灯りに見送られて帰りました。

今、1年を振り返るとここ二、三年の間にだんだん山歩きの回数が減り、旅行=それも安直な旅行会社のツァーにシフトしていくようです。それでもバスや飛行機での移動に耐えられる間は、内外の見知らぬ土地を訪ねて、まだ衰えぬ好奇心を満たしていけたらと欲張っています。それでは皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。


2013年の旅(1)

2013-12-29 09:46:57 | 旅日記

今年初めての旅は「台湾10大都市周遊5日間」のツァーでした。初めての台湾は思いのほか見所が多く、気候も過ごしやすい季節でしたので楽しい旅になりました。

3月3日 昼過ぎ台北に着き、まず陶芸の故郷といわれる鶯歌(イングー散策。かっては尖山埔路と呼ばれ、両側に製陶工場が並んでいた鶯歌老街は、今は工場は郊外に移転して陶磁器の店を中心とした町並みになっている。

次に三峡(サンシア)へ。三峡渓に架かる長福橋を渡ると賑やかな三峡老街で、亭仔脚と呼ばれるアーチ型のアーケードの下に赤煉瓦の立派なバロック式建築が並ぶ賑やかな商店街である。近くの清水祖師廟は災難除けや福を授ける神様として人々から篤く信仰され、建物の至る所に芸術的な素晴らしい技巧がこらされた台湾美術の宝庫である。

旧暦正月15日は台湾四大節句のひとつ「元宵節(げんしょうせつ)」で、台湾各地でこの日を前後にランタンフェスティバルが行われる。今年のメイン会場・新竹高速鉄道駅前広場で人混みの中を約1時間、夢のように美しくも妖しい世界に迷い込んだような一刻を過ごした

3月4日 台中のホテルを出て宝覚寺へ参詣。境内の金色に輝く布袋さん(弥勒菩薩)は高さ30.1m(1)。本堂の釈迦三尊に詣でて外に出ると、戦時中に亡くなった日本人や台湾出身で日本軍人として戦い戦死した人の慰霊碑や納骨堂があり、改めて台湾と日本との深い関わりを感じさせられた。台中を出て、標高750m地点にある台湾最大の湖・日月潭(リーユエタン)(2)へ。真ん中の島を境にして北側が円形に近いので日潭、南側は三日月形なので月潭と呼ばれる(異説あり)。湖を見下ろす文武廟には孔子、武聖関公(関羽)、開基神明が祀られている(3,4)。

午後は日月潭から1時間半ほどの台南へ。清代初期には首府として台湾の政治・経済・文化の中心地として栄えた。赤嵌楼
は1652年、当時台湾を占領していたオランダ人が築いた城の址。現在は清時代の海神廟と文昌閣が建ち(1)、北東稜堡基礎部分の煉瓦が残っている。また1661年、抵抗運動の末、オランダ人から台湾を解放した鄭成功記念像が庭園に立っている。蓮池潭(リャンチータン)は高雄市郊外にある周囲約5kmの美しい淡水湖である。自由行動になったが、楽しみにしていた龍虎塔(2)は残念ながら修理中で登れなかった。池の周辺のお堂などを遠望しながら、中央の橋まで行ってハスの花を見た。夕刻、台湾南部にある台湾第二の都市・高雄(カオシュン)に着き寿山公園から街の展望を楽しんだ(3)。レストランで夕食後、長さ数百mに渡ってずらりと屋台が連なる六合国際観光夜市 (4)を散策した。


3月5日 台湾3日目は西海岸南部の高雄から東海岸ほぼ中央の花蓮まで338kmのバス移動である。原住民の集落(1)がいくつか点在する山間部を走り抜けて東海岸にでる。台東で昼食後、65キロ北東の三仙台へ。元は一つの岬が海水の浸食で先端が離れ、三つの岩の小島となったものである(2,3)。美しい海岸美を鑑賞したあと、再び11号線を北上。静浦の北回帰線標誌(記念塔)で休憩(4)。北回帰線は23度26分22秒を通り、西海岸台湾海峡側は嘉義を通っている。この線より南は熱帯で北は亜熱帯とされている。この日は花蓮(ホアリェン)で泊まった。

3月6日 盛り沢山なスケジュールの最初は、まず太魯閣(たろこ)渓谷。花蓮県を流れる立霧渓が大理石などの硬質の岩盤を侵食して作り上げた美しい渓谷で、標高3000m級の中央山脈を通り花蓮と台中を結ぶ「東西横貫公路」が通っている(1)。今はバスの窓から楽に渓谷美を眺められるが、道路工事中には212人の尊い犠牲があった。長春祠はその霊を慰めるために建てられた(2)。花蓮に帰り名産の大理石工場を見学した。特急列車で移動するはずだったが、先行の貨物列車の脱線事故のため駅は人で溢れている(3)。結局、バスで山越えして北行するが、海からすぐに迫る断崖上の道路が鉄道ともつれ合うように、幾つものトンネルを連ねながら続いていて(4)、何度も肝を冷やす。結局これで台湾をバスでほぼ一周することになった。

九フン(人偏に分)は台湾北東部にあり、戦前(清の時代から)は近くの金瓜石に東洋一といわれた金鉱があった関係でゴールドラッシュで栄えた町。閉鉱後はノスタルジックを感じさせる往時の町並みがそのまま残り、今は新しい観光の町となって生まれ変わっている。映画「非情都市」で有名になったが、その舞台となった阿妹茶酒店が(2)。この町は宮崎俊監督の「千と千尋の神隠し」の舞台でもあり、阿妹茶酒店の向かい側には『神隠少女』湯婆婆的湯屋…の看板を出し喫茶店があった(3)。(4)は「昇平戯院」。台湾最古の映画館で今は資料館のような形で保存されている。しばらく坂の多い町を散策した。

台北に着いたのは17時を過ぎていて、慌ただしく故宮博物館を見学した。何しろ70万点の収蔵品を有する博物館なので、わずか1時間余りの見学ではその一端に触れただけに終わった。ホテルで夕食を済ませ、台北101へ。高さ509.2m、地上101階、地下5階の台北のシンボルタワーで、ショッピングモールや証券取引所、銀行や企業も入る複合ビルである。世界最速」を誇るエレベーターで89階の展望階に昇り、美しい台北の夜景を見下ろした。ホテルに帰ると21時、長い一日だった。

3月7日 最終日はゆっくり起きて二人で台北のホテル周辺を散策した。まず朝市を見て迪化街(テイーホァチエ) へ(1)。19世紀中頃の清代に貿易商人が形成し始めたというだけに、100年を超す老舗がずらりと並ぶ問屋街である。その一画にある台北霞海城隍廟に詣でる。ツァー最後の目的地は中正記念堂(2,3)。「中正」とは蒋介石の名前で(介石は字・あざな)、彼の遺品などが飾られている。日中戦争の相手だけに、われわれ高年者には複雑な思いだった。これですべての日程を終えて台北空港へ向かう(4)。

台湾は時差が僅か1時間でフライトの時間も短く、気軽に行くことができる「外国」である。人々は概して好意的で暖かく接してくれる。とくに高年者には親日家が多く、日本語で話しかけてきて君が代を歌ってくれた人までいた。お蔭で楽しく過ごせて、是非また再訪したいと思っている。


初冬の東山散策(2013.12.8)

2013-12-10 15:41:27 | 旅日記

「三味洪庵」での食事会を終えて、イノッチさんの案内で東山の散策を楽しみました。
白川沿いに北へ歩いて神宮通りの平安神宮鳥居を右に折れます。

京都市動物園のフラミンゴを横目に見て…

琵琶湖疎水記念館横から南禅寺へ…

歌舞伎・楼門五三桐の石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」で名高い三門(普通は山門と書くが、これが正しい…と登楼券に書いてありました)に登りました。

門上から北の眺め。右端に大文字山、その上に比叡山…中央遠くに金毘羅山方面。

東側に並ぶ塔頭を見下ろしたところです。

その塔頭の一つ・南禅院から疎水橋へ歩きます。

琵琶湖から京都へ流れる清らかな水です。

南禅寺を出て北へ歩きます。永観堂のモミジはまだ真っ赤でした。

境内はモミジの絨毯を敷き詰めたようです。

熊野若王子神社の前に「新島譲と八重の墓」への道標がありましたが、片道20分かかるので今回はお預け。哲学の道を少し歩きました。横を流れる疎水には10cmを越えるニゴイが何匹も泳いでいました。

歩数計の数字が1万歩を超えたところで、白川通へ出てバスで京都駅へ。渋滞もあって結構いい時間になって駅前のビルの大きな居酒屋で夕食をとりました。色々なお摘みとお好みのドリンクでまたまたお腹いっぱい幸せ一杯。

京都タワーの灯りに見送られて、楽しい一日を終えました。若い頃から何度か二人で訪ねた懐かしいスポット巡りでした。
イタ友の皆さん、ありがとうございました。またお会いしましょう。


京のおぞよ

2013-12-09 20:42:15 | 旅日記

穏やかな師走の日曜日、二人で京都へ行きました。二年前のちょうど今頃、イタリア・ツァーで知り合ったお友達とは、それから一年に二、三度顔を合わせ、食事会やハイキングなどを楽しんでいます。

今回は京都東山・三条通りにある文久元年創業の「三味洪庵」で昼食会です。



すぐ傍らを白川のせせらぎが流れ、カモたちが遊んでいます。(イノッチさん撮影)

食事に先立って参加者全員で記念撮影。後列左端、和服姿の「ちい姫さん」が今回の手配から当日のお世話、前列左端のイノッチさんが食事後、周辺散策の案内をしてくださいました。

食事は口取り二段重で始まりました。

次は蓋物

季節の野菜

西京みそ焼きは鮭、鱈、鰈から選べます。そしておぞよ、白味噌仕立、白ご飯。
「おぞよ」とは京の「おばんざい」のことですが、さりげない普段の食べ物に京都らしい繊細な味と彩りを感じます。
飲み物はやはり日本酒が似合いです。

そしてデザートに丹波黒豆豆乳プリンを頂きました。少量づつですが結構お腹一杯になり、楽しくおしゃべりしながらの昼食会を終えました。 


晩秋の奈良公園(2013.11.05)

2013-11-05 18:06:12 | 旅日記

連休明けの秋晴れの日。正倉院展に行きました。

高畑の民間駐車場に車を入れて、浮見堂の橋を渡って会場へ…。

まだ早かったので10分ほど並んだだけで入場できました。

たくさん見た出陳品のうち、主なものを絵葉書から構成してみました。左上から時計回りに平螺鈿背円鏡、花喰鳥刺繍残片、蘇芳地金銀絵箱、投壺と投壺矢。

漆金薄絵盤、鹿草木夾纈屏風、漆金薄絵盤投壺の部分、鳥毛帖成文書屏風。
今回、一番人気のあったのは漆金薄絵盤で、すぐ傍で見るには別の列に並んで1時間待ちということです。それほど熱心な美術愛好家でもない変愚院夫婦は、並ばずに縄張り?の外からキリンに変身して見ましたが、結構よく鑑賞できました。



地下通路を通って、なら仏像館、中国古代青銅器館もゆっくり見学して外に出ました。2時間近くの鑑賞で少々疲れたので、登大路を渡って向かい側の
奥村記念館で休憩。



屋上展望所からの眺め。大仏殿のシビが金色に輝いています。右は南大門。



「東大寺門前夢風ひろば」をしばらく散策して南大門へ…

大勢の鹿クンが観光客に餌をおねだりしていました。



二月堂参道よこから鏡池の畔を巡って…

今日は大仏殿には入らずに外から拝んで若草山の方へ…素晴らしい紅葉です。

飛火野の紅葉も進んでいます。駐車場に帰ると通路にまで車がぎっしりで驚きました。
さすが秋の奈良は外国人も含めて大勢の観光客で賑わっています。


雨模様の北東北の旅(4)~ 八幡平

2013-10-13 08:37:27 | 旅日記

10月8日(火)昨夜の「天気まつり」では飲み足りなかったのか、祈りも空しく夜半から雨が降り続いている。早くも今年26号の台風が影響しているらしい。8時バスで出発。

十和田湖畔を走り発荷峠から十和田湖を見下ろす。晴れていれば絶景の展望台だが、湖面が見えているだけでよしとするか…。峠を下ると真っ赤な鈴なりのリンゴ畑や、古代のピラミッドと言われている三角錐の山など見ながら八幡平を目指す。


 

登るにつれ次第に激しさを増す雨に、楽しみにしていた今日の山頂ハイキングは遂に中止になる。ビジターセンターで二人のガイドさんを乗せて、一応山頂まで登って行く。アオモリトドマツが雨に濡れている。上に行くほど風や雪のせいで丈が低くなり、葉は三角旗の形になるという。


 

バスの中で雨具をつけて、頂上ターミナルから外に出てみる。晴れていれば、時には月山まで見える好展望台だそうだが、濃い霧に雨まで加わり何も見えない。すぐ近くの秋田・岩手県境の写真を撮ってバスに帰る。


 

添乗員さんとガイドさんが相談の結果、後生掛温泉近くの自然観察路を歩くことになった。後生掛は周辺に数ある温泉の中でも「馬で来て足駄(ゲタ)で帰る後生掛」と言われ、今も湯治客の絶えない名湯である。


私たち第1班のガイドは「71歳の元気なお爺さん(添乗員の言)」Wさん、ゆっくりと丁寧に説明してくれる。最初に大小の噴気孔が二つ並ぶオナメモタメを見る。この辺りの方言で「オナメは本妻、モタメは妻妾」のことである。昔、ここで牛飼いをしていた青年が重病にかかるが、巡礼旅の娘の手厚い看病で命を取り留め、やがて二人は結ばれる。ところが、この男には何とあの岩手の「久慈」に妻と子供までいたのだ。ジェ!、ジェ!!、ジェ!!!である。ある日、妻が訪ねてきたので娘は妻子の幸せのために噴気孔に身を投げる。その思いに打たれた妻も大きい方の噴気孔に後生を掛けて投身…。後生掛温泉の地名はここから生まれた。それにしても後に残された子供が不憫だなあ。


紺屋地獄は湯沼ともいい、染物屋が染料を煮る様子に似ていることから名付けられた。左の丘の上に十字架が立っているのが見える。十字架岩といい世界平和を祈って近頃立てられたものらしい。


小坊主地獄。噴気孔、マッドポッド、温泉がたくさんある。


  

何年か前の大雨で山崩れがあり、途中で分断された。


大湯沼。紺屋地獄のような小さな池が集まって形成された。盛んに噴煙や音を上げている。西の方の活動が活発で、こちらに広がりつつある。


中坊主。この辺りは特に活動が盛んで、道の両側でブツブツと音を立てて泡が出ていた。


泥火山。地上に出ているのは1mほどだが、地下に7~8m続いている。数年に一度爆発する、れっきとした火山である。


 

ここからは帰り道となり、赤や黄の紅葉の中を紺屋地獄まで円を描くように歩く。右は昔、硫黄を採掘したところで見た典型的な噴気孔である。


一周約40分のウォーキングを終えてバスに乗り、下山の途中でビジターセンターのある大沼で下車。


  

添乗のIさんは、センターでジオラマや写真展示を見る人と分かれて「ちょっと覗くだけ」を頼んだらしいが、Wガイドさんは張り切って、早足になるがと断った上で池の周囲を30分ほどで一周してくれた。八幡平は何度か訪れないと良さは分からないという。機会があれば八甲田山も含めて再訪してみたい。


秋田空港で最後の買い物をして、17時発のJAL機に乗り、途中羽田で乗り継いで伊丹に帰る。雨にたたられはしたが、これも思い出に残るだろう北東北3日間の旅だった。 


雨模様の北東北の旅(3)~ 奥入瀬渓谷

2013-10-12 07:45:24 | 旅日記

開湯300年を誇る名湯・酸ヶ湯を出て、バス車内で昼食の弁当を食べて午後は奥入瀬渓谷のウォーク。十和田湖畔の子ノ口からゴールの焼山までは14kmあるが、ツァーではその内、銚子大滝から石ヶ戸まで約7㎞、2時間半のコースが予定されている。さらにバスはいったん途中の見どころを説明しながら銚子大滝まで走って全コースを歩く人(10人ほど)を降ろし、帰り道で90分コース、60分コース、更には石ヶ戸周辺散策の人に分かれる。この夕暮れが早い季節に17時に石ヶ戸に帰るには、2時間半コースでは写真も撮る時間もないとの説明で、私たち4人はゆっくり歩こうと90分コースを選択した。幸い奥入瀬に着くころには雨も止んだ。

いったん銚子大滝で下車して写真を撮る。唯一、奥入瀬川の本流にかかる幅20m、高さ7mの堂々たる滝である。この滝があるためイワナやヤマメが川を遡れず、明治の初めに和井内貞行がヒメマスを放流するまで十和田湖には魚がいなかった…と教科書で学んだ記憶がある。昭和25年には大河内傅次郎主演で「われ幻の魚を見たり」という映画にもなった。「魚止めの滝」と言われた由縁である。バスに帰ってトイレのある玉簾の滝まで乗せて貰う。


 

15時、10人が思い思いにスタート。美しいブナ林の中を渓流沿いに歩く。私たちの歩く方向に、苔むした岩や倒木の間を縫うように時には激しく、ときには緩やかに清らかな水が流れる。十和田湖の子ノ口から流れ出した水は、最後は奥入瀬川となって太平洋に注ぐ流出河川なのである。上流の奥入瀬渓流には支流にかかる大小の滝が見られるので「瀑布街道」の名もある。


  

見上げるような大木の根から若い木が新たに成長していたり、切り株にビッシリとキノコが生えていたり、至るところで森の生命が息づいているのを感じる。


「白銀の流れ」を過ぎるとやや流れが広くなり、


天狗岩の横にかかる白糸ノ滝を見る。いく筋もに分かれて絹糸のように見えるということからの名前である。ここまでバスを降りて45分。


流れを木橋で渡ってバスが通る国道102を横切って、少し上へ歩いて支流にかかる雲井ノ滝を見に行った。高さ25m、三段になって落ちる豪快な滝である。


 

千筋ノ滝(上)、九十九島、飛金の流れ(下)などを見ながら歩く。すぐ頭の上を国道が走っているが、この先で国道脇の歩道に上る。乗用車が止まり、カメラを手にした人が下りてきた。


阿修羅ノ流れは奥入瀬渓谷を代表する景観で、ガイドブックなどでよく目にする場所である。苔むした岩を削るような荒々しい流れが奔っている。ここからしばらく国道横を歩く。


馬門岩(まかどいわ)。昔はこの岩に馬を繋いで徒歩で十和田湖に向かったといわれる。国道を横断して再び流れに沿う道に出るところで、道標を見ると残り1.4 km。途中で少しのんびりし過ぎた。集合時間が迫っているのでピッチを上げる。

 

石ヶ戸の瀬を過ぎると目的地は近い。


予定の17時に10分残して石ヶ戸の休憩所下に来るが、階段横にある名前の由来「石ヶ戸」を見落とした。しかし女房達は薄暗い中を説明板までしっかりカメラに収めていた。(石の写真は明るさなど修整を加えています)


 

奥入瀬は2005年5月、新緑の頃にも部分的に歩いたが、今の季節の渓流の眺めも捨てがたいものがあった。今宵の宿は十和田湖畔のH十和田荘。夕食には名前だけ聞いていた八戸名物「せんべい汁」が付いた。鍋用の南部せんべいを割り入れて食べる。ゆっくりビールを飲みながら食事を済ませたが、添乗員のIさんの話では、冷害を受けやすい山間部などでは「天気まつり」をして日和を祈るという。「な~に、われわれは酒を飲んで騒ぐだけですよ」とのことだった。部屋に帰ってから4人で、丸さんが売店で買ってきた地酒で盛大に「天気まつり」をして明日の晴天を祈った。


雨模様の北東北の旅(2)~ 八甲田山・酸ヶ湯コース

2013-10-11 08:44:39 | 旅日記

湯瀬温泉の朝は雨で明けた。8時、八甲田山へ向けて出発。

 

途中の花輪は花輪ばやしと「きりたんぽ発祥の地」として有名な処である。車窓から見る岩木山は大きな雲の帽子を冠っていた。酸ヶ湯への分岐から八甲田ゴールドラインに入ると間もなくロープウェイ山麓駅に着く。


 

定員101人乗りのゴンドラは標高差約600mの山頂公園駅まで約10分で運び上げてくれる。ここは田茂萢(たもやち)岳の一角で池や沼が散在し、夏は多くの高山植物が見られるところである。駅を出たところにある説明板にはゴードラインと呼ばれる周辺コースの案内図と毛無岱の説明図があり、毛無岱へは登山道である程度の装備と体力が必要などと書いてある。


見下ろすと毛無岱が上下二段に分かれていることがよく分かる。(左の薄茶色の処が上毛無岱、右が下毛無岱)

12人づつのグループに分かれて、私たちは若い女性ガイドに先導されてゴードラインに入る。標高1300mの平坦な湿原には木道が続き、まず赤倉岳を正面に見て歩く。田茂萢の中を歩くこのコースは8の字型になっていて、中央の交差で引き返すと短縮コースになる。


山頂駅から30分ほどの交差点付近には展望台があり、八甲田山の赤倉岳(1548m)、井戸岳(1550m)、最高峰の大岳(1585m)が並んで見える。幸い雨は止んでいるが、大岳の山頂は雲に覆われている。


  

少し山道らしくなり、湿原帯からアオモリトドマツなどの森林帯に入る。時々左手が開け、陸奥湾を望むことができる。


 

ゴードラインの終点(8の字の頂点)から笹原の中をしばらく登り、分岐で右に折れる。ここを直進すると赤倉岳へ登る道である。ここからガラガラの岩道になり小さな沢を三度ほど渡る。


 

次の分岐も右へ。左へ行くと大岳のコルにある避難小屋からの道が下ってきている。正面に大岳が見える。八甲田山というからには、あと90分のプラスで行ける赤倉~大岳の稜線を歩いて見たかったが、ツァーでは致し方ない。また今日の天気では展望もないだろうと諦めもつく。右の田茂萢岳を歩く人影を見上げながら歩く。


また木道が出てきたら上毛無岱。ここまで田茂萢湿原から40分ほどだった。南八甲田の山々を背景に、池塘にトドマツが影を写している。


ここから下毛無岱へ長く急な木段の下りが始まる。オオカメノキ、ナラ、ブナ、クヌギなど赤・茶・黄色に染まった木々の中の道で、眼下には絵にも描けないように美しい湿原が広がっている。


 

立ち止まって写真を撮りたいが、後ろの班が追ってくるのでままならない。後ろのガイドが「下りきるまで絶対に振り向かないで…」と言っている。


下りきって振り仰ぐと、なるほど待っただけの甲斐があって、今降りてきた上毛無岱からの道が通る山肌は息をのむように見事な紅葉だった。


 

しばらく休憩して写真を撮っているうちに雲行きが怪しくなり、今まで見えていた上の台地に雲がかかってきた。


(Photo by Miwako-san)

ここからは、しばらく木道が続くが、やがて急なごろごろ石の山道になる。下毛無岱から45分、最後は足を痛めた人がいたほどの急下りだった。


2時間半ほどのハイキングを終えて酸ヶ湯(すかゆ)に着くや、待っていてくれたように雨が降り出して、1時間ほど風呂に入ってバスに帰ると、遂に本降りになった。


雨模様の北東北の旅(1)~ 厳美渓と世界谷地

2013-10-10 08:27:35 | 旅日記

丸さん夫妻と一緒に3日間のJTBハイキング・ツァーに参加した。

10月6日(日) 8時15分伊丹発のJALで1時間の空の旅。富士山を右に、北アルプスを左に見ながらのフライトは1時間20分で「いわて花巻空港」に着陸。北国はあいにく今にも泣きだしそうな曇り空だった。しかも暑い!寒さ対策はしてきたが、これでは夏山より暑い。添乗員さんの出迎えを受けて大型バスに乗り込む。24 人のグループなので、後の数列は空席で自由に使える。岩手県は四国4県とほぼ同じ面積と聞いて驚く。殆ど稲刈りの終わった広い平野部をいったん南に下って一関市厳美町へ。


サハラ・ガラスパークという、体験工房もあるガラス製品ショップ内のレストランで山海和定食の昼食。天婦羅・焼き魚・筑前煮・山菜・笹かまぼこ・味噌汁でご飯は十六穀米、デザートにずんだ餅が付いていた。


店内をでて「ガラスの小道」を抜けると磐井川に架かる天工橋で、向かい側にも大きな店や駐車場があって厳美渓観光の中心地になっている。


厳美渓は太古、栗駒山の噴火による凝灰岩が侵食されてできた奇岩と「四十四滝」といわれる大小の滝、甌穴が織りなす美しい渓谷で国の天然記念物に指定されている。一周2キロの散策路が設けられて、観光馬車も待機していたが、時間がないので急いで橋のすぐ近くの河原の大きな岩の上に下りてみる。(写真は上流を見たところ)。


東屋が建ち傍らにドラが吊ってある。籠にお金を入れて木づちで鳴らすと、対岸のダンゴ屋から籠に載せたダンゴとお茶がロープ伝いに滑り降りてくる仕組みである。郭公屋という屋号だがTVで空飛ぶダンゴと紹介され「滑降団子」として有名になっている。


天工橋から反対の下流側を見ると、御覧場橋という吊橋にかけて両岸は見事な桜並木である。貞山公伊達正宗が植えたので低山桜として知られ春には花見客で賑わうという。


(Photo by Maru-san)

再びバスに揺られて「世界谷地」に向かう。「世界」とは大きく出たものだが、要するにそれだけ広大ということだろう。栗駒山の中腹・標高700m付近に縦に細長く連なる八つの湿原だが、残念ながら昨今の豪雨に見舞われ、世界がかなり狭くなっている。


ニッコウキスゲやサワラン、キンコウカなどの高山植物の宝庫だが、今の時期は僅かに低木の紅葉が見られるのみ。傘を指して木道を20分ほど歩いてバスに帰った。


バスは東北自動車道を北へ走る。途中、トイレ休憩で停まった岩手山SAからは岩手山が見えたが、山頂部はすぐ雨雲に隠れてしまった。
 今宵の泊り、湯瀬温泉は秋田県鹿角にある。秋田・岩手・青森の県境に近く米代川の渓流に沿う静かな山間の温泉である。すぐ傍に単線のJR花輪線湯瀬温泉駅のあるホテル姫の湯は、部屋も大きく夕食も豪華だった。


舞茸山くらげの通し、鮪・サーモン・甘海老の造り、合鴨ロースの洋皿、酢の物はホッキ辛し和え、きのこ釜飯に稲庭うどん、囲炉裏を模した炭火で「きりたんぽ鍋」に鰰(はたはた)の一夜干し、鶏のつくね串と胡桃味噌を付けたキリタンポ。鍋は食べたことがあるが、初めての「焼き・きりたんぽ」が絶品だった。生ビールの中ジョッキ一杯で満腹して、明日の天気を心配しながらも朝までぐっすり眠った。