ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

初夏の平等院(2015.05.01)

2015-05-02 16:46:51 | 旅日記

 爽やかな新緑の季節。何年振りかで宇治の平等院を訪れました。JR宇治駅を降りると「源氏物語の里」の標識や、

駅前の広場には茶摘み娘の動く人形や茶壺の形の郵便ポストがあり、商店街入口の柱にも茶摘み娘の人形が立っていて「さすがお茶の町」と思わせます。(右上の写真は平等院の塔頭・最勝院玄関の欄間のフジ)大勢の人に交じって、宇治橋のたもとから商店街を抜けて表門から境内に入ります。

観音堂横の藤棚には白いフジは終わったようですが、満開の紫色のフジが紅白のツツジとともに、美しく新緑を彩っています。



その前の受付には長蛇の列が伸びています。暑い陽射しを浴びて歩いてきた後だけに、しばらくは並びながら忙しなく汗を拭いました。

阿字池に影を落とす朱色の鳳凰堂は、極楽浄土の宮殿をイメージしたと言われるだけに、優美で荘重な感じがします。

内部に入るには「2時間30分待ち」と聞いて恐れをなして、今回は池の反対側から本尊の阿弥陀様のお顔を拝んだだけで諦めました。鐘楼下から鳳翔館に入り、人波にもまれるように国宝の鳳凰や雲中供養菩薩像などを観ました。(もちろん撮影禁止ですが、先日、ルーブルで間近かに世界的な宝物を見てきただけに、ちょっと残念でもありました。)

参観して南門の方に出ると、大楠の向こうに鳳凰堂の屋根の鳳凰が金色に輝いていました。そのあと源頼政の墓や、最勝院の建物や庭園の石灯籠などをみて帰りました。贅沢をいうと罰が当たるかも知れませんが、お天気が良過ぎて暑くてたまらず、二人とも一刻も早くビールで喉を…という誘惑には勝てませんでした。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(終)

2015-04-12 13:27:58 | 旅日記

3月28日。いよいよ帰国の途につく日になりました。午前中は自由行動で、希望者だけがルーブル美術館の見学予定でしたが、結局全員が参加することになりました。やはり昨今の政情不安で、どこかに単独行動は避けたいという気持ちが働いたのかもしれません。

私は三度目のルーブルなのですが、前回はちょっとしたアクシデントがあったので入館せずに、長い時間を過ごしていました。前に入場したのは40年近く前でしたので、かなり記憶が飛んでいる感じです。ここもイヤホンガイドを耳に、日本人ガイドの説明に従って歩きます。ここは集合場所の逆さピラミッド。入場を待つ人の列ができています。

もちろんのこと僅か1時間半ほどの見学時間では、2万点を越える膨大な所蔵品のごく一部に触れるだけに終わります。しかも目玉となる作品は決まっているので、勢い同じものを見ることになるのですが…。もっとも美術に縁が薄い私には帰ってから見ても、作者名も分からない写真が殆どでした。で…ありきたりではありますが、お馴染みの作品を…

あまりにも有名なミロのヴィーナス。美しい黄金比率で均整の取れた美しさです。

サラトラケのミケ。いつも人に取り巻かれているので…

向かい側にあるこのテラスから鑑賞するのが一番だそうです。

これもあまりにも有名な「モナリザ」。前に見た場所からは何度も移動されたとのことで、二重の防弾ガラスで保護されていた。しかし、「国立なので」ここもヴェルサイユ宮殿同様に撮影は自由。

「聖アンナと聖母子」レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作の一つ

「1804年12月8日ノートル・ダム大聖堂におけるナポレオン1世の戴冠式」ルイ・ダヴィッド
ヴェルサイユでも見ましたがこちらの方が早く制作された物とか…

「メデューズ号の筏」テオドール・ジェリコ

「民衆を導く自由の女神」ウージェーヌ・ドラクロワ

ざっと見て回ってルーブルを後にし、帰国の途に着きました。これからまた長い空の旅です。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(8)

2015-04-11 18:08:14 | 旅日記

3月27日。今日はパリから約360km離れたモン・サンミッセルへ行きます。夕方同じホテルに帰ってくるので、まるで日帰りバスツァーの趣です。

ホテルを出て走ること約4時間、フランス西海岸サン・マロ湾上に浮かぶモンサンミッセルが近づいてきました。

島の名でもあり、その岩山に築かれた修道院の名前でもあるモン・サンミッセル(聖ミカエルの山)。有名なカトリックの巡礼地であり、「西洋の脅威」として世界遺産に登録されています。<悪魔の象徴・竜を倒す聖ミカエル、手には剣とともに人々の魂の善悪を測る秤を持っている>

島に渡る前に対岸の町のレストランで腹ごしらえ。献立はもちろん名物のオムレツ。結構なボリュームでお腹いっぱいになりました。

 

食事を終えて島へ。4年前(2011年1月)に来たときは、駐車場になっていた堤防の上をすぐ近くまでバスが入ったのですが、今はシャトルバスに乗って島へ渡ります。これは堤防道路の影響で島の周囲が砂州化したため、かっての島に戻す工事が国家事業として行われているためです。(写真は2011年、ずっと向こうまで車の列が続いています。)

今は堤防の代わりに、長さ760mの脚付きの橋で対岸と結び、海流の流れで堆積した砂を取り除いています。橋は2014年7月22日に開通、かなり手前でシャトルバスを降りて歩きます。

大通り門を潜ります。

修道院の下は狭い路地で、両側に土産物屋や飲食店などが並び観光客で混み合っています。

島の中央にあるベネディクト修道院。ここから急勾配の階段で聖堂に入ります。

テラスから聖堂を見たところ。尖塔の上に聖ミカエルが立っています。

対岸を見下ろしたところ。(上が現在。下は2011年)

この岩の島に聖堂が建ったのにはこんな伝説があります。708年司教オベールが大天使ミカエルから「ここに聖堂を立てよ」との夢のお告げを受けましたが、悪魔のいたずらと信じなかったところ、三度目にオベールの額に指を当てて強く命じました。

目覚めたオベールは脳天に穴が開いているのを知り、遂に建造にかかったといいます。

修道院聖堂の内部です。

中層は修道士たちの居住空間。美しい中庭を回廊が囲んでいます。

大車輪を使って下から荷物を釣り上げていました。

ここは修道士の仕事場です。主に聖書を書き写していたので大きな窓が付いています。

昔は引き潮の時に現れる陸橋を辿ったために大勢の巡礼者たちが命を落としたと言われています。その追体験をしようと泥まみれになって歩く観光客もいます。私たちは帰りもシャトルバスで対岸に帰りました。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(7)

2015-04-10 17:54:40 | 旅日記

ヴェルサイユ宮殿の見学を終える頃から雨は小やみになりました。エッフェル塔のすぐ近くにある乗り場から、夕暮れのセーヌ川のクルーズを楽しみます。

セーヌ川にはいくつもの美しい、そして歴史を持つ橋が架かっています。

船はその下を潜っていきます。これはミラボー橋。アポリネールの詩で知られ、堀口大学の訳詞も有名ですね。

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると

そしてパリにもあるのです「自由の女神像」
フランスがアメリカに自由の女神像を送ったことの返礼として、パリに住むアメリカ人たちがフランス革命100周年を記念して贈ったものです(Wikipedeia)。

少し青空も覗いてきました。冷たい川風に吹かれても、やはりデッキに出てきます。
建物はコンセルジェリー。マリーアントワネットが処刑されるまで2カ月余りを過ごした牢獄があります。

フランス学士院

いくつもの船と行き交います。私の乗っているのは手前の白い船と同じ形です。

オルセー美術館が見えてきました。

ブルボン宮殿。ルイ14世の庶子によって建築された宮殿で、現在は国会議事堂として使われています。

アレクサンドル3世橋を潜ります。

橋の四隅には高さ17mの柱があり、柱の上には芸術、農業、闘争、戦争を意味する女神像が設置され、天使やペガサスなど美しい装飾で飾られた、パリで最も美しい鉄橋といわれています。

ノートルダム大聖堂が見えてきました。

間近にルーブル宮殿を仰いで私たちのクルーズは終わります。

夕焼けに輝くパリの町を走ります。凱旋門 

コンコルド広場 

灯りが点り始めたパリの町を抜けて、再びセーヌ河畔へ 

夕食はノートルダム寺院の前にあるレストランで、

エスカルゴと

ビーフブルギニョンを頂きました。

ライトアップされたノートルダム大聖堂を背に…素晴らしいパリの夜が更けて行きました。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(6)

2015-04-10 11:13:05 | 旅日記

3月26日。いよいよ旅も終わりに近づきました。今日はジュネーヴからフランスの新幹線TGVでパリに向かいます。ただしスピードはそれほど感じませんし結構揺れもして、日本の新幹線の方が技術的には優れているように思いました。

パリはあいにくの小雨模様。まず郊外のヴェルサイユへ向かい、宮殿を見学します。
世界遺産・ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が建造したフランス絶対王政を象徴する建造物で、1661年、パリから宮殿を移すため工事を始め、21年後に未完成のまま宮廷が移転、1710年の完成まで約半世紀を要しています。

日本人ガイドに従って内部のツァーを始めましょう。最初は王室の礼拝堂
二階席は王室、宮廷要人などの席で一般人は一階席で礼拝しました。

王の正殿…ヘラクレスの間。美しい天井画に飾られたレセプションのための広間です。

ヴィーナスの間。正殿の夜会で軽食を摂る場所として使われました。

天井には「神々と強大国を従わせるヴィーナス」が描かれています。

の人がルイ14世。

メルクリウスの間。天井画は「二羽のニワトリに引かれた戦車に乗るメルクリウス」

アポロンの間 置き時計の間とも呼ばれます。

有名な天井画・アポロンが乗る「太陽の戦車」

ディアナの間

鏡の回廊 ここでは王家の結婚式の時の舞踏会などが催されました。

王妃の居間

王の家族を描いたゴブラン織り

戴冠の間。ナポレオン1世が王妃に冠を授けている図

長い見学を終えて庭園に出ました。

水の前庭には、王国を流れる四つの河川を象徴するブロンズ像が置かれています。

ラトナの噴水…工事中でした。正面に「大運河」が見えます。

「その壮大な広がりといい 美しい建物といい それは宮殿ではなく まるで一つの街のようだ」シャルル・ペロー


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(4)

2015-04-08 08:58:26 | 旅日記

3月24日。ホテルを出発して霜で真っ白な道を25km離れたヴィースへ向かいます。

ヴィースの巡礼教会
1738年6月14日のこと、ある農婦がこの土地の修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像を貰い受けたところ、そのキリスト像が涙を流しました。最初は奇跡と認定しなかった教会も、噂が広まって巡礼者が農家に集まる一方なので、浄財を募って1757年に現在の教会を完成させました。写真、右手に見える白い建物が最初の礼拝堂の建物です。



牧場の中に建つ、一見とても素朴な感じの教会ですが、内部のロココ様式の装飾の見事さには目を奪われます。

特に「天から降ってきた宝石」と言われる天井画は素晴らしいものでした。(パンフレットより)

教会を拝観した後、少し引き返す感じでホーエンシュバンガウへ向かい、ノイシュバンシュタイン城を観光します。大きなお土産屋さんのパークの向かい側にはホーエンシュバンガウ城が聳えています。

ホーエンシュバンガウ城は、ノイシュバンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世の父王・マクシミリアン2世が12世紀に建設されたが廃墟になっていた古い城を改築したものです。もともと「ホーエンシュバンガウ」は「白鳥の里」の意味があり、幼少期をこの城で過ごしたルートヴィヒ2世に強い影響を与えたと考えられています。

ノイバインシュタイン城へは、ここから徒歩で緩い坂道を登っていきますが、途中まで馬車で行くことも出来ます。三々五々に自分のペースで集合場所に向かいます。雪の見える道をゆっくりと歩くこと30分足らずで…。

美しい白亜の城が近づいてきました。

ノイバインシュタイン城は中世騎士道に強いあこがれを抱いていたルートヴィヒ2世が、その夢の具現化のために作らせた城(一応の完成は1886年)ですが、王自身がここに住んだのは僅か102日間と言われています。

さらに登ると城壁の下に出て、左の緩い階段を登ると城壁門の前に出ます。

左手の階段上に見えるのは「貴婦人の館」

ここでグループごとに決められた入場時間を待ちます。

やっと入場時間がきて内部に入りましたが、この先は撮影禁止。薄暗い螺旋階段を登ったり、狭い廊下を通ったり、日本語のガイドを聞きながらの城内ツァーでしたが、正直なところ、城の内部はあまり印象に残っていません。

やはり、このお城も外から眺めた姿の方が素晴らしかったです。同じ道を下って下のお土産店で全員集合。

お土産に壁飾りを買いました。

昼食は少し下のレストランで…名物のマウルタッセン

パスタの生地に肉を入れたものですが、ちょうどギョウーザに似た食感でした。

飲み物はすっかりお馴染みになった黒ビール。そしてデザートのケーキ。また体重が増えそう…。

ノイバインシュタイン城に別れを告げて、

夕暮れのバイエルンアルプスを車窓に見ながら、365km離れたスイスはインターラーケンへ向けてバスはひた走ります。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(3)

2015-04-07 10:04:16 | 旅日記

3月23日午後はハイデルベルクから約170km離れたローテンブルクへバスで移動。

まずは名物料理のロールキャベツで腹ごしらえ。

そして街の散策に向かいます。赤い砦という意味を持つローテンブルクは、城壁に囲まれた中世の都市の面影を色濃く残しています。この貯水塔は城壁への登り口にもなっています。

市壁(Stadtmauer)の上を歩き、古い町並みを見下ろします。

色とりどりの美しい三角屋根の家が並んでいます。城壁を降りて古い町並みを歩きます。

マルクス塔は、最初の環状市街壁建設に伴って1200年頃に建立された美しい門塔です。

マルクト広場に面して建つ市庁舎。正面の主要部分はルネサンス、アーケードはバロック、後の塔のある建物がゴシックと時代の異なる三つの様式で構成されています。

市庁舎南側にあるゲオルクの噴水。深さ8mで10万リットルの水をたたえる市内最大の井戸。
残念ながら美しい彫刻は補修中で、囲いで覆われていました。

市庁舎の北側には「市参事会員酒場」があります。現在はツーリストインフォーメイション。
建物に付けられた「仕掛け時計」が有名です。

14世紀始めから15世紀末まで焼く200年の歳月を費やして建設された「聖ヤコブ教会」。内部の祭壇やパイプオルガンが見ものということですが、時間的に入場するのは無理で諦めました。ここで40分間の自由行動になりました。

マルクト広場にはいくつかの道が集まってきています。一つの角にはテディベアの専門店。先ほどから誰がシャボン玉を飛ばしているのかと思っていましたが、見上げると二階の出窓に座ったクマさんでした。

それぞれの店先に下げられた可愛い看板が、何のお店かの目印になっています。

「シュネーバル Schneeball」のお店がありました。ローテンブルグの伝統のお菓子で「雪の玉」の意味。揚げ菓子の一種で、砂糖、チョコ、シナモン、バニラ、ナッツ…など色んな味のものがあります。眼鏡の小母さんはとても日本語がお上手。お土産に三つづつ、缶に入れて貰いました。

プレーンライン。この辺りは二つの重要な道が市へ乗り入れる合流点で、小三角形の広場を作っているのでラテン語で「小さい場所」という名が付きました。「ドイツで最も美しい中世の景観」として知られる撮影スポットです。背後の塔は1385年頃建設の「ジーバーの塔」

「市参事会員酒場」の仕掛け時計が午後3時を指しました。鐘の音とともに窓が開いて、「マイスタートゥルンク」(市長の見事な一気飲み)が始まりました。30年宗教戦争(17世紀)のとき、シッシュ市長が旧教側のペリー将軍とワインの大杯(クランケンワイン3.25L)を飲み干す賭けをして、焼き払われようとした町を救ったという歴史的伝説の再現だそうですが、正直、よく見ないと分からないほど地味な動きで期待外れでした。

ともあれ再集合してバスに帰り、ロマンチック街道を南へ約251km走ってフュッセンの町へ。途中、ドナウ川を渡りますが、ブドウ畑の中の単調な眺めが続き、「ロマンチック」というには名前負けのような感じでした。フュッセンはドイツアルプス山麓の標高800mほどのところに位置するドイツ最高所の町。ノイシュバンシュタイン城にも近く、その観光拠点になっています。

夕食を終えた21時からホテルのオプションツァーで、ライトアップされたノイシュバンシュタイン城や

ホーエンシュバンガウ城を見て、長い一日が終わりました。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(2)

2015-04-06 13:59:31 | 旅日記

3月23日 昨夜はハイデルベルク郊外のルードヴィッヒスハーフェンという町で泊まりました。ホテルの窓からはすぐ前の国鉄駅を通過する長い連結の貨物列車や、高速道路を走る車が眺められました。今日はまず約20 km離れたハイデルベルクへ。

ハイデルベルクはドイツ最古の大学があることで知られる古い歴史の町です。
「プリント・メディア・アカデミー」の前を通過します。白いオブジェはS-Printing Horse

街を見守るようにその背後に立つハイデルベルク城に登りました。

北側のテラスから美しい中世の面影を残す町を見下ろします。一際高い尖塔は精霊教会です。

中でもひときわ美しい眺めはネッカー川にかかるアルテ・ブリュッケ(古い橋)。後ほどゆっくり訪れます。

700年の長い歴史を刻むハイデルべルク城
それぞれの時代の領主たちの思いを語るような「古城」の面影を今に、崩れたままに残されています。

エリザベス門。
フリードリッヒ5世が妃の英国生まれのエリザベス・スチュワートへのプレゼントに、一晩のうちに造ったものだそうです。

さて城の見学を終えて旧市街地へ下りました。先ほど見下したネッカー河畔を歩き…

アルテ・ブリュッケへ。正しくはカール・テオドール橋といいますが、町で一番古く「古い橋」の名で通っています。

橋の長さは約220mあり、入口の門は中世のころ町の城壁の一部でした。夜は落とし格子の柵を下ろして侵入者を防ぐ、防御施設としての役割をし、左右の塔は牢屋として使われたこともあったそうです。

橋のたもとにある鏡を持ったサル(マントヒヒ?)の像。善人ぶって他人を非難する人を「あんたはどうだい」とたしなめています。

マルクト広場
マルクト(マーケット)の立つ市場の意味で水曜と土曜には市がたちます。正面の建物は市庁舎です。

その向かい側に精霊教会が建っています。

教会左手にある「ホテル・ツム・リッター(騎士の家)」
1592年に織物商人の一家によって建設されたハイデルベルクに現存する最古の建築物です。壁面を飾る数々の精緻な彫刻に目を奪われます。

古い町並みを散策し、次の目的地・ローデンブルグへ向かいます。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(1)

2015-04-05 20:21:08 | 旅日記

先月21日から28日まで、ヨーロッパの旅をしてきました。といっても旅行会社のツァーで、うち二日は往復の飛行機のなか。慌ただしい日々でしたが色々な体験ができ、楽しい思い出が作れました。まずは私たちにとっては初めてのドイツの旅からご覧ください。

3月22日、長い空の旅を終えてフランクフルト空港に着きました。さっそく最初の訪問地、リューデスハイムへ。



ニーダーヴァルトの丘からライン川の展望を楽しみました

背後に立つのは、普仏戦争後のドイツ独立を記念してウィルヘルム一世によって建てられたニーダーヴァルト記念碑。

中央のゲルマニア像の下に左に戦争と右に平和の像。精緻な彫刻に目を奪われます。

丘を下って街の通りに出ました。皆さん、揃って左の方を注目しているのは…、

ここから「つぐみ横丁」と呼ばれる細い通りが始まっているからです。

足を踏み入れると144mの細い石畳の道の両側には、瀟洒なレストランお土産店が並んでいます。夏場になると、生演奏を聞きながらワインのグラスをあげる人たちの歓声が絶えないとか。

中にぐるぐる巻きにしたパンを焼いているお店がありました。

アツアツを切り分けて貰いました。「クルトス」という日本で言えばタコ焼き感覚のスナックで、4€と少し高めのお値段ですが美味しかったです。

この辺りはブドウの産地で、バスの待つ通りの横にも古いワイン工場が立っています。遠く後ろに見えるのは、ニーダーヴァルトの丘へ観光客を運ぶゴンドラ。

113km走って、ルードヴィッヒスハーゲンのホテルに着き、ソーセージ料理の夕食を頂きました。
飲み物はもちろん、ビール。黒と初めての白ビール。

明日はロマンチック街道へ向かいます。


高取「町家のひなめぐり」 (2015.03.12)

2015-03-14 21:02:50 | 旅日記

高取山の大手道を下って、上子島から高取の「町家のひな巡り」を始めました。

ちょっと小振りになって去年の広場の少し手前に引っ越した「上子島ミニジャンボ羊雛」です。

土佐街道と壺阪道の分岐、札の辻から壺阪の方へ歩きます。ちょっと変わったこんなお雛様が置かれていました。

一つ坂を越して清水谷絆広場に来ました。「ミニジャンボ雛」の後ろに見えるお家二階の窓からも、大勢のお雛様が覗いています。

札ノ辻に帰り、土佐街道を北へ下ります。100軒近いお家がそれぞれ秘蔵のお雛様を飾って見せて下さいますが、とても全部はご紹介できませんので、珍しいものをいくつかご覧頂きます。

これは土雛…もとは郡上八幡にあったものだそうです。先月、郡上八幡でも早目のお雛様を見ただけに、懐かしく思いました。

メイン会場の「雛の里親館」
呼び物の「天段のお雛様」15段を埋めるお雛様の和は200体余り、一番上には御殿飾りのお雛様が鎮座しています。

雛の里親館、2015年企画展示の「古都の雛」

御所の雛まつりをイメージしています。

里親館の外にはこんな展示もありました。



去年の「奈良一貫張り雛」は別の場所(土佐街道を北へ下っ
たところ)に移っていました。

下土佐ふれあい広場のジャンボ「武家雛」。五条の松倉祭御出張からお帰りになりました。

竹の筏に乗ったお雛様や

古い漢方薬のお店「壺阪漢方堂」さんのお雛様などを見せて頂きながら、町を通り抜けて

観覚寺のジャンボ雛に来ました。ここからは壺阪山駅へ間近です。

今年も町の人から声をかけて頂いたり、暖かく迎えて頂いて楽しく「雛巡り」を終えることが出来ました。来年の10回目にも是非お訪ねしたいと思っています。