宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
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「スターリンが発動した朝鮮戦争と『軍事方針』の押し付けの破綻」-日本に自主独立の党を生む転機に(6)

2020年02月21日 | 野党連合政権への展望

 日本共産党の「50年問題」-徳田・野坂分派による党の分裂と「軍事方針」の押し付けーの首謀者がスターリンであったことを紹介してきました。スターリンが発動した朝鮮戦争が、スターリンが1953年3月死去した後、同年7月朝鮮休戦協定が合意され武力行使状態が終結しました。

 不破さんがソ連共産党とソ連邦解体のなかから発見された新資料や、2009年に出会った「ディミトロフ日記」などをもとに書き起こした「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」(全6巻)の最終巻ー第6巻で次のように、スターリンの「第二戦略の総決算」として指摘していることは日本共産党の「100年史」を、さらに「未来社会」を展望する場合、欠かせない提起となるのではないかと思っています。すでに、お読みいただいている方も多いとは思いますが、一部省略させて、紹介させていただきたいと思います。

「スターリンがアジア『第二戦線』戦略にもとづいて起こした朝鮮戦争は、1953年7月に終結しました。スターリンのこの戦略は、いったい、世界、とくにアジアに何をもたらしたのか、いくつかの角度から、その総決算を試みたいと思います」

「(1)ヨーロッパでの西側陣営との軍事的な正面対決を避けるために、アメリカの軍事的、政治的対決の焦点をヨーロッパからアジアに移そうとしたスターリンの思惑は、その限りでは、確かに一定の成功を収めました。1950年以後、戦争と冷戦の重点は明らかにアジアに移りました」

(2)しかし、この戦争でアジアが受けた被害はきわめて大きなものがありました。アメリカが主導する軍事同盟は、朝鮮戦争以前には、北大西洋条約機構(NATO)だけでした。アジアでは、新中国成立後の1950年1月、アメリカのトルーマン政権は、台湾、朝鮮半島をアメリカの防衛ラインの外に置くという政府宣言を発表し、中国が台湾解放作戦を企てても軍事介入しないという事実上の意思表示をおこないました。これは、将来の米中関係の確立も視野に入れた政策声明だといわれ、アジアの平和的発展の展望も開かれつつあるかに見えました」

「この情勢を一変させたのが、朝鮮戦争でした。~中略~まさにアジア太平洋地域は、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策が集中する地球上最も危険な地域となったのでした」

「(3)朝鮮半島が受けた被害に、きわめて大きなものがあったことは、言うまでもありません。~中略~民族を分断しての戦争だっただけに、民族的悲願である南北統一への道を決定的に困難なものとしたことは、この戦争がもたらした最大の悲劇だと言うべきでしょう」

「(4)朝鮮戦争の直接の当事者となった中国が受けた被害は、絶大なものがありました。すでに実施段階にはいりつつあった台湾解放は無期延期とされたうえ、内戦の直後に最新鋭の武器と装備をもつアメリカ軍との大戦争に取り組んで、40万人もの犠牲者をだし、経済的にも国民経済建設の最初の段階で戦争の重荷を負わされたのです。以下「略」」

(5)最後に日本です。朝鮮戦争は、アメリカ日本の全土を極東における戦争と侵略の基地とし、警察予備隊(-保安隊ー自衛隊)の名で日本の再軍備に道を開く上で、絶好の情勢をつくりだしました。そして、スターリンの干渉による日本共産党の徳田・野坂分派への軍事方針の押しつけは、日本共産党に深刻な政治的な打撃を加えただけでなく、講和を前にした重大な時期に、アメリカ占領軍に日本を事実上の戒厳状態におく口実を与え、民主・平和運動を無力化させることを容易にさせました」

「事実、講和条約と日米安保条約が締結された1951年には、首都東京では『平和』という名のつく集会は、”盆踊り”さえ禁止するという戦時さながらの禁圧体制が敷かれました」

こうして、アメリカは、日本の反動支配勢力の協力のもと、自分が勝手に描いた設計図どおりの講和条約と日米安保条約を、国民的規模の反対運動に直面する恐れなしに、強行することができたのでした」

「スターリンは、日本共産党にたいするコミンフォルムの論評で、日本を侵略と戦争の根拠地にしようとするアメリカ帝国主義の策謀を痛烈に批判し、公正な講和と占領軍撤退のための闘争を呼びかけ、その立場の不十分なことを日本共産党に対する干渉攻撃の口実にしました」

しかし、現実のことの経過が示したものは、スターリンによる朝鮮戦争の発動および日本の運動への干渉攻撃の強行こそが、アメリカ帝国主義のこの策動を助ける最大の犯罪的役割を果たした、ということでした」

「しかも、スターリンが、日本の運動に押しつけようとした『軍事方針』なるものは、机の上で朝鮮戦争の”後方攪乱”をとなえただけのもので、軍事的にも無意味な”騒ぎ”を起こしただけに終わりました」

「このように、スターリンのアジア『第二戦線』構想とその発動は、世界とアジアにはかりしれない損害をひきおこしましたもです。しかし、この構想の一環として強行された日本共産党への干渉攻撃が、日本の運動のなかに、スターリンの覇権主義、専制主義に対する徹底した批判者を生む転機となったことは、歴史の弁証法というべきでしょう」「スターリン秘史」第6巻 269~272頁から抜粋)