じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

赤瀬川隼「春の挽歌」

2023-08-18 19:34:35 | Weblog

★ 高校野球は休養日。休養日が設けられたり、クーリングタイムができたり、延長戦にタイブレイクが導入されたりと高校野球は少しずつ変わってきている。ベンチ入りが20人というのにも驚いた。明日はいよいよ準々決勝だ。

★ 今日は、赤瀬川隼さんの「白球残映」(文春文庫)から「春の挽歌」を読んだ。

★ ある家族。88歳になる父親が亡くなり、葬儀の準備が始まっている。父親は戦前、国鉄の幹部として奉職していた。ところが敗戦。戦後、GHQともめて退職を余儀なくされたそうだ。

★ 彼は社会人野球で活躍していた「国鉄」の選手たちをマネージャーのような立場で支えていた。彼は国鉄を追われていたが、国鉄球団がプロに転じた後も、選手たちの相談に乗り、励まし続けた。

★ 葬儀の日、かつて父親に世話になったという人々が駆けつけてくれた。どの顔ももはや70歳をとっくに超えている。

★ 死の10日前、車いすでの外出を拒み続けていた父親が、ふと野球を見たいと言い出し、息子たちは彼を神宮球場のオープン戦に連れ出す。かつての国鉄スワローズや近鉄パールズではないが、ヤクルト・スワローズ対近鉄バッファローズの試合だった。

★ 父親は病身が嘘のように野球を楽しんだ。それからわずか10日、眠るような最期だったという。

★ 紆余曲折の人生、それでも「野球」という愛するものがあったこの父親は幸せだったのかも知れない。文末の「幽明境を異にせず」という言い回しが印象的だった。

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島田荘司「写楽 閉じた国の幻 下」

2023-08-17 08:48:27 | Weblog

★ 甲子園はベスト8をかけた戦い。慶応の選手を見て、球児のヘアスタイルも変わってきたなぁと思った。

★ youtubeに上がっていた物まね番組に刺激されて、ドラマ「101回目のプロポーズ」(1991年)を観た。面白いドラマだった。特に最終回は絶品だね。野島伸司さんの脚本。浅野温子さん、武田鉄矢さん、いいなぁ。現実とファンタジーのギリギリの線で、どうしようもないほど素敵なハッピーエンドだった。

★ 島田荘司さんの「写楽 閉じた国の幻 下」(新潮文庫)を読み終えた。寛政年間、彗星のごとく現れ、わずか2年で姿を消した写楽とは何者なのか。

★ 能役者説や当時人気の浮世絵師・文人説など諸説あり、あまりに資料が少なく謎が多い。本書はこの写楽の真相に、大胆な仮説を立てている。新書でも読めそうだが、小説の形なので一層親近感がもてる。

★ 全体は「現代編」と「江戸編」に分かれるが、私は「現代編」を面白く感じた。藁をもつかむ思いで当時の資料をあたるところがスリリングだ。

★ 「江戸編」は作者のつくった物語だ。仮説に基づけば、多分こんな風だったのではないかというイマジネーション。

★ 夏期講座19日目。今日も頑張ろう。

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伊集院静「菓子の家」

2023-08-16 18:36:28 | Weblog

★ 夏期講座18日目。残るは7日間。気圧のせいか、朝、身体がだるかったが、昼過ぎから調子が上がってきた。

★ 今日は伊集院静さんの「受け月」(文春文庫)から「菓子の家」を読んだ。伊集院さんの作品にしては随分と「甘い」作品だなと思ったけれど、最後の方で「ああ、そういうことか」と納得した。

★ 40歳を過ぎた男が主人公。実家は相当な資産家だったようだが、男が事業で使い果たし、その上、20億円もの負債を抱えてしまった。

★ 要は、この男は「ぼっちゃん」で、その甘さからうまい具合に周りに乗せられ、結局借金だけを背負ったのだ。自業自得に違いない。

★ もはや返済の当てもなく、遂に破産。債権者との調整は整理屋に頼むことにしたようだ。

★ 悪徳金融だけではなく、懇意にしていた知人からも借金をしていたから心が痛まないではないが、もはやにっちのさっちもいかない様子。ただ古くからの野球仲間だけが温かい。

★ かつての男の実家。そこには立派な樫の木がある。今は他人のものとなったその樫の木の下に、男はたどり着いたのだが。男の出処進退は如何に。

★ どうしようもない男の話だが、他人事としては面白かった。

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林真理子「最終便に間に合えば」

2023-08-15 11:42:15 | Weblog

★ 台風。荒天の上、近隣のスーパーはどれも臨時休業とのことで、今日1日、家に缶詰めのようだ。

★ 林真理子さんの「最終便に間に合えば」(文藝春秋)から表題作を読んだ。世界的な動乱や不条理な殺人事件など全く登場しない。それでいて、女と男のやり取りが実にスリリングに描かれている。

★ ビジネスで成功し、メディアでも話題となっている女性が、旅先の札幌で7年ぶりに元カレと食事をする。なぜ今さら会おうなどと思ったのか、彼の体に未練があったのか、それとも過ぎ去りし日の愚痴を語りたかったのか。

★ 7年の時間は二人を少しは大人にした。二人は、もはや30代。冷静に対処できるはずだった。

★ 女性は翌日に予定があり、今夜の最終便で東京に戻らなければならない。店から空港までの時間。タクシーという限られた空間のわずかな時間の間に展開される男女の駆け引き。

★ 最終便に間に合わなければ、何かが起こるかも知れない。しかし・・・。

★ 他人から見れば「アホな男とケンカするアホな女」の物語だ。自分勝手な男とその男に不満を持ちつつも離れられない女。女の中では「母性本能と女の感情がいつも戦っていた」という。

☆ 男女の恋愛など、言ってしまえば「種」を残すための性ホルモンの為せる業。そうとわかっていても落ちてしまうのが恋。若いうちは尚更だ。小説のネタは絶えそうもない。

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森絵都「器を探して」

2023-08-14 14:49:59 | Weblog

★ ドラマ「VIVANT」は急展開。散りばめられた伏線の数々。繰り返されるどんでん返し。目的のためには手段を選ばないドラマ「24」のような毒もある。最後まで観終わって初めて全体像が浮かび上がるモザイクのような作品だ。

★ さて今日は、森絵都さんの「風に舞いあがるビニールシート」(文春文庫)から「器を探して」を読んだ。

★ パティシエを目指す弥生という女性が主人公。彼女はヒロミという女性がつくるケーキに惚れこみ、彼女のビジネスを手伝うことになる。弥生は、ヒロミのケーキを信奉し、まるで信者が布教するように頑張ったという。

★ それから8年。ヒロミのケーキは評判を呼び、マスメディアへの露出も増えた。小さな店では生産が追いつかず、大きな物件に移転。弥生の役割も「専属秘書」になった。

★ ヒロミはケーキづくりやビジネスにカリスマ性を発揮したが、一方で私生活は不安定。とりわけ恋愛下手で、気分が不安定になると弥生にそのとばっちりが向かう。

★ 弥生はヒロミの移り気に不満を持ちながらも、彼女がつくるケーキに惚れた弱さで、ヒロミの影として手腕を発揮していた。その結果、失った恋が2つ。そして3つ目の恋が成就するはずのクリスマスイブ。30代に手の届いた弥生にとっても決断の時だった。

★ それなのにこの日、ヒロミが弥生に依頼したのは、菓子の撮影で映える器(美濃焼)を探すこと。弥生は嫌とは言えず、新幹線に乗ったのだが。

☆ 人の心は複雑だ。弥生が器を探す過程で目にした「釣具小鳥将棋碁麻雀」の看板。ケーキ一筋の弥生には理解できない発想だったが、エンディングではそれも悪くないと思えるようだったのが印象的だった。

☆ 京都は台風の前に静けさ。明日は大荒れになるのかな。

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鷲田清一「死」

2023-08-13 10:35:41 | Weblog

★ 京都新聞「天眼」のコラム。哲学者の鷲田清一さんの「『反省』の時?」を読んだ。

★ 鷲田さんの論稿は高校の教科書に採用され、大学入試問題にも時々見かける。哲学者の言葉は難しい。何を言っているのかわからない。どういうことなのかと2度、3度読み返し、運が良ければわかったような気になり、ほとんどの場合、わからないままで終えてしまう。

★ わかるわからないは別として、わずかな時間でも考えるきっかけをつくってくれることに意味があるのかも知れない。

★ 今回のコラム。リアルな体験として老いに直面する鷲田さんが、わかりやすい言葉で日常を語られている。日々「思いどおりにいかないことが増えてきた」「そのつど立ち止まるよりほかない。嫌でも状況を、そしてその中のじぶんを省みる」。「視線の習慣をひっくり返」し、「ものに『合わせる』『従う』ということを日々覚えている」。「年老いて新しい経験をいろいろしだして」「それがちょっぴり面白く思えるようになった」という。

★ そして最後の段落。ヴァルター・ベンヤミンの言葉で締めくくられている。朝日新聞の「折々のことば」でも紹介された「根本的な新しさはひとつしかない。そしてそれは常に同じ新しさである。すなわち死」(「セントラルパーク」久保哲司訳)

★ どういう意味なのか。それを考えるために鷲田清一さんの「<ひと>の現象学」(ちくま学芸文庫)から「死 自然と非自然、あるいは死の人称」を読んだ。

★ 誰にも訪れる「死」。だから「死」は誰にも新鮮であるが、屍体となってしまえばそれ以上の意味はない。他者の「死」は「死者」として認識できるのだが。 

★ そして最後の一文がまた刺激する。「死は生に意味を与える無意味である」。果たしてどういう意味だろうか。

☆ 日曜の朝から難しい本を読んでしまった(笑)。小林秀雄の「無常という事」を読み返す。

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あさのあつこ「空が見える」

2023-08-12 20:41:23 | Weblog

★ 授業が暇な土曜日。合間にテレビを見る。毎年のことながら甲子園では熱戦が続く。

★ 少子化やスポーツの多様化の影響で、野球は私が子どもの頃ほど人気がない。(サッカーやバスケットボールに押され気味だ。)そのせいか、最近は打高投低で、私が小学生の頃に見た「三沢高校vs松山商業」のような息詰まる投手戦は少なくなった。点差が開く試合も目立つ気がする。

★ それでも勝ち抜いてベスト8ぐらいになると、見ごたえのある試合に出会える。

★ さて今日は、あさのあつこさんの「晩夏のプレイボール」から「空が見える」を読んだ。少し胸が熱くなる作品だった。

★ 壮年の夫婦。夫は不治の病でベッドに横たわる。もはや宣告された余命を過ぎているという。日々衰えていく夫を見守る妻。彼女は二人で歩んだ歳月を振り返る。

★ 二人には一人息子がいた。家業がスポーツ店だったせいか息子は野球が大好きで、甲子園に出るのを夢見て、夫とキャッチボールを楽しんでいた。妻は二人に嫉妬気味。

★ そんな家族を悲劇が襲う。息子が交通事故に遭い、亡くなったのだ。10歳だった。

★ それから20年。病床にあって眠ることが増えた夫は、夢の中で甲子園に立つ息子の姿を見たという。そして妻もまた、ふと目にしたテレビの画面に釘付けになる。息子と同じ名の選手が活躍しているのだ。

★ そして、物語は静かに終わる。

 

☆ 最近はゲームセットを待たずに涙する球児をよく見かける。「甲子園焼け」した彼らの感情の高ぶりは何に起因するものなのか。

☆ 負けや悔しさでも、勝った嬉しさでもない。重圧を涙で発散しているのだろうか。「涙は心の汗だ」という青春ドラマを思い出す。

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山口瞳「庭の砂場」

2023-08-11 17:36:17 | Weblog

★ 夏期講座第3クール終了。暑くて嫌な夏も、残り少ないと思うと名残多い。この暑い夏をあと何回経験するのかなと思うと、少々心細くもなる。

★ さて、そんな感慨を持ちながら、山口瞳さんの「庭の砂場」(文藝春秋)から表題作を読んだ。妹と弟を立て続けに看取った主人公。二人とも54歳だった。主人公も60歳を超えた。

★ 二人の親族の思い出を辿りながら、人生は短いと実感する。「これ以上生きていたって、面白いことなんてないよ」と強がりを言いながら、なぜか涙が出てくるという。

★ エッセイなのか私小説なのか。本の帯にある「寂寥」という言葉がじわじわと伝わってくる作品だった。

 

☆ 夏休みも半分が終わり、塾生たちの夏休みの宿題もほぼ終わっている。お決まりのドリルは早々に仕上げ(時々解答を見ながら)、世界の国調べ(中学1年生)や歴史新聞(中学2年生)も終わったあたりだ。音楽や家庭、美術の宿題は形ばかり仕上げ、タブレットを使った英語のスピーチもできている頃だ。残るは主張作文、読書感想文か。

☆ 最近はAI等を使った盗作問題もあるから、読書感想文はあまり積極的に推奨されない。主張作文もチャットGPTを活用すれば、うまくまとめてくれたりする。

☆ 日々の出来事をタブレットに書き込んで担任に送信するというのには驚いた。時代は少しづつ移り変わっている。

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篠田節子「水球」

2023-08-10 11:38:33 | Weblog

★ 夏期講座14日目。残るは11日。何とかここまでたどり着いた。

★ 世の中では台風が吹き荒れ、マイナ保険証問題で政府が窮地に陥り、某大学では運動部の学生の薬物使用で大いにもめている。とりわけ大学側の記者会見は噴飯もので、組織防衛なのか、自己保身なのか。

★ 教育機関云々の話もあったけれど、大学生と言えばもう十分成人なのだが。この事件を受けて「明日は我が身」と、冷や汗ものの大学もあるかと思う。

★ さて、篠田節子さんの「家鳴り」(新潮文庫)から「水球」を読んだ。主人公は証券会社に勤める50代の男性。高卒ながら猛烈に働き、大卒の社員と渡り合い、勤続33年、中堅証券会社ながら、管理職まで昇りつめた。

★ 浮き沈みの激しい業界。オイルショックやバブルなどいくつもの荒波を乗り越えて、郊外に邸宅を建て、妻と共に2人の息子を育て上げた。ちょっとした驕りなのか、ここ8年は愛人もできている。

★ そんな生活が一気に崩れていく。身を粉にして働いた会社が倒産したのだ。山積みの残務処理。もはや売却しても返済できない家のローン。愛人との関係がバレて妻とは離婚。息子たちは妻についていった。その愛人も彼の元を去っていった。(身から出た錆なのだが)

★ 心地よいほどの恐怖だ。50を超えた中年男に再就職の道は厳しく、病を抱える母と共にこれからどう生きてゆくのか。絶望を超克して、主人公の落ちっぷりに清々しささえ感じる。

★ 面白い作品だった。

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平野啓一郎「『本当の自分』幻想がはらむ問題」

2023-08-06 19:33:00 | Weblog

★ ドラマ「vivant」の中で主人公の乃木は、危機に直面するともう一つの人格らしきものと対話を始める。弱気な人格と強気な人格。乃木の過去の生い立ちに原因がありそうだが、これからの物語にどう影響を与えるやら。

★ さて、高校生が夏休みの国語の課題で平野啓一郎さん「『本当の自分』幻想がはらむ問題」と格闘していたので、便乗して読んでみた。

★ 「『本当の自分』幻想がはらむ問題」は「私とは何かー『個人』から『分人』へ」(講談社現代新書)に収められている。

★ 果たして「私とは何か」。本書では「人間の基本単位考え直す」という。従来、場の空気を読みながらキャラやペルソナを変えその時々の自分を演じていても、根幹には揺るがせない「本当の自分」があると考えられてきた。著者はそれを「神話」だという。

★ 著者は、それぞれのコミュニケーションを通じて形成される人格を「分人」と呼び、「私」の個性はその「分人」の構成比率によって決定されるという。そう考えることによって、生きやすさを得ようと提案している。

(★ 向田邦子さんの「父の詫び状」だったか、家庭では暴君的な父親が会社の上司に対しては平身低頭だったという話を思い出した。)

 

☆ 「個人」は「individual」つまり「分割できないもの」の和訳だという。それは近代になって日本に輸入された概念だという。言われてみれば成程だ。

☆ ところで、それまでの日本には「個人」という概念はなかったのだろうか。興味深い。近代以降、日本人は「個人」信仰を強く持ちすぎるあまり、副産物として重荷を背負ってしまっているのかも知れない。

☆ 幸不幸は別として、「我と汝」的な感覚があった西洋と、自然あるいは「家」や共同体との共存をめざす東洋的な考え方との違いを感じる。

☆ そもそも「私とは何か」などと、実体のないものを探すこと自体が不幸を招いているようだ。とはいえ、アイデンティティの問題をどう考えればよいのか。アイデンティティ・クライシスに直面し、その克服のために自分探しをすることは結局徒労に過ぎないのだろうか。

☆ 「『本当の自分』幻想がはらむ問題」は、読み解くのに少し時間がかかりそうだが、刺激を与えてくれた。

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