じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

平野啓一郎「『本当の自分』幻想がはらむ問題」

2023-08-06 19:33:00 | Weblog

★ ドラマ「vivant」の中で主人公の乃木は、危機に直面するともう一つの人格らしきものと対話を始める。弱気な人格と強気な人格。乃木の過去の生い立ちに原因がありそうだが、これからの物語にどう影響を与えるやら。

★ さて、高校生が夏休みの国語の課題で平野啓一郎さん「『本当の自分』幻想がはらむ問題」と格闘していたので、便乗して読んでみた。

★ 「『本当の自分』幻想がはらむ問題」は「私とは何かー『個人』から『分人』へ」(講談社現代新書)に収められている。

★ 果たして「私とは何か」。本書では「人間の基本単位考え直す」という。従来、場の空気を読みながらキャラやペルソナを変えその時々の自分を演じていても、根幹には揺るがせない「本当の自分」があると考えられてきた。著者はそれを「神話」だという。

★ 著者は、それぞれのコミュニケーションを通じて形成される人格を「分人」と呼び、「私」の個性はその「分人」の構成比率によって決定されるという。そう考えることによって、生きやすさを得ようと提案している。

(★ 向田邦子さんの「父の詫び状」だったか、家庭では暴君的な父親が会社の上司に対しては平身低頭だったという話を思い出した。)

 

☆ 「個人」は「individual」つまり「分割できないもの」の和訳だという。それは近代になって日本に輸入された概念だという。言われてみれば成程だ。

☆ ところで、それまでの日本には「個人」という概念はなかったのだろうか。興味深い。近代以降、日本人は「個人」信仰を強く持ちすぎるあまり、副産物として重荷を背負ってしまっているのかも知れない。

☆ 幸不幸は別として、「我と汝」的な感覚があった西洋と、自然あるいは「家」や共同体との共存をめざす東洋的な考え方との違いを感じる。

☆ そもそも「私とは何か」などと、実体のないものを探すこと自体が不幸を招いているようだ。とはいえ、アイデンティティの問題をどう考えればよいのか。アイデンティティ・クライシスに直面し、その克服のために自分探しをすることは結局徒労に過ぎないのだろうか。

☆ 「『本当の自分』幻想がはらむ問題」は、読み解くのに少し時間がかかりそうだが、刺激を与えてくれた。

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