見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

東京会場だけのお宝/聖徳太子と法隆寺(東京国立博物館)

2021-08-13 22:05:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 聖徳太子1400年遠忌記念特別展『聖徳太子と法隆寺』(2021年7月13日~9月5日)

 5月に奈良博で見た特別展の巡回展だが、いくつか重要な展示品が異なっていて、『天寿国繡帳』と『伝橘夫人念持仏厨子』は東京会場のみ出陳なので、こっちも行こうと思っていた。お盆休みにゆっくり行こうと思っていたら、『天寿国繡帳』は前期(~8/9)のみ展示と分かって、先週末、慌てて滑り込んだ。

 第1展示室の入口で、まず目に飛び込んでくるのは、金色に輝く如意輪観音菩薩半跏像(平安時代)。法隆寺聖霊院の秘仏で、聖徳太子の「ほんとうの姿」として信仰されてきたものだ。奈良博では、ほかの聖霊院の諸仏(本尊の聖徳太子像と山背大兄ほか侍者像)に気をとられて、あまり印象に残っていなかった。この如意輪観音、身体に密着した衣で胸元をすっかり覆っているのが珍しいと思った。

 展示構成はだいたい奈良博と同じで、おなじみの『聖徳太子二王子像』(東博は模本、江戸時代)があり、法隆寺献納宝物の墨床、水注、牙笏など(いくつかは聖徳太子ゆかりの所伝あり)、東博及び法隆寺等所蔵の金銅仏、瓦などが並ぶ。そして、銅製鍍金の灌頂幡、蜀江錦、伎楽面など、創建当時の法隆寺の荘厳にかかわる品々の中に『天寿国繡帳』が出ていた。これまで奈良や京都や東京で何度か見ているが、こんなにゆっくり見ることができたのは初めてである。むかし見た展覧会の解説(発色の鮮明な部分が原本で、褪色が甚だしいのは鎌倉時代の模本である等)を思い出しながら、ほぼ独占状態で飽きるまで眺めていた。

 それから、奈良博でも強く印象に残った聖霊院本尊の木造の聖徳太子および侍者像。同じく聖霊院安置の木造地蔵菩薩立像も確認した。三輪の大御輪寺旧蔵の地蔵菩薩立像(現・法隆寺大宝蔵院安置)よりはだいぶ小さい。仏画もいろいろある中で、法隆寺所蔵の『孔雀明王像』(鎌倉時代)は、初めて認識した気がする。孔雀も明王も、正面ではなく、やや向かって左方向に顔を向けているのが珍しい。

 次の「法隆寺東院とその宝物」のセクションでは、法隆寺献納宝物のひとつで、もとは東院舎利殿の障子絵で、江戸時代に屏風に改装された『商山四皓・文王呂尚図屏風』(南北朝時代、2曲6双)が展示されていた。これも奈良博には出ていなかったもの。中国風の山水楼閣ときらびやかな衣装の人々がたくさん、古風な筆致で描かれており、物語は解読できないものの、おもしろかった。私が見た前期は「文王呂尚図」だけが本物で、「商山四皓図」は高精細画像の複製品だったのだが、キャプションを見ても、え?どういうこと?と混乱したほど、本物と複製に差がなかった。

 大好きな『蓮池図屛風』を見ることができたのもラッキー。これも、もとは舎利殿須弥壇の後壁貼付だったのだな。『舎利塔』および『南無仏舎利』(という名称なのだ)も展示されていた。

 いよいよ最後が仏像である。奈良博では、まわりを金堂壁画の原寸大の高精細写真で囲んでいたが、東博ではそういう演出はなし。薬師如来坐像や六観音、四天王立像(広目天・多聞天)(全て飛鳥時代)などを淡々と眺めた。ふと気づいたのは、薬師如来坐像や六観音は、それぞれ展示ケースに収まっているのに、ガラスがほとんど鑑賞の邪魔にならないこと。映り込みを軽減した素材なのだと思う。ありがたいことだ。

 ところで、ここが最後の展示室だと思っていたのに『伝橘夫人念持仏厨子』がないので、あれ??とうろたえてしまった。出口方向をよく見たら、物陰にもうひとつ、仕切られたスペースがある。最後のスペースが『伝橘夫人念持仏厨子』単独の展示空間になっていた。まず手前には展示ケースに入った『伝橘夫人念持仏』。さざ波の池から立ち上がる三本の蓮花、それぞれに阿弥陀如来と脇侍の三尊が乗る。屏風のような後屏には天衣を翻す天女(飛天)たち。

 その後ろの展示ケースには、念持仏を収めるための巨大な厨子。基部の四面には天女だか菩薩だかの絵が描かれているようだ。少なくとも背面の絵はよく分かる。そして、最後に展示室の壁には、念持仏の後屏を空間いっぱいに拡大した巨大な高精細写真! 実は現物では、三尊の間の四人の天女は見えるのだが、本尊の光背の陰になっている中央の天女は見えない。この写真で初めて五人目の天女の存在に気づくことができた。というわけで、奈良と東京と二回行く価値は十分ある。

 なお、平成館1階ガイダンスルームでは、特別企画『国宝 救世観音・百済観音を8K文化財で鑑賞』を体験できる。8K画像と3DCGの組み合わせだという。将来的に、参拝したら御朱印をいただくように8K画像をダウンロードできるとか、好みの仏像の8K画像を念持仏としてスマホに入れておけるようになったら、老後も楽しいと思う。また、平成館1階ラウンジには、聖林寺・十一面観音菩薩立像の模刻像(藝大・朱若麟さん制作)が展示されているので、これもお見逃しなく。

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南宋絵画から素朴絵まで/十王図(神奈川県立歴史博物館)

2021-08-12 21:31:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立歴史博物館 特別展・重要文化財修理完成記念『十王図』(2021年7月17日~8月29日)

 同館所蔵の『十王図』(10幅、中国・南宋時代、国の重要文化財)を修理後初めて公開し、あわせて各地に伝わる『十王図』を紹介する。地味な企画だと思っていたが、行ってみたら面白かった。

 同館所蔵の『十王図』は、過去の複数回の修理が新たな保存上の問題を引き起こしている状態だったが、神奈川県と文化庁が共同で費用(3,300万円強)を負担することにより、平成24-28(2012-2016)年の5年間をかけて修理が完了した。図録に掲載されている同館元学芸員の方の回想によれば、2005年の『館蔵美術工芸名品展』で公開したのが最後で、2007年の特別展『宋元仏画』では出陳を断念したとのことである。私はどちらの展覧会も行っているので、2005年にこの『十王図』を見ているのかもしれないが、残念ながら全く印象に残っていない。

 今回の展示では、はじめに全10幅の高精細写真パネルがあり、じっくり舐めるように見た上で、ガラス越しの現物をしっかり見ることができた。劣化・損傷が激しくて、裁きの場に引き出された亡者や獄卒の様子はやや分かりにくいが、十王と侍者(男性官吏、だいたい2人ずついる)の部分はよく残っている。十王は、白目を大きく剥き、小さな黒目を点じて威嚇する表情が多い。侍者は全般にもう少し穏やかだが、細い釣り目が怖かったりする(五官王幅)。宋代の仏画は寒色系のイメージだったが、『十王図』では赤が目立つ。椅子や机のカバー(?)や十王の衣服(平等王幅)など、赤に金や白で細かな花模様が散っていて、美しく華やかである。

 本図が非常に珍しいのは、八王二使者で構成されていることだ。二使者とは「直符使者幅」と「監斎使者幅」。前者は、白いズボン(馬に乗るための格好?)に赤い頭巾の使者と、鬼面のような恐ろしげな侍者3人を描く。1人は黒馬の口を取り、1人は大きな旗を掲げる。後者は何か(ハンディな椅子のようなもの?)に腰を下ろした白衣・黒い冠のかなり偉そうな使者の背後に恐ろしげな侍者が4人。手前にも2人いて、1人は亡者(?)を引きずっているのではないかと思う。

 実は7月に京都の高麗美術館『朝鮮の仏さま』展で「直符使者」の図像を初めて見て、少し調べていたら、この展覧会の情報に行きあたり、慌てて見てきたのだ。高麗美術館の解説には「中国や日本の仏教にはない、朝鮮半島独特のもの」とあったが、この県博本のほかにも、小田原市の総世寺本(明時代)、滋賀県の西教寺本(高麗~朝鮮時代)に二使者の図があることを知った。

 本展には、神奈川県下を中心にさまざまな十王図が集められていて面白い。建長寺(室町時代)や称名寺(元時代、落款:陸信忠筆)のものは、たぶん別の機会に見たことがあるかな。横浜・宝生寺(室町時代)は十王の本地仏が円光に浮かぶ姿を描き込み、十王の前で地獄の責め苦が展開されるなど、「和様」の展開を見せている。

 川崎・明長寺の『地蔵十王図』(江戸時代)は十王の顔が大きくて、表情が分かりやすい。地獄の様子もマンガちっくで、ところどころ笑える。これは見たことあるかも?と思ったら、日本民藝館で聴いた矢島新先生の講演で触れられているので、その後の『日本の素朴絵』展に出ていたのではないかと思う(図録未確認)。逗子・神武寺の『十王図』(江戸時代)は、さらに素朴度がアップしていて、ぐふぐふ笑ってしまった。図録には特に笑える箇所(イモリの黒焼きみたいになった亡者とか)が拡大で掲載されていて、編集者も楽しんでいそう。

 重文の南宋絵画から素朴絵までを一気に楽しめるお得な展覧会。なかなかないと思う。

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新聞報道と流言/関東大震災「虐殺否定」の真相(渡辺延志)

2021-08-11 14:38:57 | 読んだもの(書籍)

〇渡辺延志『関東大震災「虐殺否定」の真相:ハーバード大学教授の論拠を検証する』(ちくま新書) 筑摩書房 2021.8

 著者は主に歴史分野を対象とするジャーナリスト。知人の学者から、ある論文のレビュー(書評)を書いてほしいとの依頼を受ける。論文の著者は、ハーバード大学ロースクールに籍を置くラムザイヤー教授だった。昨年「慰安婦は合意契約した売春婦である」という趣旨の論文を発表し、論議を呼んだ人物である。ただし本書で取り上げるのは慰安婦論文ではなく、関東大震災における朝鮮人虐殺に関するものだ。

 その論文は「Privatizing Police: Japanese Police, the Korean Massacre, and Private Security Firms(警察の民営化:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして民間警備会社)」(The Harvard John M. Olin Discussion Paper Series:1008, 2019/06)というもので、本書は、かなり丁寧に内容を紹介している。私の理解では、「公共の治安は公共財であるから、国家は基本的な治安サービスを公費で住民に提供する」「機能不全に陥った社会では、政権が治安装置(警察)を利用して自分たちの利益を引き出そうとすることもある」「機能不全に陥った社会では、人々は、公共の警察が提供する治安を補完するために(あるいは公共の警察から自分を守るために)追加的な治安を購入する」という論旨らしく、この見解に異論はない。

 論文は、はじめに治安装置としての警察の機能を解説し、明治維新以降の日本の歩みを簡単に紹介する。それから関東大震災における自警団の治安維持活動、その結果として発生した朝鮮人虐殺について論じ、最後に戦後日本の警備産業について述べる。正直、この紹介を読んでも、関東大震災に関する記述(分量的には論文の過半を占める)が、冒頭の論旨とどうつながるのか分からなくて、ぽかんとしてしまった。

 本書の著者も同じように感じたらしい。さらに大きな問題は、ラムザイヤー論文が「朝鮮人が放火をした」「井戸に毒を投げ入れた」等の流言を「嘘ではなかった」ものとして扱っており、虐殺を「正当な自衛行為」とみなす余地を与えていることである。これについて著者は、2008年に内閣府・中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」(※資料)がまとめた報告書をラムザイヤー論文が参照していないことに強い疑義を呈している。この報告書の存在を私は初めて知ったのだが、「本事業の目的は歴史事実の究明でなく、防災上の教訓の継承である」ことを基本姿勢とした意義深いものである。内閣府もいい仕事をしているのだな(福田内閣時代の仕事らしい)。

 続いて著者は、ラムザイヤー論文が引用した当時の新聞記事を検証していく。「長野」「高崎電話」などの短いクレジットから、記事の情報源と伝達ルートを推測し、信頼性を評価する試みには、著者の記者経験が活かされており、興味深かった。震災直後、鉄道の線路に沿って全国を結ぶ通信網(東海道線と中央線は不通だったため、信越線の回線が頼り)が大きな役割を果たしたことを初めて知った。

 当時の新聞報道については「関東大震災下の『朝鮮人』報道と論調」(三上俊治、大畑裕嗣、1986-87、東京大学新聞研究所紀要 35-36)という研究がある。1088件の新聞記事を東大の大型コンピュータで集計、分析したものだ。その結論は、新聞が、流言を事実であるかのように報道して読者に誤った状況認識を植え付けただけでなく、事実無根の流言と判明した後も、これを積極的に打ち消し、読者に正しい認識を与えようとする努力を示さなかった等々、きわめて厳しい。なお、仙台に本社を置く河北新報は「朝鮮人による暴行」流言記事の割合が全国平均を大きく上回っており、東京からの避難民の談話に取材したことと関係づけられているのも興味深い。

 著者は、自らの不明を恥じつつ、三上・大畑論文を「これまでに読んだことはなかった」ことを率直に告白している。その背景には、虐殺事件に対する日本社会の関心の乏しさ、理解しがたい残虐さから目をそむけたいという欲望があるのだろう。この点を、戦友会=兵士の戦場体験を封じ込める仕組みからの類推で論じた箇所にも考えさせられた。

 あと個人的な感想としては、いま大学の紀要類はオープンアクセスで入手できるのが標準と思っていたので、新聞研究所紀要のバックナンバーがネット上に公開されていないことが地味にショックだった。人文社会科学分野では、過去の研究成果にも価値あるものが多いと思う。もっと公開を進められないものだろうか。

 なおラムザイヤー論文は、その後、大幅に改訂されたものが別の媒体に掲載され、本書に紹介された版はネット上では入手不可(コピーリクエストは受付)になっていることを付け加えておく。

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絆(ほだし)の物語/高木和子『源氏物語を読む』

2021-08-10 14:29:26 | 読んだもの(書籍)

〇高木和子『源氏物語を読む』(岩波新書) 岩波書店 2021.6

 著者は源氏物語についての著書が多数ある専門家だが、本書は何か独自の見解を強く主張するものではない。原典のストーリーを分かりやすく丁寧にたどることに徹し(この態度が素晴らしい)、最後に研究者として、控えめにその魅力を解説するにとどめている。

 重要な場面では、数行程度の原文や和歌が引用されている(ただし表記は濁点あり・適宜漢字を用いた読みやすいかたちで)が、面倒であれば、古文を読み飛ばしても、全体像の理解には差支えない。好きな人は、自分なりに原文の味わいを確かめることもできる。また、新しい研究成果や研究者間で意見が分かれている点も説明されており、巻末の参考文献一覧で、原典の研究論文にあたることもできるので、すでに源氏物語を何度も熟読している愛好者にも役立つと思う。また個人的には、『源氏物語絵巻』でよく知られる場面の解説が嬉しかった。

 私は大学時代に国文学を専攻し、むかし高校で古文の教師をしていた必要もあって、源氏物語の簡訳本は何度か読んでいる。全訳は、玉上琢弥氏訳注の全10巻本(角川ソフィア文庫)を、光源氏が退場する第7巻まで読んだが、そこで止めてしまった。それもかなり以前のこと(2004年)なので、かなり忘れている。最近は、源氏物語を題材にした美術作品を見ても、これは何の場面?というのが、なかなか解読できなくて、歯がゆい思いをしていた。やっぱり源氏物語は、平安文学だけでなく、それ以降の日本のあらゆる芸術分野の基礎教養だと思う。

 久しぶりに源氏物語の世界に浸って、新鮮に感じたことがいくつかある。むかしの私は、「一人の男主人公と多数の女性たち」という世界が、実はよく分からなかった。江戸の大奥を舞台にしたドラマとか、あったのかもしれないが、あまり若い女性の嗜好に入ってくるものではなかったと思う。今回、本書を読みながら、中国の宮廷ドラマ『瓔珞』や『如懿伝』、ちょうど最近まで見ていた『明蘭(知否知否応是緑肥紅痩)』などを思い出すことが多かった。最愛の紫の上がいるのに、ほかの女性に心動かされる源氏の「悪い癖」は、宮廷ドラマの乾隆帝みたいである。また、本書は女房など「端役たちの活躍」にしばしば言及しているが、これも中国ドラマに登場する宮女や嬤嬤(年長の宮女)を思い出した。あと主君の男女と相前後して、それぞれの従者の男女が恋仲になるのも、ドラマでよく見た光景である。

 光源氏については、東宮に入内予定だった、右大臣家の六の君・朧月夜と一夜を過ごしたことが、右大臣家の計画を狂わせ、結果的に政局をゆるがせたという指摘が、あらためて興味深かった。恋の物語は、政治の物語としても読めるのだ。源氏が明石での不遇の時代を終えて帰京した後、誠実に待ち続けた末摘花や花散里が幸せを得るのに対し、右大臣家におもねって離反した人々は苦い報復を受けており(空蝉もその一人)、善因善果、悪因悪果の説話仕立てであるということも気づいていなかった。

 また、この物語世界には、すでに故人である「先帝」が設定されており、桐壺帝が藤壺中宮を、朱雀帝が藤壺女御(女三の宮の母)を入内させ、光源氏が藤壺、紫上、女三の宮と先帝系の血脈に執心することに、「滅びゆく王統の者への憧憬と鎮魂と救済の物語としての骨格」が見出せるというのも興味深い。

 当時の人々にとって「救済」を分かりやすく目に見えるかたちで表すのが、出家であったろうと思われる。しかし、多くの登場人物の出家が語られる中、光源氏は出家に心ひかれながら、思いとどまる。紫の上への執着(源氏は紫の上の出家を許さない)と、薫の行く末を案ずる気持ちが理由として示される。本書は、これを「絆(ほだし)」という言葉で説明する。「絆(ほだし)」の委譲と積み重ねで進んできた物語の最後に、人々の「絆(ほだし)=束縛」をすべて代わりに担うところに晩年の光源氏の主人公性があるという。主人公性、すなわち王者の役割と言い換えてもよいと思う。能動的に全てを切り拓いていくのが主人公だという近代の文芸観に染まり過ぎていると、こういう古い物語の構造が見えにくいことを思った。

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カリスマと信徒たち/毛沢東論(中兼和津次)

2021-08-08 21:36:45 | 読んだもの(書籍)

〇中兼和津次『毛沢東論:真理は天から降ってくる』 名古屋大学出版会 2021.4

 毛沢東とは何者か。彼の行動と思想の根幹は何か、現代中国に何を残したのかを、論理的・客観的に説明することを本書は目指す。ただし毛沢東の評伝ではないので、彼の生まれ・育ちを細かく追うことはしない。

 はじめに「毛沢東哲学」の代表的な著作「矛盾論」と「実践論」を分析し、その論理的な落とし穴を指摘する。最も重大なのは「真理の基準を実践のみに求めること」で、これが軍事戦術なら、成功した作戦は正しかったと言えるだろう。しかし経済・政治などの社会現象は、そのように単純ではない。にもかかわらず、革命に勝利したことをもって、毛の哲学は「正しい」こととされ、共産党の幹部から庶民まで、誰も反対することができなくなってしまった。

 興味深い一挿話として、著者は、もしも魯迅が新中国設立後まで長生きしていたら?という大胆な仮説を提示する。実は、1957年に毛沢東にこの質問をぶつけた文学者がおり、毛は(魯迅は)囚人になるか、沈黙するか、どちらかだったろうと答えている。そして本書は、実際に毛沢東を批判したことにより、反革命分子とみなされ打倒された二人の知識人、梁漱溟と胡風の例を挙げる。おそらく魯迅なら、もっと激しく毛沢東と衝突しただろう。そして毛は、ちゃんとそのことを分かっていたというのが味わい深い。

 次に著者は、毛沢東の実際の政策「反右派闘争」「大躍進」「文化大革命」の経緯を追いながら、毛がどのような哲学(または政治経済学)に基づいて行動していたか、周囲の人々、劉少奇や彭徳懐、鄧小平、周恩来らが、なぜ毛の暴走を泊められなかったかを考える。特に悲劇的だったのは、大躍進政策と、それに煽られた人民公社制度であるという。

 毛が、革命根拠地での平等主義の成功体験が忘れられなかったらしいというのは分かる。マルクス主義というより「大同思想」(分配における平等主義で、権利と義務の平等ではない)に憧れていたことも分かる。一方で毛は「半分の人間を死なせ、残りの半分が十分食べられた方がいい」と公言していたともいう。これは近代民主主義の価値観では絶対に許されないが、それだけに恐ろしく引力のある発言だ。こういうところ、毛はマルクスではなく、中国の歴代の皇帝から学んでいるのだと思う。あるいは生まれもってのカリスマ性かもしれない。

 終章で著者は、マックス・ウェーバーの論を引いて、カリスマ的支配とは「非日常的な能力」であるという説明をしている。経済に関する知識、実務能力、人間性などでは、毛沢東より優れた指導者はいた。毛沢東哲学の「怪しさ」に違和感を持っていた人々もいたはずである。しかし彼らは教祖を信じ続けた。キリスト教徒が神を信じるように。

 大躍進から文革へと続く大混乱で中国が崩壊しなかった理由は、もちろん毛のカリスマ性だけではない。より具体的な理由として、著者は第一に、庶民が制度の裏をかくような行動で生存水準を保全したこと、それから、毛が軍隊だけはしっかり掌握していたことを挙げている。

 著者は毛沢東評価の総括を「私には彼が『偉大な』人物だとはどうしても思えない」と結んでいる。近代的な評価軸から見ればそうだろう。しかし私は、ずっと毛沢東という人物に魅力を感じている。本書には、毛沢東がとっかえひっかえ、若い女性との情事に耽っていたことについて、道教の教えに基づく、健康・長寿のための性的実践だったのではないかという説を紹介している。こういう反近代性・反倫理性も含めて、毛沢東はおもしろいのだ。

 また、鄧小平や周恩来の評価も面白かった。鄧小平の経済学は「大きな道理やスローガンはなく、詩のような言葉もなく、花のような理論もない」と評されているそうだ。「もともと勉強家ではなく(中略)マルクスやエンゲルスがどのように言っていたのか、大して関心がなかったようである」には笑ってしまったが、理念や思想に無頓着だったからこそ、中国経済の高速発展を実現できたとも言える。鄧小平のこういう気質には親近感を感じる。また、周恩来が「全力を尽くして毛にかしづいた」という表現にぞくっとなった。儒教における君臣関係というのは、どんなに融和的に見えてもそういうものなのだろう。

 さて、最後に現在の習近平体制について、著者の言うとおり「今日の中国指導部は毛の遺産をしっかり受け継いでいる」のは間違いない。しかし習近平に毛沢東のカリスマ性はないと思うのだ。中国、どうなるかなあ。

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門前仲町グルメ散歩:2021夏・初かき氷

2021-08-07 22:37:43 | 食べたもの(銘菓・名産)

職場は来週が休業+有休取得推奨のため、この週末から次の週末まで九連休。本来なら海外へ飛び出す好機だが、それもままならず、遠出と人混みを避けて過ごすことにした。

しかし昼も夜も冷房なしではいられないので、電気代が恐ろしいことになりそう。

今日は、門前仲町の伊勢屋で(東京では)この夏初めてのかき氷。

去年までと、ちょっとメニューが変わって「氷いちごミルク」(練乳がつく)にソフトクリームをトッピングする方式になった。昔なつかしい氷メロンや氷レモンがなくなってしまったのは、ちょっと残念。

食べると体が冷えて、しばらくは汗が引く。9月末まで何度か食べにくると思う。

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派手に楽しく/映画・唐人街探偵 東京MISSION

2021-08-06 23:56:37 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇陳思誠監督『唐人街探偵 東京MISSION』(2021年)

 ぱあっと楽しい映画が見たくなって、映画館で見てきた。中国映画の人気シリーズ「唐人街探案」の第3作である。冒頭に短い解説編があり、作品世界には、世界の探偵たちを順位づけするクライマスタ―(CRIMASTER、犯罪大師)というランキングがあることが示される(琅琊榜みたい)。登場する探偵たちは、いずれもその上位ランカー(唐仁を除く)。ただし最上位の「Q」の正体は謎に包まれている。

 本作では、中国の若き天才探偵・秦風(劉昊然)とその叔父でやはり探偵業の唐仁(達者なのは口だけ)が、日本の名探偵・野田昊(妻夫木聡)の招きで東京にやってくる。東京では、ニューチャイナタウンの開発利権を巡って、ヤクザの黒龍会とタイ・マフィアの東南アジア商会との間で争いが起きていた。先だって、黒龍会組長の渡辺(三浦友和)と、東南アジア商会の会長スーチャーウェイが二人きりで会談をおこなったが、スーチャーウェイは殺され、渡辺に殺人の嫌疑がかかっている。しかも現場は密室である。

 秦風と唐仁と野田は、渡辺の無罪を証明すべく奔走する。一方、東南アジア商会側が渡辺の犯罪を追究するためにタイから呼び寄せた探偵がジャック・ジャー(トニー・ジャー)。日本の警視正の田中(浅野忠信)も捜査に乗り出す。

 さらに事件の鍵を握る、スーチャーウェイの秘書・小林杏奈(長澤まさみ)が誘拐され、その救援に駆けつけた秦風は、強姦殺人容疑の指名手配犯である村田(染谷将太)の罠に嵌り、村田を高所から突き落として死に至らしめ、殺人容疑で逮捕されてしまう。秦風を救うため、唐仁、ジャックらは世界に散り、隠された人間関係を掘り出し、スーチャーウェイ殺害事件の真相を明らかにする。

 隠されていた人間関係(血縁)が明らかになると、その関係に起因する愛憎が見えて、事件の真相が腑に落ちるというのは、横溝正史作品などを思い出すところがあった。陳思誠監督は、映画作品を見るのは初めてだが、彼が監督・主演をつとめた連続ドラマ『遠大前程』はものすごく面白くて、何でもありのサービス精神、ジェットコースターのような展開のスピード感に加えて、歴史と人情を大切にする作劇が大好きだったので、本作にも通じるところが多いように感じた。

 本作に描かれる「東京」は、秋葉原のコスプレパレード、渋谷の交差点、全身刺青のヤクザ、大浴場、パチンコ屋、女子高生、相撲レスラー、剣道、東京タワー、レインボーブリッジ、打ち上げ花火など、ああ、なるほどね~と納得する「いまの東京」の魅力がてんこ盛りで、同時に、現実から少しズレた「虚構」であるところが面白い。

 劇中では、超小型の自動翻訳機を耳につけているという設定で、日本語・中国語・タイ語・英語のセリフが飛び交う。これは虚構なんだけど、多様なルーツの人々が行き交う、現実の東京からそんなに遠くない気がした。コロナの影響で、そうした光景をやや忘れかけていたけれど。

 日本人俳優は、癖があって魅力的な俳優さんを実に巧く使っていた。誰の趣味なのかなあ。ネタバレになるので詳しく書いていないが、染谷将太くんがよいし、六平直政さん、鈴木保奈美さんもよい。妻夫木聡さんは、中国語?タイ語?も堂々としたものだった。劉昊然(リウ・ハオラン)くんは、古装ドラマの悩める貴公子でしか見たことがなかったけど、こういう作品も楽しそうでよかった。日本人ファンが増えてほしいな。

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大家族の幸不幸/中華ドラマ『知否知否応是緑肥紅痩』

2021-08-04 20:22:39 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『知否知否応是緑肥紅痩』全73集(東陽正午陽光影視、2018)

 本国では放映当時から良作と評価され、日本でも『明蘭~才媛の春~』のタイトルで何度も放映され(現在も放映中)人気を博していることは知っていたが、私の好みではないと思って敬遠していた。何しろ売り文句は「心温まる夫婦の愛の物語」なのだ。しかし、試しに視聴してみたら、ここから想像されるようなほのぼのドラマではなく、陰謀・復讐・殺人・焼き討ち・危機に次ぐ危機で、特に終盤は目の回るような展開だった。

 時代は北宋、盛家には正妻の王氏のほか、林氏と衛氏という二人の側室がおり、多くの子女にめぐまれていた。林氏は衛氏を妬み、そのお産がうまくいかないよう画策する。産気づいた母のために医者を探す幼い明蘭を助けてくれたのが、顧廷燁少年だった。しかし二人の奔走も空しく、衛氏はお腹の子とともにこの世を去る。明蘭は、母の遺言「万事目立たないように生きよ」を守り、祖母の庇護を受けて盛家で成長していく。

 年頃になった明蘭は、斉国公府の御曹司・斉衡と相思相愛になる。しかし心優しすぎる斉衡は、気位の高い母の反対に遭い、皇族の女性から横恋慕されるなど、結果的に明蘭を裏切ることになる。この頃、明蘭は、生母の死の原因をつくった林氏を盛家から追い出して復讐を遂げる。

 斉衡に代わって明蘭を妻にしたのは顧廷燁。新帝・英宗の即位に大功を挙げ、寧遠侯爵家の後継ぎとして飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、顧家の女主人・秦氏は、継子の顧廷燁の失脚を願っていた。また、顧廷燁が若い頃、側室にしていた朱曼娘は、財産目当ての本性がばれて追い出された後、顧廷燁を恨んで復讐の機会を狙っていた。

 秦氏は康王氏(盛家の女主人である王氏の姉)と語らって、康王氏の継娘を顧廷燁の側室に入れようとするが、顧廷燁夫妻は断固拒絶する。面子を潰されたことに怒る康王氏は、妹の王氏をそそのかし、明蘭の後ろ盾である盛家の祖母の毒殺を企むが露見する。盛家の長男・長柏は、実母の王氏を厳しく罰し、康王氏を監禁して収拾を図ろうとする。しかし隙を見て逃げ出した康王氏は、顧家の秦氏のもとに身を寄せ、明蘭と生まれたばかりの赤子の命を奪おうとし、駆け付けた顧廷燁に返り討ちにされる。

 その頃、皇帝は、血のつながらない皇太后との対立、辺境の情勢不安に悩んでいた。顧廷燁は康王氏殺害の罪を問われ、沈将軍の一兵卒として辺境に赴いたが、宋軍大敗の報が届く。守りの手薄な皇城に、突如、謀反の火の手が上がり、皇帝の寵臣である顧廷燁の留守宅にも軍勢が押し寄せる。時を同じくして、秦氏の差し向けた暗殺者・朱曼娘とその一団もなだれ込む。絶体絶命の明蘭を救ったのは顧廷燁。全ては謀反人をおびき出すためのはかりごとで、沈将軍と顧廷燁の軍勢は都の近くに潜んでいたのだ。謀反の首謀者である劉貴妃は処罰された。皇帝は皇太后に皇宮を出ることを勧め、関係を修復する。秦氏は自殺し、顧家にもようやく平和な日々が訪れる。

 あらすじではだいぶ省略したが、とにかく大勢の人物が登場し、変化に富んだ物語を紡いでいく。当時の倫理として、男も女も「家」を守ることが最重要であり、同じ家の中では「血筋」に肩入れするのが当然というのはよく分かった。それから女性は、安定した家に生まれるか、安定した家の正夫人になるのでなければ、生きていくことが難しい。だから林氏にしろ、その娘の盛墨蘭にしろ、狙った男性の寵愛をつなぎとめるため、無垢を装い、媚びを売り、必死で陰謀をめぐらすのは当然で、どこか憎み切れない。

 本作の女性たちは、年齢・善悪にかかわらず、実に陰謀・策略好きである。主人公の明蘭でさえ、孔明か張良かみたいな言い方で顧廷燁に知謀を誉められている。それに比べると男性陣は善良で単純な人物が多かった。

 明蘭(趙麗穎)は、最初は控えめすぎて、あまり魅力を感じなかったが、子どもを産んだあたりから、どんどん強気になっていくのが面白い。顧廷燁(馮紹峰)は、明蘭が危機に瀕すると必ず救いに駆けつけるというお約束を、最後まで違えない。たぶん脚本も「お約束」を楽しませようと思って作っていると思う。斉衡(朱一龍)は、明蘭との結婚に失敗したあと、闇落ちしかかるが、理解ある後妻の支えで、身近な幸せを見つめ直す。中国ドラマにしては優しい結末にちょっと泣けた。

 いろいろなドラマで見てきた俳優さんを見つけるのも楽しかった。老け役の多い王仁君(盛長柏)は珍しく年相応の役かも。中間管理職イメージの強い馮暉さんの皇帝役には笑ってしまったが、役作りで体重を増やしたようで、貫禄があった。『瑯琊榜』の蒞陽長公主役で視聴者の感涙をしぼらせた張棪琰さんの康王氏は、振り切った悪女ぶりが怖かった。

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2021年7月@関西:朝鮮の仏さま(高麗美術館)他

2021-08-01 19:49:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

 連休四日目。今日は予定している美術館が全て朝10時開館なので、朝イチで東寺に寄って御朱印をいただき、『京の国宝』展で取り上げられていた焼損四天王像を見ていく。そして、夜叉神堂を覗いていくのが定番コースなのだが、雄夜叉神のお堂は空っぽで「諸事情によりしばらくの間御遷座しています」の貼り紙が出ていた。私のブログでは2020年3月に参拝したときからこの状態。駐車場脇のお堀では蓮の花が盛り。

高麗美術館 『朝鮮の仏さま』(2021年4月1日~8月17日)

 朝鮮半島の仏像、仏画など約40件を展示。チラシ・ポスターになっている木造漆箔菩薩立像(朝鮮時代後期)は頭頂に二股の髷?髪飾り?をつけていて、中国語でいう丫頭(少女)を思い出す、かわいらしい仏様だった。そのほか仏像は、石造と銅あるいは鉄造が多い印象。解説に、朝鮮の仏像は時代とともに白毫が退化し、肉髻と肉髻珠(髻の根元の朱色の珠)が大きくなるとあって、なるほどと思った。朝鮮仏を見分けるヒントになるかもしれない。個人的には、石仏など、頭が大きくて撫で肩の印象を持っている。

 色鮮やかな仏画を見ると、韓国旅行でまわったお寺を思い出す。『如来説法図』(光緒14/1888年)は弟子たちがみんなニコニコしてくつろいだ雰囲気が好ましかった。『十牛図』(朝鮮時代、19世紀)は素朴な民画ふうでこれも好き。『直符使者図』(朝鮮時代、17世紀)は、緑と赤の衣を着て馬を従えた(馬上だったかも)人物を描く。直符使者は冥界からの使者で、中国や日本の仏教にはない、朝鮮半島独特のものだという。解説には、日直使者と月直使者がいるとも書いてあった。『判官図』(朝鮮時代、19世紀)は、素朴な絵(冥界の判官か)にハングルと漢字で文章が添えてあるのだが、内容が判読できず、気になった。知りたいことがいろいろ増えた展覧会だった。

相国寺承天閣美術館 『若冲と近世絵画展』(I期:2021年4月29日~7月25日/II期:8月1日~10月24日)

 18世紀の京都で腕をふるった絵師たちの中から、相国寺と深いかかわりのある絵師たちの作品を展示。もちろんその中心は若冲である。久しぶりに若冲の『釈迦三尊像』3幅を見ることができ、『釈迦三尊像』展示期間中だけの限定御朱印もいただいてきた。鹿苑寺大書院障壁画は、常設の『葡萄小禽図』『月夜芭蕉図』だけでなく、全部(?)見ることができる。私の好きな『竹図』、その裏側の『秋海棠図』も。堂々とした『玉熨斗図』は何度か見たことがあるが、現在でも毎年正月には鹿苑寺の方丈に掛けるという情報が、ちょっと嬉しかった。

 また、若冲の支援者として有名になりつつある梅荘顕常(大典禅師)の書簡集(刊本)なども展示されており、お中元に若冲から素麺(表記は「線麺」)を貰ったこと、素麺が若冲の好物であることなどが記されていた。

京都文化博物館 特別展・京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完了記念『花ひらく町衆文化-近世京都のすがた』(2021年6月5日~7月25日)

 2015~2020年度に解体修理をおこなった岩佐又兵衛筆『誓願寺門前図屏風』の完成を記念し、この屏風が描かれた江戸時代の京都に焦点をあて、近世都市京都がいかに表象され、また都市に息づく人々はどのように文化を紡いできたのか、絵画、考古、古文書など豊富な資料で展観する。

 この屏風は、ネットで確認したところでは、2016年夏の福井県立美術館『岩佐又兵衛展』にも出陳されていない。あまり私の記憶にない作品だった。会場では、岩佐又兵衛の研究者である筒井忠仁氏(京都大学)の解説がビデオで流れており、興味深かった。又兵衛が福井に移住する直前、青春を過ごした京都への決別の思いを込めた作品、という想像に惹かれた。

龍谷ミュージアム 特集展示『釈迦信仰と法華経の美術-岡山・宗教美術の名宝II-』(2021年7月10日~8月22日)

 同館は、岡山県立博物館の改修工事にあわせて、所蔵品と寄託品の一部を預かることとなり、昨年暮れから今年の初め、企画展『ほとけと神々大集合-岡山・宗教美術の名宝-』を開催した。本展は、そこで紹介できなかった岡山の名宝を、釈迦信仰と法華経というふたつのテーマを通して紹介する。鎌倉時代の『普賢菩薩像』『文殊菩薩像』(岡山県井原市・智勝院所蔵、山奥だなあ)など、美麗な仏画を数多く見ることができた。

 気になったのは、所蔵者の明示されていなかった『羅漢降臨図』(中国・元時代)。白雲の上に、パステルカラーの美々しい衣・袈裟を身に着けた若い羅漢(髭がない)が座り、その背後には、それぞれ老僧五人、道士(?)五人を乗せた小さな雲が浮かんでいる。羅漢の足元には三人の供養者。異国風の顔立ちの侍者が花瓶を捧げている。解説には「水陸会と共通する」という指摘がされていた。

 以上で、予定をコンプリート。往路よりだいぶ混んだ(しかし例年の連休ほどではない)新幹線で東京へ戻った。次に関西に来られるのは秋かなあ。

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