見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

鳥獣戯画も堪能/明恵の夢と高山寺(中之島香雪美術館)

2019-04-15 23:03:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

中之島香雪美術館 特別展・朝日新聞創刊140周年記念『明恵の夢と高山寺』(2019年3月21日〜5月6日)

 週末旅行で大阪・奈良・京都・滋賀の美術館・博物館を1つずつ回ってきた。本当は、3月末に彦根とMIHOミュージアム訪問が実現していれば、この週末は奈良博プラス日吉大社山王祭の予定だったのだが、社会人の年度末は、なかなか思うようにはいかない。それでも1泊2日で、いま一番見たいものは全て見てきた。

 本展は、鎌倉時代の高僧・明恵上人(1173-1232)に迫る特別展。なぜ同館が明恵上人を?と少し不思議に思ったが、1つには、同館が所蔵する村山龍平コレクションにも「夢記」の一部が含まれているのだそうだ。また、明恵ゆかりの高山寺が所蔵する国宝『鳥獣戯画』全4巻は、近年、朝日新聞文化財団の助成で大がかりな修理が施されたことから、本展の開催となったようだ。しかし、展覧会の焦点はあくまで「明恵上人」で、あまり『鳥獣戯画』を売りに出していないので、同作品が見られることは、あまり認知されていないのではないかと思う。

 会場に入ると、いつもと少し場内ルートが違っていて、『鳥獣戯画』を展示するための別室が設けられている。細長い空間で、まず右側の壁に同作品全体図の複製写真が掲げられている。それを眺めながら折り返すと、左側の壁に沿って長い展示ケースが続き、甲巻の後半(ウサギ、カエル、サル、キツネ、烏帽子ネコ。仏像になりすますカエルと袈裟を着たサルなど)と乙巻(リアルだけど表情が人間くさい動物たち)が開いていた。順序よく見ようというお客さんが多くて、甲巻に到達するまで15分ほど並んだが、乙巻の前はガラガラに空いていたので、好きなだけ独り占め状態で見ることができた。いや~乙巻好きなので嬉しい。冒頭のニワトリの目つきが鋭くて、ちょっと家光描くニワトリに似ている。

 『鳥獣戯画』は、東博や京博の展覧会では2時間待ちとも3時間待ちとも言われたお宝。こんなふうにそっと見せてくれるのはとても嬉しい。なお、甲巻・乙巻は4/14までで、4/16から丙巻・丁巻に展示替えとなる。

 さて明恵上人に関する展示品の所蔵者に気を付けていると、京都・高山寺は当然として、大阪・久米田寺、和歌山・施無畏寺など、知らない寺院の名前がいくつかあった。明恵さんが紀伊国の生まれで、平氏であることを知って驚く。驚きながら、あれ?どこかで聞いたような?と思ったのは、2017年の和歌山県立博物館の企画展『西行と明恵』を、気になりながら見逃したのだ。明恵上人は、父は平重国(伊勢平氏の家人で、高倉上皇の武者所に伺候)、母は紀伊国の有力者であった湯浅宗重四女で、20代の頃は紀伊国内を転々として修行と学問の生活を送ったという。

 天竺へ渡って仏跡を巡礼しようとしたが、春日明神の神託によって断念した、という説明を読み、『春日権現験記絵』を思い出して微笑んでしまった。展示には香雪美術館所蔵の『春日鹿曼荼羅』や『春日社寺曼荼羅』あり。それから奈良・東大寺の『華厳海会善知識曼荼羅』も面白かった。明恵さんは、文殊菩薩に導かれ、真理探究の旅をする善財童子に我が身を重ねていたのだな。訪ね歩く善知識には、遊女や「夜の女神tあだ」たちなど、女性が多い気がする。あと船子(船頭?)もいた。

 高山寺の木造『神鹿(2躯)』『馬』も来ていた。『子犬』がいないなあ、と思ったら最後の部屋にいた。古なじみのわんこなので、山深い高山寺を訪ねて会うのも趣き深いが、こういう展示会場で会うのも嬉しいものだ。『将軍塚絵巻』が見られたのも儲けもの。村山コレクションには、この江戸時代の摸本があり、後期は摸本の展示にあるようだ。

 『夢記』は諸本が展示されており、特に毘盧舎那像を見て、その姿を絵に描き止めているのは興味深かった。手練れたスケッチである。ただ、もっと面白い夢はいくつもあるはずで、せっかくこのタイトルの展覧会にしたのなら、もう少し夢の紹介が欲しかった。

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2019門前仲町の夕桜

2019-04-11 22:00:38 | なごみ写真帖

今年は3月末から4月にかけて、寒い日が続いたおかげで、長い期間、桜が楽しめた。

さすがに昨日あたりから葉桜。写真は1週間ほど前。

門前仲町に越してきた1年目の春は、新生活の準備で桜どころではなく、

2年目の去年は、週末に桜並木を歩いたが、夜桜を楽しむ余裕はなかった。

3年目の今年は、夕暮れ桜の美しさを発見。

しかし、まだやり残したことがある。私の部屋の前を流れる大横川では、毎年この時期に「お花見クルーズ」が運航されるのだが、残念ながら今年も乗り損ねてしまった。

来年こそは船の上から、この桜並木を眺めたい!

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天衣無縫の魅力/六古窯-和のやきもの(出光美術館)

2019-04-09 22:37:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『六古窯-〈和〉のやきもの』(2019年4月6日~6月9日)

 六古窯とは、日本古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの窯、瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前をいう。2017年には文化庁の「日本遺産」にも選定されているそうだ。私がこうした古窯(古陶)の存在を知ったのは、やはりこの出光美術館の展覧会だった。ブログを検索すると。2010年に『麗しのうつわ-日本やきもの名品選-』という展覧会を見ていて、「猿投(さなげ)」の名前を初めて覚えたと記憶している。

 しかし、色絵や染付、織部や志野などと違って、「見て楽しむ」ためのやきものとは言い難い、武骨で素っ気ない、六古窯の面白さが私に分かるだろうか?と多少、危惧しながら会場に赴いた。結果は、心配したより楽しめたと思っている。展示は、関連の中国陶磁や後世のやきものを含め、100点余り。福井県陶芸館、愛知県陶磁美術館など、行ったことのない美術館からも優品が出品されていて、興味深かった。

 最も衝撃的だったのは、越前窯の双耳壺(室町時代、福井県陶芸館)である。40センチメートルを超える大型の壺で、落ち着いた茶褐色の地肌。口のまわりに、刷毛で掃いたように濃緑色の釉が流れ、その一部が白と水色に発色している。まるで油彩の絵具をなすりつけたようだ。さらに焼成中に壺が横倒しになり、その後、再び逆向きに倒れたため、釉薬が下から上へ回り込むような、不思議な流れ方をしていて、天衣無縫の魅力がある。

 六古窯のやきものに感じるのは、人間が完全にコントロールすることのできない、土と火と偶然の力が造り出す芸術性である。信楽窯の壺(南北朝時代、出光美術館)の赤みがかった肌に流れる緑釉の存在感。常滑窯の大壺(平安時代後期、出光美術館)は、表面に点々と大小の小石のようなものが張り付いている。「振り物」といって、焼成中に窯の中の土屑などが舞い、器面に落ちて付着したものだという。土門拳が「たんこぶ」と呼んだ丹波窯の壺(銘:猩々)(鎌倉時代、兵庫陶芸美術館)は、胎土の中の空気が十分抜けていなかったために起きる瘤(火脹れ)で器面がでこぼこに焼き上がっている。

 それほど素朴な造りでないものもあり、猿投窯の獣足壷や短頸壺(どちらも奈良時代)や瀬戸釉の灰釉牡丹文広口壺や鉄釉蕨文広口壺(どちらも鎌倉時代)などは、かたちも整い、文様や釉薬のかけかたも全体にバランスがとれている。しかし、中世の人々が好んだ「唐物」の銅製品や青磁と比べると、なんというか、違いは明らかだ。どちらが優れているというわけではないが、日本的な「美」は、完全性を目指すというより、不完全性をも一つの造形感覚の中に取り込んでしまう(前述の「猩々」に対する解説のことば)方向にあるのだと思う。

 その「和のパワー」を意識的に発揮しているのが、信楽窯、伊賀窯などの桃山茶陶。つぶれた(わざとつぶした)ような水指、花生のアバンギャルドな造形がすごい。備前の瓢形花生、黄瀬戸の立鼓花生もシンプルだけど大胆な造形でよい。

 中世陶器の「三種の神器」は、壺、甕、擂鉢であるというのも面白かった。中世には各窯でこれらの「基本三種」が生産され、流通していたという。壺、甕に比べると擂鉢の遺品は少ないように思うが、なるほど、料理のバリエーションを広げ、生活を豊かにする必需品であったに違いない。

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お土産はターキッシュ・ディライト/トルコ至宝展(国立新美術館)

2019-04-07 22:45:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立新美術館 『トルコ至宝展:チューリップの宮殿、トプカプの美』(2019年3月20日〜5月20日)

 2019年は「日本におけるトルコ文化年」だそうだ。これを記念して、オスマン帝国の栄華を今に伝える至宝約170点が、イスタンブルのトプカプ宮殿博物館から来日している。トルコの歴史と文化には興味があるのだが、不勉強で何も知らないまま、ただ金と宝石をふんだんに使った、きらびやかな宝飾品のイメージに惹かれて、見に行った。

 冒頭にはトプカプ宮殿を紹介するビデオギャラリー。15世紀中頃に建設され、19世紀半ばまで行政機関とスルタンの住居として使われた。1924年、トルコ共和国建国時に博物館となり、オスマン帝国約の栄華を伝える9万点近い美術品を所蔵しているという。これは行ってみたい。最近、「死ぬまでに見ておきたい場所」は特にないと思っていたが、イスタンブールへは行ってみたくなった。

 最初の展示室はスルタンの愛用品の数々を展示。といっても、19世紀初頭のひじ掛け椅子、17世紀のターバン飾り、16世紀後半の宝飾兜など、時代がさまざまなので、これは明治維新の頃とか、これは関ヶ原の頃というように、日本史の年代を思い浮かべながら見る。オスマン帝国が13世紀末から20世紀初頭まで続いたことを再認識して驚く。

 面白かった展示品は、まず刀剣。名君の誉れ高いスレイマン1世の剣は片刃で、かすかに湾曲し、刀身に繊細な装飾(象嵌?)が施されていた。一方、両刃直刀タイプの剣もあった。中東といえば湾刀のイメージだったが、湾刀は小さな宝飾刀しかなかった。黄金の地金に宝石をごつごつ嵌め込んだ「射手用指輪」を見たときは、清朝の板指だ!と思った。もとは遊牧民が馬上から矢を射るときの実用的な指保護具(親指に嵌める)だが、次第に権力や権威の象徴として、贅沢を競うようになったもの。それから衣服のかたち(身頃と袖をひとつにして前後で縫い合わせる、袖は細い筒袖)も満洲族とよく似ていた。やっぱり遊牧民族のバリエーションなのだろうか。宮殿には後宮(ハレム)もあったし。展示には明示されていなかったけれど、調べたら宦官もいたようだ。

 チューリップモチーフの異常な愛され方には驚いた。カーテンや絨毯、装飾品や日用品はもちろんのこと、盾や武具にも使われている。スリムで細長い花の品種が特に好まれたという。チューリップ専用の花瓶(ラーレ・ダーン)があるのも面白かった。中国の牡丹好みに近いかな。あるいは宝相華かもしれない。

 なお、最後にトプカプ宮殿あるいはトルコ国立宮殿局が所蔵する日本の美術工芸品が里帰り展示されている。やや蛇足のような気もするが、日本とトルコの友好に尽くした山田寅次郎(宗有1866-1957)という人物が紹介されていて興味深く思った。

 展示会場を出て、グッズ売り場をうろうろ。実はお目当てにしてきたものがあるのだが見つからない…。すると、大きな籠に、色とりどりのリボンを結んだ小箱をたくさん入れたお姉さんが現われて、テーブルの一角に、それらの小箱を並べ始めた。これ、これ! トルコの宮廷菓子「ロクム」英語名を「ターキッシュ・ディライト」という。このお菓子は、イギリスの児童文学『ナルニア国物語』に登場することで有名。ただし、瀬田貞二さんは、日本になじみがないことから「プリン」と訳しているので、原文を読んでいないと知らないかもしれない。

 私は高校生のとき、夏休みの宿題で『ナルニア国物語』の原作を読まされ、「ターキッシュ・ディライト」を知った次第。その後、イギリスに行ったとき、ロンドンのハロッズでこのお菓子を見つけて、大喜びで買って帰った。しかし、正直なところ、期待したほど美味しくなかった。そこで今回は、正統派のビスタチオは避けて、珍しいザクロの「ターキッシュ・ディライト」にしてみた。控えめな甘みが和菓子みたいでたいへん美味しい。「ロクム」というお店、日本語ウェブサイトもあり、東京メトロの駅構内ブースなどを中心に、日本で商売をしていくみたい。うれしい。

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明治の東京少年/牛のあゆみ(奥村土牛)

2019-04-05 23:50:11 | 読んだもの(書籍)

〇奥村土牛『牛のあゆみ』(中公文庫) 中央公論新社 1988.7

  先だって、山種美術館の『奥村土牛』展を見に行ったとき、ミュージアムショップで購入した1冊。画家・奥村土牛の自伝エッセイである。展覧会の会場には、芸術に対する真摯な情熱にあふれ、非常に調子の高い土牛のことばがいくつか掲げてあって、それに感銘を受けて、本書を手に取ったのだが、本書は、生い立ちから修業、晩年までが、万事淡々と語られていた。

 著者は、明治22年、京橋鞘町に生まれた。両親は、父が十六、母が十五で結婚し(むかしの数え方だろう)、著者の前に子どもが二人あったが育たず、著者が実質的な長子であったという。父親は出版業を営んでいたが、本当は画工(画家)になりたかった人で、土牛少年を展覧会に連れていったり、歴史の話をしたりするのが好きだったとか、そのまま明治の小説のようだと思った。鏑木清方先生に絵葉書を描いてもらった話もよい。

 少年時代は、向いの家に住む親友と行き来して、学校から帰ると二人で絵の「写しっくら」して遊び、17歳で入門した梶田半古塾でも、ただ黙々と絵を描いていた。梶田先生が亡くなったあとは、馬込にあった小林古径先生の画室にご厄介になった。訪れる人もまれで、先生も口数が少なかった。先生がいないと、十日も誰とも口を利かないこともあったという。ああ、明治あるいはそれ以前の人々って、無駄なことは喋らないのが普通だったんじゃなかったかな。

 大正の大震災。戦争。その間に著者は結婚し、次々に子供も生まれる。一方、父を亡くし、戦時中に母も病没する。昭和20年2月には、母のお棺を手に入れることができず、3日間、遺体のそばで過ごしたという。厳しい時代である。

 その後の著者が、昭和30年代から40年代にかけて、流麗で清新な作品を次々に生み出したのは、たゆまぬ精進の成果もあるけれど、やっぱりこの厳しい時代からの解放が原動力になっているのではないかと思う。昭和29年に『舞妓』、昭和30年に『城』を出品するにあたっての気持ちを「描きたいと思った対象なら、人物、風景、動物、花鳥、なんでも失敗をおそれずぶつかっていきたい、無難なことをやっていては、明日という日は訪れて来ない、毎日そう考えるようになっていた」と述べている。著者はこのとき、65-66歳である。

 私の好きな画家には長生きした人が多く、60や70を過ぎた頃から、こんなふうに自由になる。本書の執筆時、著者は数えの86歳だというが、まださらに15年を生き、代表作を描き続ける。こういう晩年を過ごしたい。たとえ体の自由は利かなくなっても、精神の自由を持ち続けたい。

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視聴中:朝ドラと『倚天屠龍記』(2019年版)

2019-04-02 23:16:08 | 見たもの(Webサイト・TV)

 年度末と異動準備の慌ただしさの中、それでも帰宅すると、毎日必ずNHKオンデマンドで『まんぷく』を見ていた。朝ドラを完走したのは、2015年の『あさが来た』以来、久しぶりのこと。モデルとなった安藤百福氏の「インスタントラーメンの発明者」という看板に対して、いろいろ疑義があるのは承知の上、視聴者を明るく前向きな気分にさせる、いいドラマだったと思う。今週から始まった『なつぞら』は、また趣きが違うが、私は大森寿美男さんの脚本が好きなので、腰を落ち着けてじっくり見ようと思う。

 帰宅して、少し時間のあるときは、ネットで中華ドラマを見てから寝た。3月初めに『九州・海上牧雲記』を見終わって、そのあとは少し悩んだ末、大陸でも2月27日から始まったばかりの最新版『倚天屠龍記』(騰訊視頻)にした。監督は2017年版『射雕英雄伝』と同じ蒋家駿氏。中国各地の美しい風景を次々に見せてくれるし、出演者は美男美女揃い、アクション演出にはキレがある(スローモーション多すぎという批判はあるが)。仕事の疲れとストレスを忘れて、スカッと気分爽快になって眠りにつくことができ、大変ありがたい作品である。いま、全50集の第23集まで見た。四大ヒロインの最後のひとり、趙敏がようやく登場したところである。

 私は、2009年版の張紀中プロデュース『倚天屠龍記』を2012年くらいにネットで見ている。中国語字幕でドラマを見ることを始めたばかりの頃で、これはけっこう難しかった。あまりにも設定や人物造型が日本のドラマの常識と違い過ぎて、想像で補えないのだ。確か、前後して小説も読んで、やっと大筋を理解したのだったと思う。それに比べると、2019年版は、今のところ、あまり常識外れの行動をとる人物がいない。張無忌くんは大変いい子だ。婚約者を棄てて魔教の愛人のもとに走った紀曉芙も、道を踏み外した愛弟子に死を与える滅絶師太も理解できる。あれ?こんなに分かりやすい話だったかと、ちょっと拍子抜けする感じである。

 2009年版は、実際の武当山でロケが行われていて、坂道に沿って曲線の赤い壁が続く、古さびた道教寺院の風情がとてもよかった。私は2011年の夏に実際に現地を訪れているので印象深い。本作では、残念ながら武当山ロケは行われていない。さすがにもう、ユネスコ世界遺産での撮影はできなくなってしまったのかな。

 2019年版のオープニングタイトルには「金庸の同名小説に基づく改編」という注記が添えられている。実は原作も2009年版も、細かいところは覚えていないので、今のところ、どこが改編なのかよく分かっていない。ただひとつ、本作では明教の光明左使・楊逍(峨嵋派の紀暁芙と相思相愛になる)の存在が目立っていて、大陸でも日本の武侠ファンの間でも話題になっている。私も非常に気に入っている。2009年版ではそんなに目立つ存在ではなかったと思うのだけど。

 主題歌『刀剣如夢』は、1994年(台湾電視)版で使われたものだという。私は初めて聞いて、大好きになってしまった。ネットで視聴しているので、主題歌は飛ばすこともできるのだが、毎回聴いてしまう。アップテンポでポップな曲調なのだが、歌詞は古典的で、冒頭の「我剣、何去何従」という一句、どこかで見覚えがあると思ったら、「何去何従」(どちらを捨て去り、どちらに従えばよいのか)は「楚辞」にあるのだった。「匆々」も漢詩や漢籍で覚えて言葉だが、日本語の「そうそう」とちがって、中国語音の「ツォンツォン」の繰り返しは、強く急き立てられる感じがする。こういう、長い文学の伝統を取り込んだ現代作品に出会うのは嬉しい。

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2019新年度始まる

2019-04-02 21:37:52 | 日常生活

2019年4月1日、新しい職場にて、むかしの職場の先輩たちからいただきました。

ありがとうございます。

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