見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

電子エクリチュールの申し子/知に働けば蔵が建つ(内田樹)

2008-11-17 22:02:24 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『知に働けば蔵が建つ』(文春文庫) 文藝春秋 2008.11

 売れっ子の内田先生がまた本を出されたことを、ネットの広告で知った。「私が諸君に伝えようとしているのは雑学ではなく、教養である。どうも諸君は『雑学』と『教養』の違いをご存じないようである」という売り文句(本書の「まえがき」の一部)がやけに気に入ってしまって(ふふふ、と同感の笑みが漏れる)本屋に探しに行った。なかなか見つからなかったが、最後に文庫新刊の棚で見つけて、あれ、文庫だったのか、とびっくりした。

 「あとがき」に書かれているとおり、「こういう時評集が文庫化されるというのはわりと珍しいことではないか」と思う。本書は、2005年11月に単行本化されたもので、コンテンツはそれよりさらに1、2年前に遡る。だから、小泉総理の靖国参拝とか、郵政民営化の是非とか、ああ、そんなこともあったねえ、という近過去の時事問題が散見する。

 しかし、内容が「古びている」という感じは受けない。むしろ小泉純一郎の「戦略」を深く読み込もうとする態度が、いまさらながら新鮮だったりする。あの頃、小泉総理の政策に賛成する側も反対する側も、「どうせアイツは二者択一以上のことは考えていない」(だから自分たちも考えない)という思考停止派が大多数だったように思う。ほか、教育論、労働論、武術的身体論、中国論など、内田氏の読者にはおなじみのテーマが融通無碍に語られている。

 本書を読んで、あらためて認識したのは、1950年生まれの内田氏が、2001年、読者の前に「突然登場した」こと。加藤典洋氏によれば、それまでは「レヴィナスの翻訳によって関心のある人々に、僅かに知られる」書き手だったそうだ。なるほどね。50を過ぎて人気作家となる。人生には、そんなこともあるのだなあ、と思うと興味深い。巻末解説の著者・関川夏央氏は、加藤氏の説を敷衍して、ウェブの充実→電子エクリチュールの発見が、内田樹という表現者を生み出した、と述べている。これは、けっこう重要な指摘だと思う。新しいメディアは新しい表現者を生み出す。それは、必ずしも無垢な青年とは限らない。

 日本語のためには、同じような書き手、つまり伝統的な教養と倫理を、電子エクリチュールの平明さに載せて語ってくれるような表現者が、もっと現れてくれることを望みたい。それも多様な世代から。たぶんケータイ小説は一時の風俗で終わるだろうから。
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近世日本のアーツ&クラフツ/大琳派展(東博)

2008-11-16 10:13:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『大琳派展-継承と変奏-』(2008年10月7日~11月16日)

http://www.tnm.go.jp/

 なんだよ、また琳派かよ、と思っていた。チラシを見ると、既知の作品ばかりで、全く意欲をそそられない。けれども世間の人気は上々らしくて、めったに美術の話などしない同僚からも「よかった!」と聞いたし、入館者数も落ちる気配がない。やれやれ、と重い腰を上げて、最後の週末に見に行った。

 会場に入ると、最初の展示品は宗達筆『槙檜図屏風』(石川県立美術館)。小さめの金地屏風に水墨の瀟洒な作品。おや、なかなかいいじゃないか、と嬉しくなる。大和文華館の『草花図屏風』、大田区立龍子記念館の『桜芥子図襖』など、「伝」宗達筆ではあるが、よく集めたなあ、と感心する。

 次のコーナーに進むと、いきなり視界に飛び込んできたのは『風神雷神図』。この展開には、かなり慌てた。え、2点? 3点? あ、4点も!? 宗達・光琳・抱一・其一の4つの『風神雷神図』が揃い踏みなのである(其一筆はあまり原本に忠実でない)。2006年、出光美術館の『風神雷神図屏風』展には、宗達・光琳・抱一の3点が出ていたが、3作品をまとめて見比べることができない会場のつくりになっていた。今回は、それができるのが嬉しい。とりあえず4組の風神雷神を見渡せるポジションに陣取り、至福のひとときを過ごす(やっぱり宗達最高)。あとで、宗達の『伊勢物語図色紙・芥川』にも、小さな雷神(ポーズまでそっくり)を見つけたことを附記しておこう。

 私がいちばん楽しみにしていたのは、宗達筆『白象図・唐獅子図杉戸』。所蔵先の京都・養源院では、保護ガラスが嵌まっていて、よく見えないんじゃなかったかしら。それにしても、胸のすくような大胆なデフォルメである。白象図の裏が別の唐獅子図、唐獅子図の裏が「波に犀」図であることは、初めて認識した。1本角の霊獣・犀は、シカのような体型だが、鎧をまとったような背部は、西洋の博物図鑑のサイをお手本にしているように思う。

 宗達については、唯一の自筆書状(!)に興奮。醍醐寺の紙背文書から発見されたもので、醍醐寺の僧・快庵に、蒸筍(むしたけ)の礼を述べたものだという。蒸したタケノコが醍醐寺の名物って本当?と調べてみたら、春日局が好んだ「竹の子のすもし」を今に伝える雨月茶屋というお店があるらしい(京都駅にも)。よしよし、今度、宗達にならってタケノコを食してこよう。

 光悦と光琳は、工芸品が粒揃い。私のイチ押しは光琳の『水葵蒔絵螺鈿硯箱』(MOA美術館)で、なめらかな黒漆が高級チョコレートのように美しい。こういう作品とじっと対峙していると、シャネルもルイ・ヴィトンも何するものぞ、という気概が湧いてくる。日本人が日本の伝統に誇りを取り戻すには、他国にケンカを売る必要なぞ全くないと思うのだが。

 抱一はまだ、宗達・光琳を師と心得ているように見えるが、其一は、さまざまな画風を多角的に試している。仏画も描くし、南蘋派ふうの蔬菜画なども描いている。

 最後にグッズコーナーを物色。商品をつくるには、琳派ほど楽しいコンセプトはないだろう。オリジナルハンドバッグには、かなり惹かれた。写真は、大琳派展公式サイトの「グッズ」→「キタムラ『大琳派展』オリジナルバッグ」で。私が買ったのは500円の「光琳文様飴」だけですが。

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冷徹な愛情/小僧の神様・城の崎にて(志賀直哉)

2008-11-15 22:38:23 | 読んだもの(書籍)
○志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫) 新潮社 1969.7

 読みたいものが切れたので、手近にころがっていた文庫本に手を出す。去年の夏、久しぶりに『清兵衛と瓢箪・網走まで』を読み直して、ちょっとした衝撃を受けたあとに買って、そのまま寝かせておいた1冊である。

 『清兵衛と瓢箪・網走まで』が、志賀の初期代表作を集めたものであるのに対して、本書は第2期(30代~40代前半)の作品を収める。巻末の解説者が書いているように「若い頃の刺戟の強いどぎつい作風は次第に影をひそめ」ている。けれども志賀は、どんな人間も、不埒で我儘な心の闇(いちばん典型的なものは愛欲である)を抱えていることを、相変わらず冷徹な筆で描き出す。

 「雨蛙」は、田舎町に暮らす文学愛好家の夫とその妻の話。妻は無口で万事受動的な田舎女である。あるとき、小説家と劇作家の講演会に、ひとりで出かける羽目になった彼女は、彼らの旅館に同宿して、思わぬ一夜を過ごすことになってしまう。翌日、夫は、事のなりゆきを知って動揺しつつも、不意に妻を「抱きすくめたいような気持ち」にかられる。

 「流行感冒」は、主人公(私)のところの若い女中が、しゃあしゃあと嘘をついて、禁じられていた芝居見物に出かけていたことが分かる。「私」は激怒して彼女を追い出すが、許されて戻ってきた女中は、流行感冒に冒された一家のために献身的に働く。それは、失敗の取り返しをつけようという気持ちではなく「もっと直接な気持ちかららしかった」と作者は書く。つまり、人間は嘘をつくし、欲望に負けるし、怒りに我を忘れる。けれでも、そういう人間と折り合って生きていくのが、人生のいとおしさだ、と言っているように感じた。そういう「生」に対する醒めた愛情が、「城の崎にて」の「死」に対する感慨の裏側にあるように思う。

 「瑣事」以下の4編は、祇園の茶屋の仲居との「浮気」と、それを知った妻の動揺を描いた連作。でも、作者の視線は、祇園の女が自分に向ける技巧的な恋情も、自分が女に執着する気持ちも、奥の奥まで見透かして描いている。この冷徹さが、同じようなシチュエーションを描く大衆恋愛小説とは一線を画すところかな。
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関西旅行11月編:室町将軍家の至宝を探る(徳川美術館)

2008-11-14 23:57:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
○徳川美術館 秋季特別展『室町将軍家の至宝を探る』(2008年10月4日~11月9日)

http://www.tokugawa-art-museum.jp/

 どうしても見たくて、最終日に駆け込みで行ってきた。室町将軍家=足利将軍家の「至宝」とは、要するに「唐物(からもの)」のことだ。「唐物」とは、中国の美術品全般を指す言葉ではない。歴代の室町将軍と同朋衆といわれる人々の、きわめて独創的な美意識によって選ばれ、価値付けられた品々であり、彼らの鑑賞眼は、以後の日本における中国美術鑑賞に大きな影響を与えた、といわれている。

 私は、今回、そのことを深く実感した。実は前日、大和文華館の特別展『崇高なる山水』で、李郭派の山水画をたっぷり堪能したばかりだった。さて、この展覧会にも、たくさんの中国絵画が出ていたが、会場の”空気”が全然違うのである。大和文華館の列品解説で、日本に伝わった中国絵画には、ある種の偏りがある、という話を聞いた。なるほど、思い返せば『崇高なる山水』の展示会場は、明らかに日本文化と異質な、中国の匂いがした。あの「山水好み」は、ずっと平俗化しつつも、いまの中国人の趣味の王道につながっていると思う。それに対して、「室町将軍家の至宝」の会場は、ほっとするような既視感が支配していた。あれは、日本人がはぐくんできた”唐物”の美学だと思う。

 素人にもすぐ分かるのは、サイズの違いである。李郭派の山水画(特に明・清時代)は、大邸宅の壁面をどーんと埋めてしまう、巨大な縦長の軸が主流。それに対して、日本人好みの”唐物”は、もちろん例外はあるけれど、お茶室サイズが標準である。「もとは大きな画幅(画巻)の一部だった」という作品も多い。最もいいところだけを切り取った「断簡」に、表具やお茶道具を取り合わせて飾る。そこに美意識が働くのである。たまたま2つの展覧会を続けて見たために、いろいろなことを考えさせられた。

 作品では、大和文華館の名品、李迪筆『雪中帰牧図』が、本家から追い出されて(?)こっちに来ていたのが可笑しかった。岡山県立美術館の伝月壺筆『白衣観音図』は初見。観音様は、中性的な美形である。左上方に浮かんでいるのは、天女か、剣を捧げた韋駄天か? 福岡市美術館の三幅対は、左右に猿猴図、中央にブタ鼻の猪八戒みたいな韋駄天図を置く。伝牧谿筆ってほんとかな。西日本の美術館の収蔵品は、関東では見る機会が少ないので、こうやって見られるとうれしい。松田の『石榴栗鼠図』(個人蔵)は久しぶりに見た。まさに枝から枝に飛び移ろうとするリスがかわいい。

 絵画以外では、堆朱工芸に目を奪われた。1品だけ、他に例を見ない「堆白」にも。『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』は、同朋衆らしき人々を描いた唯一の絵画資料だそうだ。僧形、帯刀、華やかな(女性のような)小袖に白袴って、ほんとなのかしら。想像してみると、ずいぶん異形だと思う。

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関西旅行11月編:国宝への道(京博)

2008-11-11 23:05:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館・平常展示館 『国宝への道、いざ!京都国立博物館へ』

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 週末関西旅行2日目。直前に、六角堂(頂法寺)で136年ぶりにご本尊の特別公開があることが分かり、友人2人と集結して拝観。つい情報交換のお喋りが長くなってしまう。うーん。お昼前には京都を出たかったんだけどな、どうしよう、どうしよう、とさんざん迷った末、予定どおり京都国立博物館に寄ることにした。

 特別展『蒔絵』は置いとくとして、6日から始まった平常展『国宝への道、いざ!京都国立博物館へ』に興味津々だったのである。12月8日から始まる立て替え工事前ファイナルを記念して(?)名品お蔵出しのご愛顧感謝フェア。とは謳っていないが、気分的にはそんな感じだ。

 いつものように、12室(中国絵画)から入室。奇策というべきか、「近代絵画」の特集である。斉白石(1863-1957)は「独創的なデザイン感覚」「現代のグラフィック・アートに通ずる面白さ」で人気が高い。一時、八大山人の画風を学んだというのは頷ける。馬の彩墨画の名手、徐悲鴻(1895-1953)は、明るい水彩ふうのアヒルの群図がかわいかった。

 さて、おそるおそる11室(近世絵画)を覗く。おお!端から順番に行こう。伝土佐光信筆『厩図』はまだ中世の呪術性が色濃い。それに比べて、桃山の狩野永徳『仙人高士図』のモダンなこと。雲谷等顔(うんこくとうがん)筆『四季山水図屏風』には一目惚れした。前日に大和文華館で見た「崇高なる山水」のイメージがダブる(→文化財オンラインが、細切れ画像しか載せていないのはひどい。これじゃ全体像が分からない)。長沢蘆雪『百鳥図屏風』には和む。若冲の描く鳥は若冲らしい顔をしてるし、蘆雪の描く鳥は、オウムもスズメも蘆雪らしい顔をしてるんだよねえ。そして、殿(しんがり)が曾我蕭白の『山水図押絵貼屏風』。いつかまたゆっくり論ずる機会もあると思うので、今回はもう何も申しません。。。

 10室(絵巻)は国宝『鳥獣人物戯画』乙巻もいいが、むちゃくちゃなスピード感にあふれた『将軍塚縁起』もいい。どちらも高山寺蔵。別室、若冲の版画(正確には拓版画)『乗興舟』もさりげなく嬉しい。乗興舟の板木は、某家の濡れ縁に使われていたとか(!)。

 9室(中世水墨画)は、雪舟、雪村に加えて、とどめをさすのが狩野元信の『四季花鳥図』。滅多に見たことはないが、大好きな作品である。もと大仙院方丈の障壁画だが、8軸に改装されている。そうか、これって8軸あるんだ。私は、右の4軸分だけの印象しかなかったけど。

 いやーありがとうございました、もうお腹いっぱい、という気分で、最後に8室(仏画)を覗くと、正面に待っていたのは、神護寺の『源頼朝像』と『平重盛像』。衝撃でへたりこみそうだった。関東の展覧会でこれら(神護寺三像の二)を見る機会があるとしたら、それぞれ前期・後期で展示替えが精一杯のところ。2幅並べて眺めるなんて、畏れ多くて考えも及ばないところである。澁澤龍彦の愛した、高山寺の『明恵上人像』が出ていたことも付け加えておこう。

 このファイナル常設展、東博の大琳派展にも絶対に「勝っている!」と思うのは、玄人好みに過ぎるかしら。しかも、12月2日(火)から7日(日)までの6日間は「無料開放」するという。京博のあり得ない太っ腹に感謝して、ぜひ多くの人に足を運んでほしいと思う。
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関西旅行11月編:崇高なる山水(大和文華館)

2008-11-10 22:55:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
○大和文華館 特別展『崇高なる山水-中国・朝鮮、李郭系山水画の系譜-』

http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/

 正倉院展のあと、興福寺の南円堂で、友人と待ち合わせ。日頃、あまり会えない友人なので、昼食~デザートと、つい話し込んでしまう。友人と別れて、大和文華館に到着したのは午後2時過ぎだった。ギャラリー内に人のかたまりができている。どこかの大学のゼミかしら?と思って、耳を傾けてみたら、喋っているのは、同館学芸員の塚本麿充さんらしい。私はひそかにファンなので、慌てて輪の外側に加わる。

 あとで大和文華館のサイトをチェックしたら、日曜日の講演会は講師の名前入りで情報が上がっているけれど、土曜日の列品解説は「当館学芸部による」としか書いていない。それで私は気にしていなかったのだ。3分の1ほど聞き逃してしまったが、高麗・朝鮮および明清時代の見どころについてはお話を聞くことができた。どの作品も、好きで好きでたまらないという雰囲気で解説をなさるので、聞いているほうも、あ~なるほど、いい絵だなあ、と乗せられてしまう。特に、泉屋博古館の石涛(石濤)筆『廬山観瀑図』については、「これは僕が最初に好きになった中国絵画です」と、ほんとに幸せそうだった。

 この展覧会は、五代・北宋の画家、李成と郭煕によって大成された「李郭派」の山水画を紹介するもの。素人の理解でまとめてしまうと、華北の厳しく雄大な自然に学び、大観的、構築的な山水を描いた人々である。この対抗軸が、江南で生まれた、写実的で親しみやすい「南宋院体画」ということになるのかな。

 解説って必要だなあ、と思ったのは、国宝『冬景山水図』(金地院)。絶対、一度見た記憶があったのだが、隣りのご夫婦が「ほれ、サルがいるわ」と話しているのを聞いて、びっくりした。よくよく画面を見直して、岩陰に張り出した枯れ枝の上にサルの姿を発見。ところが、解説を読んでみたら「2匹」と書いてある。え?!と再び画面を見直して、2匹目を見出した(画像を貼っておくので探してください)。さらに対幅の『秋景山水図』は、2羽のツルが飛んでいるというのだが、これがまた、夕日の輝きに溶け込むようにコッソリと描かれている(同じく)。

 塚本さんの解説も、大きな構図の妙とともに、「峰の中腹の紅葉は落葉してしまったけど、ふもとはまだ散り残っています」とか「谷底からかすかに立ちのぼる霞」とか「窓辺で妓女の吹く笛の音」とか、人事・自然の繊細な描写に、たびたび注意を向けていらした。むかしの人の目が特別よかったわけではなくて、こういう大きな山水画って、時間をかけてゆっくり眺めて、いろんなことに気付いて、何度も味わいなおしていたんじゃないかなあ、と思う。

 私は明清に受容・復興された李郭派山水がすごく好きだ。久しぶりに方士庶の『山水図冊』が見られて嬉しかった。王雲の『山水楼閣図冊』は彩色が無類に美しい。画面は構成的なのに叙情的で、広重みたい。これ、東博にあるのか~。見た記憶ないなあ。静嘉堂文庫の袁江筆『梁園飛雪図』は、中国絵画を見始めた最初期に好きになった作品で、すぐ思い出した。いま、むかしの記事を検索してみたら、あっ王雲・袁江って、京博の『楼閣山水図屏風』の作者か!(昨年見た)と了解してしまった。これだから、検索&リンク機能のあるブログって、ただのノートの何倍もありがたいのである。
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関西旅行11月編:正倉院展(奈良博)

2008-11-09 23:25:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 特別展『第60回 正倉院展』

http://www.narahaku.go.jp/

 毎年通い続けている正倉院展。今年はいいかなあ、と思っていたのだが、行ってきた友人の話を聞くと、やっぱり行きたくなる。名古屋に前泊して、いちばん早いのぞみに乗り、8時過ぎに奈良博着。なんとか1本目の列に並ぶことができた。8時半を過ぎると、入館待ちの列は、博物館前面のピロティで3本に折り返し、どこまで伸びているのか、見当もつかなくなる。

 今年、ほほう、と感心したのは、ピロティの屋根の下に、薄型モニタが何台か設置されて、正倉院宝物を紹介するビデオが流されていたこと。入館待ちのお客を退屈させないためのサービスだろう。けれども、なぜか、会場内MAPは配ってくれなくなってしまった(出品リストと一体化したかたちで、どこかに置いてはあったみたい)。

 そのため、今年は会場に入ってから、どこに何があるのか分からず、キョロキョロ。最初に目に留まったのは、今年の目玉として各方面で取り上げられていた『白瑠璃碗』(厚手のカットガラス碗)である。実は、ネットやポスターで写真を見ても、あまりぐっとくるものがなくて、それで、今年はやめようかと思っていたのだ。ところが、本物はよかった。光を通したガラスの美しさって、写真では伝わらないものなんだなあ。しかも、透明な台に碗を載せ、真下に鏡を設置することで、伏せたときの姿を映し出しているのだが、口のすぼまった球形の底が、神秘的な天体のように見えて魅力的である。ササン朝ペルシアからもたらされたものの由。どんな職人が作ったのだろう。あとのほうに、ほぼ同形の出土品が参考出品されていた。

 隣りにあった『紫檀木画双六局』は、いかにも正倉院宝物らしい、花唐草、鳥、鳥にのる人物などの愛らしい文様が木画(嵌め込み細工)で表されているが、三日月をモチーフに取り入れているのが、西アジアっぽく感じられた。(私、時代背景を間違っている?)

 いちばん見たかった『山水人物鳥獣背円鏡』も無事、発見。鹿角を有する水鳥が描かれていて、先日、皇后さまが「せんとくんみたいね」とおっしゃったというもの。このおことばは、ぜひ正倉院の歴史に書き残しておいていただきたい。「海磯鏡」の一例だというけれど、こんなふうに人物や動物が目立つものは珍しいように思う。

 ほか、天蓋と天蓋骨、匙と包丁(果物ナイフみたい)などが、興味深い今年のミニ特集。ココヤシで作った人面容器(椰子実、大きさは夏ミカンくらい)、それから虹龍(こうりゅう)、実は貂(テン)のミイラは、かなりの珍品。「この小龍がある故に宝庫の開検時には毎回雨が降る」と記す記録もあるという。そういえば、私は都合10回ちかく正倉院展に行っていると思うが、雨に当たったのは今年が初めてかもしれない。

 会場の混雑は相変わらずだが、運営側も観客も、この状態に慣れてきたように思う。だいたい日本人は、順序良く展示物を見ないと気がすまないようだが、正倉院展に限っては、空いているところから見ていく人が多い。確か前年までは、「ケース内の温度が上がるので、ガラスに触れないでください」なんて無理な注文をしていたが、今年は、ケースの周囲に手すりを設けて、はじめから観客が近づき過ぎないよう配慮してあった。案内係を主に女性にしたのも、ソフトムードを重視したのかな。むやみにギスギスした雰囲気がなくなったのは、ありがたいと思う。
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日米の比較から/ジャーナリズム崩壊(上杉隆)

2008-11-06 23:32:50 | 読んだもの(書籍)
○上杉隆『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書) 幻冬舎 2008.8

 著者は、NHK報道局、政治家の秘書、ニューヨークタイムズ東京支局取材記者を経て、現在はフリーランスで活動しているジャーナリスト。本書では、日米の比較をもとに、日本のマスコミ(主に新聞)の特殊性、閉鎖性を批判している。

 その象徴的な存在が、各公共機関に設置された「記者クラブ」ある。外国メディアやフリーランスの記者を締め出し、政府見解を一方的に伝えるシステムとして悪名高い。その結果、日本の記者たちは、与えられた情報を伝達する役割に慣れてしまい、他社と横並びの記事を書くための「メモ合わせ」を不思議に思わなくなる。うそか本当か、初耳だったのは、担当した政治家が出世すると政治記者も出世するという図式。逆にその政治家が失脚すると、記者も会社での地位を失うのだという。そうした環境が、政治に関与する、フィクサーまがいのジャーナリストを生み出す。

 興味深く思ったのは、ニューヨーク・タイムズには記者が出世して経営に入るという考えが存在しない、という点。編集部門で働いた人物のゴールは編集局長であり、どんな立派なジャーナリストも経営方針に口を挟むことはできず、逆に経営陣が編集部門に口を出すこともできないという。いま、どんな仕事も「経営者マインド」が大事、と日々煽られ、それがアメリカ流であるかのように感じていた身には、ちょっと奇異な感じがした。ジャーナリストというのが、それだけ特殊な職業として認識されているのだろうか。

 また日本の新聞は、週刊誌スクープの後追い記事を書くときは、情報源を明記せず「一部週刊誌が報じた」あるいは「…ことがわかった」で済ませてしまう。いわれてみればそのとおりで、もはや今の時代に通る慣習ではないと思う。ニューヨーク・タイムズが、写真1枚でも、提供者のクレジットなしには載せない、という規程を設けているのとは、大きな違いである。

 米紙のように、何もかも署名入り報道を原則とするのがいいかどうかは何ともいえない。私は、匿名や筆名による発言もあっていいように思う。むかし、新聞を読んでいた頃は、長い連載の最後に「○○が担当した」というかたちで、執筆者の「種明かし」を読むのが楽しかった記憶がある。しかし、朝日新聞の匿名コラム「素粒子」の「死に神」報道事件の記事本文をはじめて読んで、暗澹とした気持ちになった。最初のコラムも駄文だが、匿名の「謝罪」記事がまた、救いようがない。

 黒塗りの社用車で取材に出かけていく日本の若い新聞記者たちを見た米人ジャーナリストが、あんなことで一般市民の目線からの取材ができるのか?といぶかったという。ああ、その程度の健全性も、いまの日本のジャーナリズムにはないのだろうか。
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写し、学(まね)び/陶磁の東西交流(出光美術館)

2008-11-05 23:24:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 やきものに親しむVI 『陶磁の東西交流-景徳鎮・柿右衛門・古伊万里からデルフト・マイセン-』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html

 楽しい展覧会である。チラシを手にしたとき、そう思った。裏面には、双子・三つ子のような、そっくりさんのやきものが数組。けれども、その産地は遠く海を隔てている。たとえば、景徳鎮オリジナルの芙蓉手に対して、よく似た日本・肥前製とドイツのハナウ製。柿右衛門オリジナルの司馬温公甕割り図に対して、ドイツのマイセン製、イギリスのチェルシー製、オーストリアのウィーン製。八角形の皿のかたちまで、そっくり。

 17~18世紀、ヨーロッパの陶芸は、はるかに技術の進んだ東洋陶磁を「写す」ことによって成長した。一方、東洋磁器もヨーロッパからの注文に応えることを通じて技術を養い、産業として発展していった。本展は、双方に豊かな実りを生んだ陶磁の東西交流を、具体的な比較展示によって紹介する展覧会である。

 「陶磁の東西交流」という視点は、京博の特別展『憧れのヨーロッパ陶磁』や出光美術館の『柿右衛門と鍋島』でも、隠し味として取り上げられてきたが、私は強く興味をそそられていたので、「東西交流」に正面からスポットを当てた今回の企画には、渇を癒されたように感じた。

 いや、世界のどの地域でも、職人の「写し、学(まね)び」にかける情熱はすごいなあと思う。高い技術に接したときの本能みたいなものだろうか。どこの産地か、全く見分けのつかない、精巧な「伊万里写し」「景徳鎮写し」もある。とはいえ、手工業の時代であるから、全てを寸分違わず写すことはできず、原本と写しの間には、かすかな「揺らぎ」が生じる。それがまた、「マイセン風柿右衛門」とか「ウースター風古伊万里」の味わいを生むのである。――ただし、これは著作権などというものが、存在しなかった頃のお話。

 私が好きなのは「粟鶉文皿」の七変化。粟の穂の下で2羽の鶉が遊ぶ図で、柿右衛門は広い余白の美しさがウリ(たぶん)。周縁部に鮮やかな緑を配した景徳鎮の皿や、植物を様式化してリズミカルな演出を加えたイギリス・ウースターの水注は、新しい美意識を開拓している。一方、オランダ・デルフトの陶器皿は、あまりに純朴。伝統的な「楼閣山水図」が、ポップで楽しいおとぎの国みたいになってしまうのもいい。

 逆に東洋磁器も、ヨーロッパからの注文生産だと思われるが、西洋の紋章にはてこずっている。子供のいたずら書きみたいで、妙に稚拙。『色絵ケンタウロス文皿』も、山海経の住人たちみたいで全然カッコよくない。解説者が、注文主の心中をおもんばかって「包みを開けて、呆然としたことだろう」とか書いているのに吹き出してしまった。

 柿右衛門によくある角瓶(四角ないし六角)は、轆轤(ろくろ)で整形する円形瓶より技術的に難しいこととか、中国の海禁策→解除と、肥前陶器の海外輸出の需要→衰退(→国内市場へ)がリンクしていることとか、いろいろ新しい知識を仕入れた。目と頭で楽しむ展覧会である。それにしても、これだけの「比較事例」を世界中で見つけ(どうやって?)、収集・蓄積してきた美術館の努力に拍手、脱帽。難を言うと、作品の解説ボードを産地別に色分けしてあるのは、遠目にもネタが割れてつまらないと私は思うのだが、如何?
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連続シンポジウム『情報の海~漕ぎ出す船~』第2回

2008-11-04 22:41:05 | 行ったもの2(講演・公演)
○東大情報学環・読売新聞共催 連続シンポジウム『情報の海~漕ぎ出す船~』
 第2回 情報の海~沈まぬ「図書館」丸

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2008/09/post_33.html

 第1回「マストからの眺め」が激しく変化する情報環境を俯瞰したのに続き、第2回は図書館を取り上げる。これはちょっと新鮮だった。だいたい図書館について語りたがるのは、図書館業界の人々と決まっていて、このシンポのように、メディア論の立場から、「新聞」とか「テレビ」「出版」「インターネット」と並列的に、「図書館」が語られることは稀である。しかし、「新聞」や「テレビ放送」が、空間的に情報を広く行き渡らせるメディアであると同様に、図書館は、情報を蓄積し、それを未来に届ける時間的メディアであるといえるのだ。

 けれど、いまいち盛り上がりに欠けたのは、基調講演の国会図書館長・長尾真氏というのが、やや人選ミスだったように思う。私は、長尾真氏の話を聞くのは初めてで、なかなか面白い点もあったのだけど、”国会図書館”というのが、日本に唯一の存在なので、ほかの事例と比較して、もっとこうあるべき、という注文がしにくい。ふぅーん、そうなのか、で終わってしまう。いっそ東京大学を俎上に載せてくれたら、京大や慶応大と比較したり、ハーバードやケンブリッジと比較して、喧々諤々論じることができたのではないかと思う。

 長尾先生のお話で印象的だったのは、こう言ってよければ、著作権に対する剥き出しの敵意である。今日の図書館の使命は、あらゆる資料を速やかに電子化することである。けれども、それは著作権によって阻まれている、という発言を何度か繰り返された(試算では、図書1冊をテキストベースまでデジタル化するのにかかる経費は1万円。著作権調査にかかる経費は5,000円だそうだ)。おお~国会図書館長が、現行法令に対して、ここまで挑戦的な物言いをするのか、とびっくりした。

 ただ、「書籍はポータブル端末にダウンロードして読む時代になる」「本屋はなくなる」「図書館が取次ぎの機能を果たすようになる」というのは、あやしい。情報工学がバラ色の未来を描いていた時代に青年期を過ごした老人の、見果てぬ夢じゃないだろうか。それから、氾濫する情報を見分ける「知の案内人」的な役割を司書に期待しつつも、その一部はプログラム上で人工的に実現できる、と自信たっぷりにおっしゃるのも、うわ、大丈夫かな、と思ってしまった。

 でも、Googleの掲げるミッション(Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです)について、あれは、本来われわれ(図書館員)が持つべき理想なのではないか?と自己批判する率直さは、官僚出身者にはあり得ない態度だと思う。もし部下だったら、本気でついていくべきか否か、迷う館長だなあ。

 地味に肺腑に落ちたのは、公共セクターとしての図書館の役割を問い直そうとする、根本彰氏(東大教育学研究科教授)の報告。その中で、いま全国で、司書の資格を取得する人は年間1万~1万2,000人、けれども図書館の正職員ポストを得られるのは数十人、という数字も十分衝撃的だった。
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