○そごう美術館『円空展 庶民の信仰・慈愛の微笑み』
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/
江戸時代初期、全国を巡り、数多くの神仏像を作った遊行僧円空の作品展である。円空といえば「庶民にも親しみやすい素朴な造型」「慈愛に満ち溢れた優しい微笑」を特徴として語られることが多い。だから、今回の展示会のキャッチコピーも見てのとおりである。
しかし、別の見方をする人々もいる。『日本美術応援団』(日経BP社, 2000.2)の赤瀬川原平、山下裕二両氏は、生涯に約12万体もの神仏像を作ったといわれる円空の「スピード」と、その結果、極限まで推し進められた造型の「抽象化」に着目していた(いま、手元に本が無いので、記憶で書いているのだが)。
「素朴」「微笑み」の線で見ている限り、円空仏はどれも似たりよったりで、あまり面白くない。今回、出陳されている140件は、さすがに造型的な面白さを備えた逸品が多いが、それでも半分以上は「微笑み」路線である。
そんな中で、私がうなったのは滝尾神社(栃木県)蔵の稲荷大明神。ざくざくと無造作に打ち割った角材の先に、逆三角形の顔が付いている。ただそれだけである。衣装どころか手足もない。目鼻立ちも明らかでない。しかし、円空は、この角材に稲荷の精を見たのだろう。こんな神像を引き渡されて、今日まで伝えてきた神社も立派である。
この稲荷大明神ほどすごくはないが、玉泉寺(愛知県)の観音像も好きだ。歪んだ板切れに顔だけが付いて、古代の人形(ひとがた)を思わせる。ホームページの「主な出品作品」に写真が載っている清滝寺(栃木)の不動明王と二童子、特に二童子の姿態もいい。少し「作り過ぎ」の感もあるが、ありあわせの木材を利用した結果、こんなふうにアンバランスで珍妙な造型になってしまうのだろう。
神仏像以外に、円空が伊勢・志摩地方に滞在の折に描いた「大般若経」の添絵(挿絵)を見ることができる。
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/
江戸時代初期、全国を巡り、数多くの神仏像を作った遊行僧円空の作品展である。円空といえば「庶民にも親しみやすい素朴な造型」「慈愛に満ち溢れた優しい微笑」を特徴として語られることが多い。だから、今回の展示会のキャッチコピーも見てのとおりである。
しかし、別の見方をする人々もいる。『日本美術応援団』(日経BP社, 2000.2)の赤瀬川原平、山下裕二両氏は、生涯に約12万体もの神仏像を作ったといわれる円空の「スピード」と、その結果、極限まで推し進められた造型の「抽象化」に着目していた(いま、手元に本が無いので、記憶で書いているのだが)。
「素朴」「微笑み」の線で見ている限り、円空仏はどれも似たりよったりで、あまり面白くない。今回、出陳されている140件は、さすがに造型的な面白さを備えた逸品が多いが、それでも半分以上は「微笑み」路線である。
そんな中で、私がうなったのは滝尾神社(栃木県)蔵の稲荷大明神。ざくざくと無造作に打ち割った角材の先に、逆三角形の顔が付いている。ただそれだけである。衣装どころか手足もない。目鼻立ちも明らかでない。しかし、円空は、この角材に稲荷の精を見たのだろう。こんな神像を引き渡されて、今日まで伝えてきた神社も立派である。
この稲荷大明神ほどすごくはないが、玉泉寺(愛知県)の観音像も好きだ。歪んだ板切れに顔だけが付いて、古代の人形(ひとがた)を思わせる。ホームページの「主な出品作品」に写真が載っている清滝寺(栃木)の不動明王と二童子、特に二童子の姿態もいい。少し「作り過ぎ」の感もあるが、ありあわせの木材を利用した結果、こんなふうにアンバランスで珍妙な造型になってしまうのだろう。
神仏像以外に、円空が伊勢・志摩地方に滞在の折に描いた「大般若経」の添絵(挿絵)を見ることができる。