見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

円空・速度と抽象/そごう美術館

2005-06-06 22:04:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
○そごう美術館『円空展 庶民の信仰・慈愛の微笑み』

http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/

 江戸時代初期、全国を巡り、数多くの神仏像を作った遊行僧円空の作品展である。円空といえば「庶民にも親しみやすい素朴な造型」「慈愛に満ち溢れた優しい微笑」を特徴として語られることが多い。だから、今回の展示会のキャッチコピーも見てのとおりである。

 しかし、別の見方をする人々もいる。『日本美術応援団』(日経BP社, 2000.2)の赤瀬川原平、山下裕二両氏は、生涯に約12万体もの神仏像を作ったといわれる円空の「スピード」と、その結果、極限まで推し進められた造型の「抽象化」に着目していた(いま、手元に本が無いので、記憶で書いているのだが)。

 「素朴」「微笑み」の線で見ている限り、円空仏はどれも似たりよったりで、あまり面白くない。今回、出陳されている140件は、さすがに造型的な面白さを備えた逸品が多いが、それでも半分以上は「微笑み」路線である。

 そんな中で、私がうなったのは滝尾神社(栃木県)蔵の稲荷大明神。ざくざくと無造作に打ち割った角材の先に、逆三角形の顔が付いている。ただそれだけである。衣装どころか手足もない。目鼻立ちも明らかでない。しかし、円空は、この角材に稲荷の精を見たのだろう。こんな神像を引き渡されて、今日まで伝えてきた神社も立派である。

 この稲荷大明神ほどすごくはないが、玉泉寺(愛知県)の観音像も好きだ。歪んだ板切れに顔だけが付いて、古代の人形(ひとがた)を思わせる。ホームページの「主な出品作品」に写真が載っている清滝寺(栃木)の不動明王と二童子、特に二童子の姿態もいい。少し「作り過ぎ」の感もあるが、ありあわせの木材を利用した結果、こんなふうにアンバランスで珍妙な造型になってしまうのだろう。

 神仏像以外に、円空が伊勢・志摩地方に滞在の折に描いた「大般若経」の添絵(挿絵)を見ることができる。
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三島由紀夫という多面体/神奈川近代文学館

2005-06-05 21:27:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川近代文学館 春の特別展『生誕80年・没後35年記念展 三島由紀夫 ドラマティックヒストリー』

http://www.kanabun.or.jp/

 鎌倉文学館の企画展『漱石山房の日々』について書いたときに、Wokoさんのコメントで教えてもらった展示会である。おもしろかった。三島の魅力満載であった!

 この際なので、私と三島由紀夫との出会いについて書いておこう。三島由紀夫が割腹自殺を遂げたとき、私は小学生だった。もちろん彼の作品など読んだことがなかったが、なんだかとんでもないことをする小説家がいるもんだな、と思って、三島の名前を覚えた。

 中学・高校に進むと、坊主頭で日本刀を構えたり、盾の会の制服姿で檄をとばす三島の写真を見ることがあった。戦後民主主義教育にどっぷり漬かっていた私は、こういう狂熱的な小説家はうんざりだと思っていたので、彼の作品には手を触れようとも思わなかった。

 あるとき、高校の定期試験のときだった。現代国語の問題に、応用問題として、初めて読む評論文が出題された。芸術を論じた文章だったと思う。論理的に明晰で、しかも論の運びが穏やかで、読んでいて実に気持ちのいい文章だった。私はそれが試験問題であることを忘れて、深い感銘を受けてしまった。その著者の名前に「三島由紀夫」とあった。

 これがあの、わけのわからない自殺を遂げた小説家の文章であるということが、私は初め、到底信じられなかった。それなら、どちらが本当の三島由紀夫かを確かめたいと思って、最初に読んだのが『午後の曳航』である。負けた。これで私は完全に三島の虜になってしまい、手に入る限りの作品を、純文学も通俗小説も、小説も戯曲も、手当たり次第、読み漁った。そして、最後に『豊穣の海』四部作に辿り着き、これを読了したのである。

 そんなわけで三島は、私には数少ない「深馴染みの小説家」なので、この展示会はとても楽しかった。三島の肉筆原稿がたくさん飾られていたが、その筆跡は、ふっくらして穏やかである。明治の文豪たちの筆跡を見ると「漢文を書くことに慣れた世代の筆跡」だと感じるのだが、三島の筆跡は、間違いなく我々近代日本人――どんなに格式ばった時でも、基本的に漢字仮名まじりの口語体を書いて育った世代の文字だという感じがする。

 生前の三島は、今でいうマルチタレントの要素を持っていたようだ。だから、ジャーナリズムを飾った印象的な写真が数多く残っている。たとえば、ボディビルを始めたばかりの頃、貧弱な肉体を曝してブリーフ1枚で生真面目なポーズを取ったもの、金ピカ趣味の豪邸で、改造された肉体を誇るように半袖のポロシャツでくつろぐ姿、東大全共闘との討論集会に臨む笑顔の三島を同じ壇上から捉えた写真など、どれも一度は見た記憶のあるものだ。それにしても、映画の宣伝、週刊誌の劇評、文芸座談会、テレビ出演など、やれやれ、なんて忙しい人生だったんだろう!

 数ある写真の中でも『薔薇刑』は異色である。写真家・細江英公が三島由紀夫(主に裸体の)を被写体とし、コラージュの手法を用いて制作した、象徴的で実験的な写真集だ。この写真集について三島は「自分の精神が全く必要とされない、肉体だけが完全なオブジェクトになる喜び」を語っていたという。私は、展示の解説板でこの言葉を読んだとき、マルチタレントとして、ジャーナリズムに自分の身体と精神を提供し続けながら、三島が望んでいたものが少し分かったような気がした。
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卯の花の匂ふ垣根に夏は来ぬ

2005-06-04 09:27:10 | なごみ写真帖
先週後半はちょっと厳しい仕事があって、精神的に疲れました。
なので、今週末はいつも以上にのんびり、だらり。

この白い花はバイカウツギでしょうか。「ウツギ」と、和歌や唱歌にうたわれた「卯の花」が同じものであると知ったのは成人してからでした。好きな花のひとつ。


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雅楽の美/三の丸尚蔵館

2005-06-02 19:30:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三の丸尚蔵館 第37回展『雅楽-伝統とその意匠美』

http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-04.html

 雅楽の装束、楽器、楽譜に加えて、絵画や工芸品などの関連資料を展示したもの。雅楽の装束の華やかさは実に独特である。時代も地域性も越えていて、見ているだけで心浮き立つようで楽しい。

 使い込まれた楽器の美しさが目を引く。正倉院御物の琵琶などは、古代に何度か使われたことはあるのだろうが、その後は長い年月、美術品として仕舞い込まれてきたものだ。それに比べると、この展示会に出ている楽器は、撥面の装飾が見えなくなるまで使われた琵琶や、パーツを取り替えながらも伝承されてきた笙など、古代の楽人のおもかげが見え隠れする。

 『春日権現験記絵』が見られるところもお値打ち。しかし、全体としては展示品が少なくて不満。衣装など、現代ものでもいいから、もうちょっと多く出してほしい。
コメント (2)
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