見もの・読みもの日記

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三島由紀夫という多面体/神奈川近代文学館

2005-06-05 21:27:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川近代文学館 春の特別展『生誕80年・没後35年記念展 三島由紀夫 ドラマティックヒストリー』

http://www.kanabun.or.jp/

 鎌倉文学館の企画展『漱石山房の日々』について書いたときに、Wokoさんのコメントで教えてもらった展示会である。おもしろかった。三島の魅力満載であった!

 この際なので、私と三島由紀夫との出会いについて書いておこう。三島由紀夫が割腹自殺を遂げたとき、私は小学生だった。もちろん彼の作品など読んだことがなかったが、なんだかとんでもないことをする小説家がいるもんだな、と思って、三島の名前を覚えた。

 中学・高校に進むと、坊主頭で日本刀を構えたり、盾の会の制服姿で檄をとばす三島の写真を見ることがあった。戦後民主主義教育にどっぷり漬かっていた私は、こういう狂熱的な小説家はうんざりだと思っていたので、彼の作品には手を触れようとも思わなかった。

 あるとき、高校の定期試験のときだった。現代国語の問題に、応用問題として、初めて読む評論文が出題された。芸術を論じた文章だったと思う。論理的に明晰で、しかも論の運びが穏やかで、読んでいて実に気持ちのいい文章だった。私はそれが試験問題であることを忘れて、深い感銘を受けてしまった。その著者の名前に「三島由紀夫」とあった。

 これがあの、わけのわからない自殺を遂げた小説家の文章であるということが、私は初め、到底信じられなかった。それなら、どちらが本当の三島由紀夫かを確かめたいと思って、最初に読んだのが『午後の曳航』である。負けた。これで私は完全に三島の虜になってしまい、手に入る限りの作品を、純文学も通俗小説も、小説も戯曲も、手当たり次第、読み漁った。そして、最後に『豊穣の海』四部作に辿り着き、これを読了したのである。

 そんなわけで三島は、私には数少ない「深馴染みの小説家」なので、この展示会はとても楽しかった。三島の肉筆原稿がたくさん飾られていたが、その筆跡は、ふっくらして穏やかである。明治の文豪たちの筆跡を見ると「漢文を書くことに慣れた世代の筆跡」だと感じるのだが、三島の筆跡は、間違いなく我々近代日本人――どんなに格式ばった時でも、基本的に漢字仮名まじりの口語体を書いて育った世代の文字だという感じがする。

 生前の三島は、今でいうマルチタレントの要素を持っていたようだ。だから、ジャーナリズムを飾った印象的な写真が数多く残っている。たとえば、ボディビルを始めたばかりの頃、貧弱な肉体を曝してブリーフ1枚で生真面目なポーズを取ったもの、金ピカ趣味の豪邸で、改造された肉体を誇るように半袖のポロシャツでくつろぐ姿、東大全共闘との討論集会に臨む笑顔の三島を同じ壇上から捉えた写真など、どれも一度は見た記憶のあるものだ。それにしても、映画の宣伝、週刊誌の劇評、文芸座談会、テレビ出演など、やれやれ、なんて忙しい人生だったんだろう!

 数ある写真の中でも『薔薇刑』は異色である。写真家・細江英公が三島由紀夫(主に裸体の)を被写体とし、コラージュの手法を用いて制作した、象徴的で実験的な写真集だ。この写真集について三島は「自分の精神が全く必要とされない、肉体だけが完全なオブジェクトになる喜び」を語っていたという。私は、展示の解説板でこの言葉を読んだとき、マルチタレントとして、ジャーナリズムに自分の身体と精神を提供し続けながら、三島が望んでいたものが少し分かったような気がした。
コメント
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