見もの・読みもの日記

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教養の再生のために

2005-03-16 18:54:26 | 読んだもの(書籍)
○加藤周一、ノーマ・フィールド、徐京植『教養の再生のために:危機の時代の想像力』影書房 2005.2

 2003年7月、東京経済大学の教員である徐京植(ソ・キョンシク)氏が、加藤周一、ノーマ・フィールド両氏を講師に迎えて開いた「《教養》の再生のために」という講演会が本書の中心となっている。
  
 コーディネーターの徐京植氏は、この講演会にノーマ・フィールド氏を招いた機縁として、彼女の著書『祖母のくに』(みすず書房, 2000)に収められた「教育の目的」を紹介している。これは彼女が1998年のシカゴ大学の入学式で、学生のために行った記念講演である。自由人として「リベラル・アーツ(教養)」を学ぶことの意味を、誇らかに宣言する。私もこの講演録を読んだときは強い感銘を受けた。こんな祝辞で迎えられるアメリカの学生たちを本当にうらやましいと思った。

 いま、「教養」の価値の下落は著しい。折りしも卒業・入学のシーズンであるが、教養を身につけたいと志して大学の門をくぐる学生がどれだけいるだろうか。迎え入れる大学の側も、どこもかしこも横並びで「実践スキルアップ」「即戦力養成」が”売り”の時代である。

 確かに日本語の「教養」には、食うに困らない金持ちの道楽か、社会に背を向けた世捨て人のすねごとみたいな響きがある。そういう「教養」なら排撃されてもしかたないかなあと思う。

 しかし、加藤周一氏の「文学、芸術の世界(=人文的教養)には差別を乗り越える可能性がある」という言葉は聴くべきである。もちろん同氏も言うように、「差別を助長する教養」というものもあり得る。しかし、本当のところ、どれだけ「情報」が世界の隅々に行き渡り、さまざまな「真実」が共有されるようになっても、人文的教養、すなわち自分と異なる他者への共感可能性が、十分に熟成されないかぎり、差別は決してなくならないのではないかと思う。

 だからこそ、徐京植氏がノーマ・フィールド氏を”挑発”した、「アメリカのイラク攻撃実現は、アメリカの教養教育、つまり、リベラルアーツ・エデュケーションの失敗を意味しているのではないか」という発言があり得るのだ。

 「職業としての学問」という課題が問われて久しい。だが我々は、同時に、「教養としての学問」をも、社会の中で守り育てていかなければならないのではないか。そんなことを考えた。
 
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