○神戸市立博物館 特別展『我が名は鶴亭(かくてい)~若冲、大雅も憧れた花鳥画(かっちょいいが)!?~』(2016年4月9日~5月29日)
ちょっと若冲を思わせる雰囲気の花鳥画を描く鶴亭という画家。気になってはいたが、まさかこんな大々的な回顧展が開かれようとは思ってもいなかったので、すごく嬉しい。そして、自分がいつこの画家を知ったかを振り返ってみたら、2008年に神戸市博の南蛮美術企画展で鶴亭の『芭蕉太湖石白鷴図』に出会っていたことが分かり、運命の糸を見出したようで、さらに嬉しくなってしまった。記録は残しておくものである。
Wikipediaに従って閲歴を述べておくと、鶴亭(1722-1785)は長崎生まれ。早い時期から聖福寺(黄檗宗)の僧となったが、師の没後に還俗し、熊斐に花鳥画を学び、京都、次に大坂に出て画業で生計を立てる。俗界にあっても禅の戒律を守っていたとのこと。40代で再び黄檗僧に復帰し、萬福寺塔頭の紫雲院第6代住持となり、松隠堂の輪番塔主も勤める。聖福寺の住持を請われたがこれを固辞し大坂に向い、ついで江戸に出る。下谷池之端において入寂。墓所は不明。木村蒹葭堂や池大雅との交流あり。伊藤若冲(1716-1800)の「先行者」のイメージが強いが、そんなに年齢は隔たっていないのだな。
会場は、1階ホールに『群鶴図屏風』六曲一双が飾られているのがイントロダクション。いろいろな姿態の13羽の鶴が描かれている。まずは名前の「鶴」にちなんで、ということだろうが、それほどインパクトのある作品ではない。順路に従って3階へ。鶴亭のエッセンスを知る枠組みとして、色彩豊かな黄檗絵画や南蘋風花鳥画(若芝、熊斐など)が展示されている。多くのお客さんは、鶴亭の作品と参考作品の区別がついていない感じがしたが、そもそも鶴亭という画家をそんなに知らないだろうから仕方ないか。
そして、ようやく鶴亭ワールドが始まる。細部は繊細、構図は大胆な彩色花鳥画。鶴亭は、若冲みたいにひとつの画面に多くの鳥を描き込むことはしないみたいで、だいたい1羽か2羽なのだが、その表情に感情が宿っている。左右の足で木の枝や石をがっちり掴んだ鳥の姿は鶴亭の特徴だそうだ。なるほど、力強い足の爪が目立つ。あと、首を延ばして様子をうかがうポーズとか、何か物言いたげに口を開けている鳥の姿も多い。
展示リストを見ると「個人蔵」「初公開」の多いこと! あらためて展覧会の企画者に感謝したくなった。しかし、図録を眺めていると、会場で見ることのできなかった作品が目につく。前後期の入れ替えがあるので仕方ないと思っていたのだけれど、神戸市博の展示リストには、けっこう飛び番がある。長崎の巡回展(終了)でしか出なかった作品もあるということか。悔しい。でも分かっていても、2~3月じゃ行けなかっただろうなあ。
鶴亭といえば彩色花鳥画で認識されているが、実は水墨作品がかなりいい、というのは事前にSNS等で聞いていた。確かに納得で、特に動きのある竹の図がいい。『風篠竹図』のような淡泊な作品もよかったが、金砂子を用い、近景の風竹に遠景の滝を配した『風竹図屏風』は、ちょっと劇画調。「ゴゴゴゴ」と滝や風の音を書き入れてみたくなる。
後半(2階)では、南蘋風/鶴亭風の流行を検証するため、再び同時代の画家の作品から見て行く。木村蒹葭堂は鶴亭に花鳥画を学んだそうだが、ずっと淡泊な雰囲気。参考資料として『蒹葭堂日記』(ほ、ほんもの~)が展示されていたのも嬉しかった。また、さりげなく若冲(これも風竹図)が混じっていて、くすっとする。池大雅の大作『五百羅漢図』(萬福寺)(5/1まで)は、京博『禅』の図録を見ていて、あれ?後期展示予定で私は見ていないはずなのに、なぜ記憶があるんだろう?と思ったら、こっちで見ていた。
晩年の鶴亭の「花鳥画(かっちょいいが)」の結晶として本展が推すのは『牡丹綬帯鳥図』(神戸市博所蔵)。異論はないが、やっぱり私は墨画のほうが惹かれるなあ。『四君子・松・蘇鉄図屏風』の乱暴力に近い、黒々した墨の塗り付け方。『墨梅図』のやわらかな濃淡、のびのびした枝振りも好き。金地に墨で描いた大作『墨梅菊図屏風』(個人蔵)はよくぞ展示してくれました。梅の老木の根元から多くの新芽がびっしりと立ち上がっていて、あふれるような生命力を感じる。
最後は下谷池之端で没したそうだが、もっと長生きしてほしかった。今回、見逃した作品では『紅白蓮図』(長崎展のみ、個人蔵)『藤花図』『蕃椒図』(ともに長崎歴史博物館)が見たかった。またいつか機会がありますように。
ちょっと若冲を思わせる雰囲気の花鳥画を描く鶴亭という画家。気になってはいたが、まさかこんな大々的な回顧展が開かれようとは思ってもいなかったので、すごく嬉しい。そして、自分がいつこの画家を知ったかを振り返ってみたら、2008年に神戸市博の南蛮美術企画展で鶴亭の『芭蕉太湖石白鷴図』に出会っていたことが分かり、運命の糸を見出したようで、さらに嬉しくなってしまった。記録は残しておくものである。
Wikipediaに従って閲歴を述べておくと、鶴亭(1722-1785)は長崎生まれ。早い時期から聖福寺(黄檗宗)の僧となったが、師の没後に還俗し、熊斐に花鳥画を学び、京都、次に大坂に出て画業で生計を立てる。俗界にあっても禅の戒律を守っていたとのこと。40代で再び黄檗僧に復帰し、萬福寺塔頭の紫雲院第6代住持となり、松隠堂の輪番塔主も勤める。聖福寺の住持を請われたがこれを固辞し大坂に向い、ついで江戸に出る。下谷池之端において入寂。墓所は不明。木村蒹葭堂や池大雅との交流あり。伊藤若冲(1716-1800)の「先行者」のイメージが強いが、そんなに年齢は隔たっていないのだな。
会場は、1階ホールに『群鶴図屏風』六曲一双が飾られているのがイントロダクション。いろいろな姿態の13羽の鶴が描かれている。まずは名前の「鶴」にちなんで、ということだろうが、それほどインパクトのある作品ではない。順路に従って3階へ。鶴亭のエッセンスを知る枠組みとして、色彩豊かな黄檗絵画や南蘋風花鳥画(若芝、熊斐など)が展示されている。多くのお客さんは、鶴亭の作品と参考作品の区別がついていない感じがしたが、そもそも鶴亭という画家をそんなに知らないだろうから仕方ないか。
そして、ようやく鶴亭ワールドが始まる。細部は繊細、構図は大胆な彩色花鳥画。鶴亭は、若冲みたいにひとつの画面に多くの鳥を描き込むことはしないみたいで、だいたい1羽か2羽なのだが、その表情に感情が宿っている。左右の足で木の枝や石をがっちり掴んだ鳥の姿は鶴亭の特徴だそうだ。なるほど、力強い足の爪が目立つ。あと、首を延ばして様子をうかがうポーズとか、何か物言いたげに口を開けている鳥の姿も多い。
展示リストを見ると「個人蔵」「初公開」の多いこと! あらためて展覧会の企画者に感謝したくなった。しかし、図録を眺めていると、会場で見ることのできなかった作品が目につく。前後期の入れ替えがあるので仕方ないと思っていたのだけれど、神戸市博の展示リストには、けっこう飛び番がある。長崎の巡回展(終了)でしか出なかった作品もあるということか。悔しい。でも分かっていても、2~3月じゃ行けなかっただろうなあ。
鶴亭といえば彩色花鳥画で認識されているが、実は水墨作品がかなりいい、というのは事前にSNS等で聞いていた。確かに納得で、特に動きのある竹の図がいい。『風篠竹図』のような淡泊な作品もよかったが、金砂子を用い、近景の風竹に遠景の滝を配した『風竹図屏風』は、ちょっと劇画調。「ゴゴゴゴ」と滝や風の音を書き入れてみたくなる。
後半(2階)では、南蘋風/鶴亭風の流行を検証するため、再び同時代の画家の作品から見て行く。木村蒹葭堂は鶴亭に花鳥画を学んだそうだが、ずっと淡泊な雰囲気。参考資料として『蒹葭堂日記』(ほ、ほんもの~)が展示されていたのも嬉しかった。また、さりげなく若冲(これも風竹図)が混じっていて、くすっとする。池大雅の大作『五百羅漢図』(萬福寺)(5/1まで)は、京博『禅』の図録を見ていて、あれ?後期展示予定で私は見ていないはずなのに、なぜ記憶があるんだろう?と思ったら、こっちで見ていた。
晩年の鶴亭の「花鳥画(かっちょいいが)」の結晶として本展が推すのは『牡丹綬帯鳥図』(神戸市博所蔵)。異論はないが、やっぱり私は墨画のほうが惹かれるなあ。『四君子・松・蘇鉄図屏風』の乱暴力に近い、黒々した墨の塗り付け方。『墨梅図』のやわらかな濃淡、のびのびした枝振りも好き。金地に墨で描いた大作『墨梅菊図屏風』(個人蔵)はよくぞ展示してくれました。梅の老木の根元から多くの新芽がびっしりと立ち上がっていて、あふれるような生命力を感じる。
最後は下谷池之端で没したそうだが、もっと長生きしてほしかった。今回、見逃した作品では『紅白蓮図』(長崎展のみ、個人蔵)『藤花図』『蕃椒図』(ともに長崎歴史博物館)が見たかった。またいつか機会がありますように。