見もの・読みもの日記

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韓国古蹟めぐり2008【第3日】慶州

2008-08-23 23:42:21 | ■アジア(中国以外)
 好天の戻った3日目。釜山から1時間ほど車で走って慶州へ。慶州は新羅の故地。ひなびた古都の面影がよく残り、前回の韓国旅行でいちばん好きだった町である。初めに向かったのは、金庾信(ユシン)将軍墓。小高い円墳のまわりを、獣頭人身の十二支神のレリーフが囲んでいる。文官装束で立ち姿であるところが、キトラ古墳の壁画によく似ている。



 続いて、新羅の太宗武烈王、金春秋の陵墓へ。小山のように大きな円墳で、周囲に小さな陪葬墓(?)が点在している。どちらの墓の前でも、丁寧に叩頭して拝礼する集団を見た。韓国は、まもなく祖先の墓参りの季節なので、それぞれの子孫を自認する人々だったのかもしれない。韓国人は、お墓の正面でなく、斜め前で拝礼するのが正しい作法と考えているそうだ。

 金庾信は金官伽耶国(金海金氏)の出身だが、のち、同国を併合した新羅(慶州金氏)に仕えた。金庾信の妹を娶ったのが、新羅の武烈王こと金春秋で、両人は、新羅による朝鮮半島統一の基礎を作った立役者である。7世紀東アジアの複雑な国際関係を背景に、日本の古代史ファンにもなじみが深い名前であるはずだ。私も、久しぶりに『日本書紀』が読み返したくなった!

 金庾信、金春秋を主人公にした歴史ドラマを作ったら面白いだろう。金春秋は、即位前の王子時代、唐、高句麗、そして日本(孝徳天皇の代)にも赴いているのだから、日中韓の合作ドラマもできそうである。もっとも、ガイドのチェさんの話によれば、いま、韓国は、古代国家「高句麗」の帰属をめぐって中国と激しく争ってるため、国民の関心を高めようと、『太王四神記』『朱蒙』など、高句麗ドラマが流行りなのだそうだ。だとすると、新羅ものは、当分ないかなあ。

 続いて、ガイドブックに「健脚向き」と書かれた神仙寺に向かう。ワゴン車の運転手さんは、かなり頑張って未舗装の細道を慎重に走ってくれたが、いよいよ車が進めなくなり、2キロほどの山道を徒歩で登る。現れたのは、10メートルを超える巨大な天然石を利用した石窟の跡。新羅で最古最大の磨崖仏群が残る。金庾信が山神から授かった神剣で岩を断ち割った(柳生宗厳みたいだ)とも、新羅花郎の修行場だったともいわれている。


※円の中は供養人の図。

 キサシクタン(技師食堂)と呼ばれるドライバーさん向けの軽食堂で、豆乳そうめん(?)の昼食後、堀仏寺址の四面石仏を見て、栢栗寺(ペクユルサ)へ。新羅時代を代表する薬師如来像が伝わった由緒ある寺だが、今は国立慶州博物館にあるという。と、ガイドのチェさんが尼さんに聞き込みをしていると思ったら、「皆さん、この寺の裏山にも磨崖仏があるそうですが、行ってみますか?」とのこと。ただし、正確な場所は尼さんも知らないという。尾根道には、軽微なアスレチック用具が据え付けてあり、健康増進に励む人々の姿が目についた。ガイドのチェさんが聞き込みを続け、通りがかりのおじさんの情報で、阿弥陀三尊仏の磨崖仏を発見する。降り出した雨を避けて、慌てて下山。最後は、遠願寺(ウォンウォンサ)址。緑したたる松林の中に、十二支神と四天王のレリーフを持つ東西二塔が立っていた。


※ここの十二支神は坐像。

 夕食は、骨つきカルビ焼肉。慶州の宿も温泉つき。明日は筋肉痛だろうなあ、と観念しつつ、就寝。

(8/28記)

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