大方の予想どおり、ヤンキースの優勝で終わった今年のワールド・シリーズ。もっとフィリーズが健闘するかと思っていたが意外と”もろい”チームだった。
ともあれ、松井選手のシリーズMVPは日本人初の見事な快挙。チームの勝利を優先する日頃の地道な取り組み姿勢に対して野球の神様が最後になって微笑んだみたいで”心からおめでとう”と言いたい。
それにしても地方の弱小球団とは違って、名門ヤンキースの「MVP」とは恐れ入りやの鬼子母神。
結局、第2戦の決勝ホームランと第6戦の6打点が受賞の要因だったが、よく考えてみると、この二戦はともに相手投手が「ペドロ・マルティネス」。
つまり、「MVP」の原因は「ペドロと相性が非常に良かった」ということに尽きるといっても過言ではなかろう。
というわけで、ここでペドロの分析をしてみるのも悪くはあるまい。
さて、このペドロ、通算200勝以上を挙げている大投手だがここ2~3年故障続きでまともに出場しておらず、引き取り先がなかったがようやく故障も癒えてシーズン途中にフィリーズから拾われた選手である。
ナ・リーグのチャンピオンシップシリーズのドジャース戦の第二戦に7回投げて無失点の好投で一躍ワールドシリーズの先発として起用されたものだが、40歳前後という年齢もあって、もはや下り坂という印象は否めない。
しかし、往年のペドロは凄かった。レッドソックス時代、丁度、松井がヤンキースに入って間もない頃にテレビ中継を度々見ていたが抜群の球威によってまったく手も足も出ない印象で、すっかり見下されていた感があった。
当時、マリナーズのイチローとも対戦したが、ペドロは試合後にバッターボックスのイチローの印象を聞かれてたった一言「Little」。
「単打ばかりで長打力が無いので怖くない」といった意味だろうが、歯に衣を着せない言い方だったのが妙に記憶に残っている。
これは余談になるが、イチローがマリナーズとの再契約を巨額の複数年契約で更改したときに、ある球団のオーナーが「馬鹿げている」と評したことがあるが、そのときに改めてホームラン・バッターの価値についてMLBと日本野球の違いを知る思いがした。
たった1球の失投で点が入るホームランの怖さは言うまでもないがMLBではホームランを警戒するあまり、ピッチャーは失投しないように極めて慎重に投げるのでその分、疲労が蓄積して早めに降板してしまう。
したがって、どんなに打率が低くてもホームラン・バッターは打席に立つだけで試合に大きく貢献しているという考え方、つまり「パワー信仰」が根強い。
一方、長打力のない打者に対してはその反対で極めて過小評価される。そういう見方が日本の野球とは大きく違うところ。
さて、話は戻って随分と球速が衰えたペドロをこれまでの仕返しとばかり見事に打ち込んだ松井だが、このシリーズの結果をみてどうもペドロは松井に対して「甘く見すぎたのではないか」という気がしてしようがない。
もちろん、あんな球速でもピッチングのうまさでヤンキースのほかのバッターは打てなかったのだから、ここはまずもって松井の打撃技術を褒めるべきだがそれにしてもという感じ。
ペドロは松井に対して過去の対戦で「簡単に討ち取っていた」というイメージがあまりにも強く残っていてそれが災いしたという気がしてならない。裏を返せば自分の衰えを直視したくなかったのだろう。
第六戦の試合前のコメントをみても、ジーター、A・ロッド、テシェイラあたりの主力には言及しているものの松井のマの字も出てこない。第2戦で決勝ホームランを打たれて当然ショッキングなはずなんだから意識してないはずが無く「警戒する」ぐらい言ってもおかしくないのにあえて無視した感じ。
結局、この”意地っ張り”が命取りになってしまった。
たとえば第6戦の2回、4番のA・ロッドには敬意を表したみたいに無死なのに簡単に四球で歩かせてしまい、あえて松井で勝負。
まるで、松井なんか簡単に討ち取れるという態度がマウンド上でミエミエだった。しかも再三、いい当たりをファウルされておりタイミングが合っていると分かっているはずなのに、勝負球はベルトあたりの絶好球。
その球を見事に本塁打した松井もさすがだが、ペドロの意地も相当なものでもしかすると根底に日本のスモール野球に対する蔑視があるのではという気さえした。
ともあれ、松井がそのおかげで「MVP」を獲得したのだから日本人として言うことなし!
松井のお父さんが「秀樹の野球人生で生涯最高の日」と感激されていたが、来年以降どの球団に所属しようと自信をつけた松井選手のさらなる活躍が楽しみ。
しかし、今年のMLBがこれでもう終わりか思うと淋しくてたまらない。