今年の九州地方の梅雨は例年に比べて早く終わったようで7月初旬から真夏の太陽がガンガンと照りつけている。
こう暑いと、日中からクラシック音楽を聴く気にもなれずオーディオ装置のスイッチを入れるのも億劫になる。それにエアコンに頼りきって部屋に閉じこもるのも不健康だし、こういうときは風通しのいい木陰でミステリー小説や好きな本でも読むに限る。
というわけで我がオーディオ・ルームの片隅では最近購入したDVDやCDが聴くことなく、たまる一方だが、土曜日(12日)は朝から曇り空で珍しく涼しい気配が漂って、体感的に気持ちがいい日。
カミサンは用事があって朝から外出、91歳の母は週3回のデイケア施設(8時~16時)ということで家中ただ一人になったので久しぶりにのんびりと音楽を聴く気になった。
まずは最近購入したクラウディオ・アラウのモーツァルトのピアノ・ソナタ全集。その中から早速、お目当の第14番ハ短調K457の第二楽章をピックアップ。
わずか9分前後の小品だが、これまでにも書いてきたとおりここにはモーツァルトの虚心坦懐な独白(と思うが)が吐露されているところが気に入っている。
おそらく失意のときに作曲されたと思うが淡淡と音楽が紡がれていきながら終盤のクライマックスのところで胸がキュンと締め付けられるような「切なさ」を感じるフレーズがある。このフレーズの処理が奏者によって違うのが聴きどころ。
アラウの演奏はきちんとした折り目正しさと情緒的な豊かさを織り込んだもので大家らしい風格が漂う。やっぱり購入して正解だったと自己満足の世界に浸る。こうなると本腰を入れて他のピアニストが弾いた同じハ短調(第二楽章)はどうだろうかと聴き比べたくなる。
早速、つかの間の競演会となった。
☆ クラウディオ・アラウ 録音:1974年 演奏時間:8分39秒
☆ ワルター・ギーゼキング 録音:1953年 演奏時間:7分37秒
☆ 内田光子 録音:1983年 演奏時間:8分11秒
☆ マリア・ジョアン・ピリス 録音:1990年 演奏時間:7分25秒
☆ グレン・グールド 録音:1973年 演奏時間:12分12秒
いずれも、歴史に名を刻むといってもよい大ピアニストばかり。このうち今なお存命なのは内田さんとピリスの二人だけ。
本命はグールドでこれまで耳にタコができるほど聴いてきたが、いまだにあのハミング(弾くときのうなり声)が耳にこびりついて離れない。真打登場は一番後回し。
ギーゼキングは脚本家石堂淑朗氏の一押しの奏者で、確かに立派な演奏だがやや録音が古い(モノラル)。しかし、聴けば聴くほど味が出てくる演奏。
内田さんは世界をまたにかけて活躍している日本出身のピアニスト。外交官令嬢として小さい頃からの外国暮らしで完璧な国際人。日本人の感性と外国人の感性が調和した「内田節」はいつ聴いても魅力的。
自分は指揮者の小澤征爾が嫌いなので彼女の活躍がことのほかうれしい!他のピアニストに比べて少し格落ちかなとやや心配したが、こうやって並べて聴いてみても十分伍していけるのがわかった。それにフィリップス・レーベルの録音の秀逸さには改めて唸った。
ピリスの演奏は鋭いの一言。先鋭的な感性がほとばしって闇夜の中でひと筋の光がキラリと輝きながら奥の方まで切り裂いていくような印象を受けた。
最後に聴き慣れたグールドだが、こうやって4人の後に聴くとえらくスローテンポ。それもそうだろう、演奏時間が12分にも及び一番短いピリスと比べると約5分も違う。
たった9分前後の小品なのに5分も違えば間延びしている印象を受けるのも当たり前。ここではじめて、これまで「至上の扱い」としてきたグールドの演奏に「これでいいのかしらん」と疑問符がついた。
たしかにロマンチック極まりない演奏なのだがこのテンポの遅さは他の演奏と並べて聴くといささか古さを感じさせるのである。
ひと通り聴いた後で最初に戻ってアラウを聴いてみて、この演奏が一番中庸をいっていると思った。残念なことにアナログ録音のため、演奏中かすかに<サーノイズ>が入るがこの豊かな芸術性に比べればほんの小さな瑕疵にすぎない。
なお、アラウのこの全集は曲目によってアナログ録音とデジタル録音が混在しているので始めから全集として企画されたものではなく、有り合わせでまとめられたものだろうが、デジタル録音に該当する曲目は、これもフィリップス・レーベルだけあって物凄く音質がいい。モーツァルトのピアノ・ソナタが好きな方は一度聴いておいてもハズレはないと思う。
結局、5人の演奏を聴いてみて簡単に誰が一番とは言えず、その日その日の気分によってという感じだったが、何といってもこれまで随分長かった(20年以上!)<グールドの呪縛>から解き放たれた(?)のは収穫だったかな。