経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

本を捨てると言うこと

2006年10月20日 | Weblog
本は時折すてる。捨てるということは、残すものを選ぶことでもあり、またそれらを厳選の意味で、ざっとでも読み返さなければならない。厄介な時間のかかる作業ではあるが、過去の想い出に浸れるという意味も含めて、実に、至福の時、有意義なことでもある。

 時代の進みが早いといっても、すべてが同じスピードで変化しているわけではない。今、本の捨てる作業をしていると、そのことがよくわかる。例えばパソコンやインターネットに関する本が実に腐りやすい。昨年買ったものは、ほとんど役に立たない。ソフトに関する。マニュアルやガイダンスの本など、とりわけその最たるものである。そもそもソフト自体が、毎年1回ずつ改定されるのであるから、当然と言えば当然である。かっては、事務所の大半を占めていた本類も、こうした作業を繰り返しているうちにたちまち減少し、今は本棚は7台に収まる。

ざーっと見回しても、その大半は小説である。パソコンやインターネットに関する本が、3冊しか残っていない。その中に、糸井重里さんの「インターネット的」(PHP新書」がある。これは、5年前、発刊され、購入したものである。捨てるつもりで、ぱらぱらと目を通した。10分も経たないうちに夢中で読み始めていた。そして今も、読み続けている。

 結局、この本は捨てられないな。そう思った。この類の本にしては、希有なこと。腐るどころか、ますます鮮度を増し、そんな感じを覚えた。

 要は、「インターネットにしろ、パソコンにしろ、HPにしろのログにしろ。そういったものは道具に過ぎない。道具の作り方とか中身とか、そんなことは知らないでも自由に活用できる時代になった」、ということ。それが題名の「インターンネット的」であるということ、と著者は、文明論の上にインターネットを据えて論じる。このインターネット的な人物の一人として、邱 永漢さんの事例を挙げている。彼は、糸井さんのHP「日刊イトイ新聞」に、寄稿原稿を送ってくるが、それが手書きでFAXを使っている。ここが凄い。何度も読んで頭に残っているところだが、改めてうなってしまう。強烈な衝撃を受ける。

 「俺もそう思いながら、実はいつの間にか、インターネットを誤解し、使われている」と後悔しきり。

 なるほど。いやさすが。この本は腐らないはずだ。経営の本でも、経済の本でもほとんどが腐る。だが中には、腐らないものがある。哲学の本、芸術の本。小説もおおかたは腐らない。だが中にはそうした腐りにくいものでも腐る。それは著者のせいだ。たとえば経営者の書いた本など、本が腐る前に著者が腐る。刑務所に入ったり、株が監理ポストに入れられたりする。腐ったものを食べたら食べた人に害が出る。時には伝染するだからそうした著者の腐る本は早めに捨てるべきだ。

 腐らない本は、本棚に置いておくだけでも、至らぬ自分の戒め、ときには支えの裏書きになるようで、気分が良い。それらを気が向いた折読み返す。読み返しに耐えられるほど、それなりの内容がある。あるいはその内容が、自分の至らぬところを突いている。動機はいずれかと見て、読み返している。

 あと30年ぐらい、これを繰り返し、残った本が、自分が生きてきての価とみて、数えてみるのが、楽しみである。