経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

インターネットという器

2006年10月23日 | Weblog
過ぎ去った過去に対しては先達や、専門家やら、うようよいるけど、将来(さき)に関しては、みな自分と同じ未経験者、同じ素人。そうなのだ。この意味は、明日は、他者に倣うことはない。自分で作るものだ、ということです。
専門家として威張っている人がいても、それは過ぎ去った過去に関する専門家。未来予測の専門家が、いるとしても、その実は、明日生きた経験も、死んだ経験もない、自分と同じなのだ。
 
このことを、他の何よりこの今が過去になるスピードが速いインターネットの世界でいえば、ほとんどの人は過去をフォロー、追っかけている。前から変化が恐ろしいほどの勢いでこちらへ向かってきているのに、背を向け、過去を一生懸命追っかけている。新しいインターネットの器に、過去を載せている。
ここまで考えて、私は、そうしたことを自分もやってきたことが、とても可笑しく、不思議に思えて、しょうがないのです。そしてまた、映画、「カサブランカ」の名台詞「明日?そんな遠い将来(さき)にのこと、わからないわ」、それに「哀愁」の「未来は、向こうからやってくる」、ぜいたくにも二つのセリフを思い浮かべたのです。
 
 インターネットの例で続けますと、インターネットは、過去、つまり出来あいの総菜を組み合わせて並べているにすぎない。それは果たしてインターネットの本来なのでしょうか。籠より、人力車が速い。人力車より、飛行機の方が速くうえにキャパシティが比較にならないぐらい大きい。つまりそうした道具としてしか、インターネットを見ていなかった。これまでは良いとして、これからの仕事ではない。
材料であれば、腕を振るが、他人のつくった総菜ではそれができない。

こう考えていったら、インターネットの使い道は、1に、ツールとしての使い道。2に、インターネットを人間の友達としての方向(ロボット化)、3に、何かを作るインターネットを、1つ、もしくは複数の材料、部品ととらえる。

今、上の3つはある。3つの中から、どれかを過去追いするか、3つ以外に、4,あるいは987,あるいは69293、あるいは18926793147あるのかも知れない。いまないから、先にないとはいえない。相手のスピードが速いから、追いかけるやり方では、永久に見つからないかも、あるいは追いつけないかも。だから、見つけて。待ち受けしない限りだめだ。では、どこに待ち受けするか。ここがこれから、です。

古い本ですが、糸井重里さんの「インターネット的」は、示唆に富んだ本。捨てるつもりを読み返してみて、改めて感服。そう思いました。