将来(さき)を見るためには、なにもオカルトテックな能力や占いなどが必要とは思わない。まず肝要なことは、顔を背けずこの「今」を直視することだ。
変化というのは、1に、変化しないものの存在、2に、時間軸で複数のポイントを押さえる、この2つを絶対条件として、つかめる。また変化には大きく分けて2つある。1つは、人家に干してある洗濯物や波の類(たぐい)、もうひとつは人家が立てられている敷地の土壌とか、海の水質の類だ。こうした区分が理解されていて、変化が把握できる。変化が把握できないと対応はできない。否、変化に関係のない対応は、そもそも「対して応じる」、その対象がないわけだから応じられるわけはない。
なんだ。また当然のことを言っている、と言う人がいたら、その当然のことを知らない人だ、と私はムキになって言い返したい。なぜならこの当然のことがほとんど為されていないからだ。風邪なのか、胃病なのかで、皮膚病なのかがわからないで、処方を施す医者はいない。ところが、自企業の現状も把握しないまま、病(問題)を押さえないまま、対策を高じたり、経営計画を立てたり、経営革新を計ったり、といった企業は実に多いのである。企業だけではない。街作りなど、ほとんど最初から処方メニューが決まっているのである。薬の在庫状況が、病名を決める。そんな馬鹿なことが現実として存在しているのである。
企業における経営計画もその主柱の経営戦略も、過去を鑑み、今を見据えて、来る将来を臨む、対応の最たるものである。
経営者の絶対資質とまでは云わないが、こうした当然のことがやれて、初めて対応が可能になる、少なくとも戦略的思考はできないことには、経営者は務まるまい。一喜一憂的な感情で、物事を判断したり対応を高じたりするような人、「今、良かれ」の判断しかできないトップも、さき(将来)に企業を潰す。
こうした読みを従業員はやっている。優秀な人ほどよく見ている。だから、おかしくなる企業では、いい人からやめていく。トップが、「我が社は少数精鋭主義」と言っている中身は、たいていそうである。
こうしたところを見て、この企業の本質的な問題点の在処を、まず押さえ、それに対する対応を、金がかからない、数河できることの順で、経営計画なり、経営革新プログラムに載せる。それが私の仕事である。
変化というのは、1に、変化しないものの存在、2に、時間軸で複数のポイントを押さえる、この2つを絶対条件として、つかめる。また変化には大きく分けて2つある。1つは、人家に干してある洗濯物や波の類(たぐい)、もうひとつは人家が立てられている敷地の土壌とか、海の水質の類だ。こうした区分が理解されていて、変化が把握できる。変化が把握できないと対応はできない。否、変化に関係のない対応は、そもそも「対して応じる」、その対象がないわけだから応じられるわけはない。
なんだ。また当然のことを言っている、と言う人がいたら、その当然のことを知らない人だ、と私はムキになって言い返したい。なぜならこの当然のことがほとんど為されていないからだ。風邪なのか、胃病なのかで、皮膚病なのかがわからないで、処方を施す医者はいない。ところが、自企業の現状も把握しないまま、病(問題)を押さえないまま、対策を高じたり、経営計画を立てたり、経営革新を計ったり、といった企業は実に多いのである。企業だけではない。街作りなど、ほとんど最初から処方メニューが決まっているのである。薬の在庫状況が、病名を決める。そんな馬鹿なことが現実として存在しているのである。
企業における経営計画もその主柱の経営戦略も、過去を鑑み、今を見据えて、来る将来を臨む、対応の最たるものである。
経営者の絶対資質とまでは云わないが、こうした当然のことがやれて、初めて対応が可能になる、少なくとも戦略的思考はできないことには、経営者は務まるまい。一喜一憂的な感情で、物事を判断したり対応を高じたりするような人、「今、良かれ」の判断しかできないトップも、さき(将来)に企業を潰す。
こうした読みを従業員はやっている。優秀な人ほどよく見ている。だから、おかしくなる企業では、いい人からやめていく。トップが、「我が社は少数精鋭主義」と言っている中身は、たいていそうである。
こうしたところを見て、この企業の本質的な問題点の在処を、まず押さえ、それに対する対応を、金がかからない、数河できることの順で、経営計画なり、経営革新プログラムに載せる。それが私の仕事である。