JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

髭のある埴輪

2021-08-05 20:39:20 | 徒然
 カンカン照りの夏日でした。
 真っ青な空、雲はほとんど見えません。
 2階のシャックに上がってくると、普段は自動的にLED照明が点灯するのですが、
2階の温度が高くなっていて、体温との温度差が検知できなくて、LED照明が役に
たちません。
 台風9号が来週には九州に近づく進路のようですが、台風の雨まで待たねばなら
ないのかもしれません。

 田中英道著「発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く」を読んであります。
 著者の田中英道さんは、歴史家には珍しい美術史家でもあるのです。
 美術史を研究されたので、美術的な観点から歴史的遺物を眺めると、意外なこと
に気づかれるようです。
 多く遺跡から発掘される埴輪を眺めても、見る目が違うと思わぬところに気づく
もののようです。
 我々がよく目にする埴輪でも、見る目が違うとへーそうなのかということになる
のでしょう。
 田中先生によれば、山高の帽子をかぶり、髭を蓄え、美豆良(みづら)と呼ばれ
る耳の後ろに垂れ下がる髪を束ねた埴輪がユダヤ人そっくりなことを発見された
そうです。

 同書よりコピー
 今のユダヤ人のよく見る姿にそっくりです。
 人物埴輪は北関東に圧倒的に多く出土しているそうです。
 埴輪は古墳時代のものです。
 田中先生の考えでは、その時代以前にユダヤ人の流れをくむ人たちが、日本列島
に移住してきたと推察されるのではとの説を唱えられております。

 歴史学、特に文字のなかった時代の歴史については、だれがどのような説を唱え
てもよいとされていると教えられました。
 要するに、どんな説を発表しても、それを否定する証拠がほぼないからだそう
です。
 時代が進めば新たな科学的根拠が示されるかもしれませんが、その時はその時
です。
 邪馬台国は九州にあるという説を唱えても、勝手なんですね。
 最近では邪馬台国を書き記した魏志倭人伝すら否定する説を唱える人まで現れて
おります。
 
 どのくらいの人数のユダヤ人が、どのような経路で日本列島にやってきたのかは
謎のままですが、こうした人物埴輪が多く北関東に存在するのは、ユダヤ人が
北関東に住みついたのであろうと思われます。
 田中先生の説では、京都をつくった秦氏一族がユダヤ系の人たちだったのではと
書かれております。
 
 最近では遺跡から出てきた人骨からDNAを抽出してゲノム解析して、現在の
日本人のDNA(臍帯血から取り出すらしい)との比較研究も盛んにおこなわれてい
ますが、ユダヤ人のDNAの痕跡は出てくるのか興味がわいてきます。


 
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