ここに59誌の創刊号があります。
1985年5月号が創刊号です。
最後のページに編集室からというのがあり、約1000
名の予約でスタートとあります。現在の電子版がどの
くらいの読者がいるかは分りませんが、1000名の
予約というのは上々のスタートだったのではないでし
ょうか。いまから30年前ですからいまおじさんOPにな
ってしまっている局も40台のバリバリ現役時代です。
基本的スタイルは今も変わっていませんね。
「おじゃまします」という著名な局のシャック訪問
記がなくなっていますが、各バンドごとにエディターを
配してバンド情報を伝えるのは創刊のときから一緒です。
しかし各バンドのエディターもすでに鬼籍に入られた
人やこの遊びから足を洗ってしまった人もいて時代を感
じます。
表紙は1983年10月のマルペロからの運用の写真がつか
われております。
裏表紙はフロンティア・エレクトロニクスのリニア機
の広告です。3-500Z×2のSB2000Xが\320,000と表
示されております。
今年の9月号までは頑張るというJA1ELY草野さんも体は
病をかかえ、はたまたJARLの理事就任を2度も拒否され、
そのショックもあり、これ以上の編集作業を期待するの
は酷でしょう。
今夜零時を回ったら見ることのできる7月号を含めて
あと3刊見ることができます。
この30年59誌とともにわがDX遊びも続いてきたと
思うとまた感慨深いものがあります。
さびしくはなりますが、これも人の世の常でしょう。
1985年5月号が創刊号です。
最後のページに編集室からというのがあり、約1000
名の予約でスタートとあります。現在の電子版がどの
くらいの読者がいるかは分りませんが、1000名の
予約というのは上々のスタートだったのではないでし
ょうか。いまから30年前ですからいまおじさんOPにな
ってしまっている局も40台のバリバリ現役時代です。
基本的スタイルは今も変わっていませんね。
「おじゃまします」という著名な局のシャック訪問
記がなくなっていますが、各バンドごとにエディターを
配してバンド情報を伝えるのは創刊のときから一緒です。
しかし各バンドのエディターもすでに鬼籍に入られた
人やこの遊びから足を洗ってしまった人もいて時代を感
じます。
表紙は1983年10月のマルペロからの運用の写真がつか
われております。
裏表紙はフロンティア・エレクトロニクスのリニア機
の広告です。3-500Z×2のSB2000Xが\320,000と表
示されております。
今年の9月号までは頑張るというJA1ELY草野さんも体は
病をかかえ、はたまたJARLの理事就任を2度も拒否され、
そのショックもあり、これ以上の編集作業を期待するの
は酷でしょう。
今夜零時を回ったら見ることのできる7月号を含めて
あと3刊見ることができます。
この30年59誌とともにわがDX遊びも続いてきたと
思うとまた感慨深いものがあります。
さびしくはなりますが、これも人の世の常でしょう。