社会はかわるし、かえられる!

格差社会の縮小めざして、誰もが安心できる社会をめざして!
 

困難な生活相談 その2

2015-06-01 06:15:48 | 日記

・・・・・前日からの続きその1 はこちら→

 隣近所の人たちが集まり自宅でささやかな葬儀が営まれた。私も葬儀委員長というほどの葬儀ではないが、お手伝いをさせていただいた。葬儀には東京から息子さんとともに、離婚した元妻も来た。
どのくらいの時と想いが過ぎ去ったであろうか。三十数年ぶりの家族水入らずであった。私の脳裏には、「幾星霜」という言葉が浮かんでいた。
「嫌いで別れたんでない。酒さえなければ、どんなに幸せだったかと思う」
「労働組合もがんばっていて、人のためにずいぶん走り回っていた。そうしたやさしさが私は好きだった。酒さえなければ・・・。あの時は地獄だった。」
「先日、息子から電話が来たときなぜか別れた夫のことを思いだしていた。その時、むなさわぎがした。」
なんと、離婚から幾星霜を経て、「想い」は続いていたのだ。
「お墓はどうするの」
「もう親戚はいないけど、父のお墓があるのでそこに眠らせてあげたい」との言葉を残して遺骨を持って帰って行った。
アルコールによって此岸(しがん)では地獄を経験し分かれてしまったが、夫婦の細い糸は残っていた。しかし彼岸でしか会えなかったことを思うと、これほど悲しいことはない。
 地域での生活相談でアルコール依存症は、もっとも困難な部類である。

 厚生労働省は、国内でアルコール依存症の治療が必要な人は約109万人と推計している。アルコールでトラブルを何回も引き起こしていることは、久里浜式アルコール症スクリーニングテストのなかの項目に「酒を飲まなければいい人だとよく言われる」とあるように、「依存症」の疑いとして診察を受けるべきである。しかし、「受けるべき」といっても一筋縄ではいかない。同じ調査で、治療に結びついている人は、約7%である。
こうした依存症の人の相談は、必ず酔っているときである。
「生活ができないんだけど・・・」
「どうして、収入は」
いろいろ話していくと、お酒を飲んでおり、呂律もよくない。さらに同じ話の繰り返しになっていく。
「お酒、飲んでますね」
「飲んでないよ」
「話し方も少しおかしいよ」
「飲んでない!」
このやり取りを何回かした後、
「少し飲んでるけど、酔っちゃいないよ」
「どうみても話せる状況ではないよ。飲んでない時にゆっくり話しましょう」
「だから酔ってないって! しつこいな。」
 こうした同じ話の繰り返しで、私から電話を切ることが多い。しかし、残念なことに、しらふの時には、いっさい連絡をよこさない。

 飲酒により攻撃的になれば、「議員だからといって威張りやあがって」などと取っ組み合いになることもあった。幸い家族が止めに入ったので事なきを得たが、議員という立場上、応戦はできない。単身での訪問は危険が多い。相手の状況の見定めが重要。
 また、繰り返し、ネチネチと電話攻勢をかけるケースも多い。これについては、「飲んでいない時に話そう」と電話を切るしかない。本人が「飲んだら相手にされない、飲まないと暖かく迎えてくれる」と自覚を促し、これを繰り返すしかない。

・・・・・続く(こちら→