今振り返ると上下水道関係の仕事は38年間やってきている、
自分では32,3年と思っていたが、先日経歴をたどってみたら38年間もやってた。
良く続いたものです、同窓生からはいつの間に土木屋にとか言われてましたが、建築と
土木の両方をやってるのですが、どうしても大きさから言うと土木が主となるので、
若い人で建築を目指してきた人にとっては、長続きしません、でも頑張った人は今は
立派に独立して設計事務所をやっておられます。
振り返ると一番初めは昭和45年(1970年)に枚方北部と言う所の下水処理場を
設計させてもらったのがそもそもの初めでした。(当然下請けでの協力会社として)
それから処理場の水槽関係の沈砂池とか水処理場とかに絡んだ建物も設計しました。
46年から一気にこの関係の仕事が増えました先日書いた神戸の新多聞は46年から
47年にかけての仕事でした。
48年には下水から離れての泉北ニュータウンの計画が入り、私と親友の事務所との
合同で「和泉陽光台開発計画」として、大きな団地の模型迄作り、発表会まで行われ
ましたが、親元の会社が計画を中断しために実現しませんでした。
この時作家であった、石原慎太郎氏がゲストで来られるというイベントでした。
このような楽しい計画も入ってましたが、下水関係の仕事は次々とやっていましたので
大変忙しかった、今振り返るとこの年、処理場関係は6か所も設計していました。
全国的に下水処理場関係が国を挙げての仕事だったようですので48年49年は大きな
物件を多く手がけました。
写真は松山の本館棟(47年から48年にかけて)