11/3の新月に、樫や夏みかんの苗木を大きめの鉢に植え替えるのを心待ちにしている。
その日はヨシも、より大きい容器に植え替える。
それで適度な水深を得られれば、ヨシの下でメダカも泳げる。
うう(感動)、稲よりも前からの、日本の原風景なり。
あとは、青しその種を採る。
今年の春に咲き誇った花大根の種を、先日、野菜くず置き場に捨ててしまった!
べ、別に 土中に大根ができないから、食べられない植物は植えない、なんてわけでは。。。
ちょうど過去の写真を見ていたら、花大根のある安寧な庭が。

あああ、、ちょっとは種を蒔いておけばよかった。って。
でも保険というか、野菜くず置き場に撒き捨てた種は、きっと自然に発芽するだろう。
その芽を採って植えれば、来春に麗しさを添えることができる。
そうやって衝動に任せて、ああだこうだと思い図るのもまた、人の自然でがんす。
しかし、先の写真は今年の春なのに、ずうっと昔に感じる。
この間(かん)に赤ちゃんがやってきたからか。
確かに月日の過ぎ往ぬるのは年ごとに早く感じるけれど、
下の写真なんて、いつの時代かって思うし、


顔まで違って感じるけど、たぶんどちらも日野に来てからで、2年以内。
やっぱり人はナァ、季節ごとに、風邪から蘇生する度に、旅のたびに、心身生まれ変わる。
芯は変わらない。むしろ芯に近づいてく。赤ちゃんから大人にかけて自我に覆われてきて、
そこからまた自我をはずしながら、大自然の自分を識る。
○(まる:赤ちゃんの自由)から、六角形の大人の自由を培っていく。
そうやって人は変化するけれど、足跡、自分の歩いてきた道はのこって、
行く末に影響を持ちつづける。今この一瞬の行動、選択は未来への種になるから、
ぶう垂れて自棄にならずに、何かしんどい時であれ、タンタンと、すべきことを
繰っていくことが大事だ。やる氣に関わらず、掃除をすれば部屋は綺麗になるのだから。
残り稲穂の曲線の佇みが感動的に愛おしい。
本物と、自然を模倣した作品とは、レベルとラベルの差がある。
願うらくは、作品とは、人の自然にあらむことを。
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何だか良い響きですね。
ワクワクしてきました~(^ν^)
王子は表現が上手なので、私の中のボヤ~としていた部分がピン!と目覚める感じです。
自然体な子供を横目にバッチリポーズが面白い~(*^o^*)
球体を並べて、圧縮したり膨らませたりすると
蜂の巣(ハニカム)の六角形の、安定した構造になります。
僕の表現のほとんどは過去の見聞の引用や組み合わせ
ですが、自分のリアルと共鳴したときに
ぽんと出てきます。
何でも頭で考えがちな大人、意識する間のなき自然体を
めざしています。