・その人を好きな理由が言語化される際、無意識的な嘘となる。
すなわち理由はでっちあげられる。
・インプットからじゃなくて、何でもよいのでアウトプットから始めなきゃ。
そうすれば呼吸するように勝手にインプットもなされていくものです
・二十歳を馬鹿にする人は二十歳のとき馬鹿だった人です。
・威圧的な態度(怒鳴る、など)をする人は威圧的な態度に弱い人、
ヤンキーの恰好をする人はヤンキーが怖い人、
オープンカフェでわざわざ読書をする人は知性にコンプレックスがある人‥
・皆さん、おばさんはおばさん、老婆は老婆としかみえないらしい。
彼女たちが産まれたときの父母の笑顔や、御赤飯を炊かれて戸惑っている思春期を、
彼女たちのなかに見ない感覚が、どうも僕は苦手だ。
・それが比較可能な仕事であったなら、それは必ずしも自分がやらなくてもよいと考えるだろう。
そうではないから、それぞれに 探求しているのだと僕(たち)は思うのだけど
・一般知を捏ねくり回したら、それなりに立派そうな成果がでますが、それは研究ではなく編集ですね。
自分の目で見る、ということは、一般知からではなくプライベートから入っていくということです。
・制作や研究において最も重要なのは、自分のプライベートと切り離さないことである。
(横山所感:仕事もまさに、プライベートなものです。自分の視点でしか真の貢献はできない)
・所作が大きければダイナミックとみる見方は、
原色を塗りたくる画家を色彩感覚が高いと評することと同様にナンセンス。
(横山:派手でなければ感じられないのは、かえって鈍い証である)
・理由は暴力を正当化してしまう。
(横山:「子どもが刺されると危ない」と決めれば、蜂はたんたんと虐殺される。
しかしその蜂とその状況が本当に危険かどうかを探る必要がある)
・「殺されたくなーい」は兵隊として役に立つが、
「殺したくなーい」は非国民として人知れず自国にて獄中死かな。
・日本のぬいぐるみもまた能面顔(嬉しくも哀しくもみえる)が多い。
対照的なのがミッキーマウス。この笑顔は電車等で目が合うたびに
反射的にニッコリするアメリカ人の習性と同様、
「私は敵ではありません」という記号的な表明であり、その背後には不信がある。
(本文は、芸術人類学者 中島智氏のツイッターなどより引用)
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