ノーリスクハイリターンな備えは、
いつものバッグの中に、大小のふろしきを1枚ずつでも
忍ばせておくこと。
あれば、何かと使う機会が生まれましょう。
準備しておくと、それに見合った状況が発生するものです。
今日面白かったのは、アサガオの本葉が出た程度の鉢に
あらかじめ、ツルを巻くための細い竹を立ててあるのですが、
他でもないその限られた場所に、別のツル性の植物が生えてきていて、
アサガオよりも先に、ツルをくるくると巻いて伸びているのです。
周りにその植物はなくて、アサガオの鉢に棒を立ててある所の
脇の、アスファルトとブロック塀の隙間からぴょっこりと萌え出てきている。
あら不思議、あらあらかしこ。
同じ風に、カメラを持っていると、シャッターチャンスが訪れるもの
かもしれません。
すると、風呂敷をただ携帯しているだけでね、
風呂敷って、物を包みはこぶものですから、
その中にくるまれてくくられる中身が、
いずこからか現れてくる可能性が、
手ぶらでいるよりもふえるのじゃないかと。
器は中身を誘う。
池があるから蛙が来たる。
そして、中身は器を高める。
蛙が来た池は豊かになる。
蛙が虫を食べて落とした糞を栄養に水草がふえて、
水草を食べる小エビがふえ、小エビを食べる
どぢゃうもふえて、それを捕える子どもが騒ぐように。
ですから、形を整えておくことはとても大切で、
いくら心の中でぶつぶつ念じていても、
部屋は片付かない。
手足をうごかして部屋を掃除することによって
心もすっきりする。
器はハード面のこと。
中身はソフトで、目に見えない心もそれに当たる。
心を変えるには場を変えること。
そして相互に高め合う循環が起こるととてもよいが、
そんなに順風ばかりとは限らない。
なぜなら、進化のためにはいったん底に落ちて死にかける必要があるから。
スランプや半死に陥る前に、すすんでリセットすることが
片づけ、掃除、整理整頓の類なのかも。
だいたい、その場の容量、キャパは決まっている。
日蔭の池では、育つ水草の量も限られる。
もしも水草をふやし、水を浄化したくあるなら
蔭をこさえている樹を剪定して、お日さまを入れなければならない。
安定しているところに新規参入は難しい。
いったん壊して、必要な引退や移動を起こすことで
隙間が生まれ、そこに新たしき風や種が入る。
そういう意味では、今のバッグに風呂敷を足すだけとはいいながらも、
風呂敷を足すならば、代わりに引き算するものがあるかもしれない。
蒼天にたゆたう何かは、穴があれば入りたいわけで、
そのためには満員バッグでは難しい。
本棚にも、バッグにも、お腹にも、納戸にも、スケジュールにも、
隙間をもたせよう。
きっちりと隙間なく予定を埋めるのは効率的のように見えるが、
余った時間だからこそ相手が伝えてくれる大切なことだってある。
ぼーっとして、目的なく過ごす道や時間が
実は非常に大切なのではないかな。
ぶらぶららぶらぶ病の僕は、そう思っている。
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