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ここ数日、家族がリレーのように
風邪ひいていましたが、
幼稚園や学校を休ませたり、
よく寝たりするうちに、だんだん
全体的に復活してきました。

特に子どもは、風邪などでうなされて寝込むことで、
復帰した後は、何故だかふしぎと進化していることがある。
今まで上手く言えなかった言葉がスラスラ言えたり、
自転車の乗り方が上手くなるなど、一見脈絡ないのですが。

僕思うに、
せきが出るから咳止め、熱が出たら解熱剤、というように
すぐに症状を抑えるのは好ましくないと。
せきと共に痰が出るなら、そういう老廃物はどんどん出したほうがよいし、
熱も免疫力を発揮するために必要なこともあるから、
よほど極端なときは別だけど、

体力的に大丈夫そうなら、自然の経過で治すことが
結果的に最も早くて確実だ。

元の話にもどると、
そうやって、時間がかかってでもよく寝転がって
悶々とした時を過ごすというのは、しぜん
過去を省みたり、未来をあれこれ検討したり、それ以外に
普段ならいちいち思考しないところのことを
微細に哲学する時間となり得る。その意味では病氣は
休息と内省へのギフトとすら思える。

考え尽くすことによって、自分がはまっていたちっぽけな
先入観や偏見や取り越し苦労などの壁が溶けることにより、
今までできなかったことができるようになる、そんなことかも
しれない。

それと、現代人、少々体が本調子でなくてもおいそれと
仕事を休むこともままならないために、かえって
その力の入らない体でもきちんと結果を出せるやり方を編み出すことにつながる。
元氣なときは腕力で押し切っていた、実は効率の悪いやり方を
刷新するチャンスなのだ。

ごみが集まるのはA地点なのに、ごみ箱はB地点にあったとする。
パワーにあふれていて、むしろ走りたい心意氣があるならば
ごみを持って、離れたごみ箱まで走ること、往復することは
ちっともストレスじゃなかったかもしれないが、
風邪を引いてたら、迷わずゴミ箱もA地点に寄せるだろう。

そして、復活した後も、ゴミ箱が近くて便利だなあと
きっと思うわけだ。他の人も助かる。そして時間ができる。
意図的に、走るトレーニングとゴミを捨てに行くことを
セットに仕組んでいるならその限りではないが、
大丈夫だと思っていても、潜在意識では「面倒だけど、まいっか」
と先送りにしているだけの可能性もあるから、

実は、病氣のときこそ、最も意義深い仕事ができるのだ。

体がだるければ、無駄な動きはしたくないから、
効率と結果に心が注がれる。

そのように作られた合理的なシステムを、
げんきなときのスピードでこなせば、とっても
早く済んで、命ともいえる時間を大切に生かせるのではないかと思う。

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