十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

絶対一元の自己世界

2016年01月07日 | 生命

自己生命図を形見のつもりでアップしましたが、補足します。
佛教に馴染みの少ない人はあの図で分かりやすかったのではないかと思いますが、佛法としては内山老師の図が正しいのです。

内山老師は正法眼蔵の味読会でいつもされていたことは、初めての人もいるだろうからと前回の話を復習し同時に佛法というものをそれこそ耳にタコができるほど話されました。

「あらゆるものは自己が生命体験するところにあり、自己はそのあらゆるものを体験しつつ生きている」ということで図にすると老師の図になります。

私の図は分り易いようにと生命を分けてしまっていますが、生命は絶対一元、分けようがないものなのです。分けたところに生命はありません。しかし、分けなければなかなか分かりません。

分かったところでそれを忘れて絶対一元の生命を生きるということでなければならないのです。

そこでもう一度理解を深めてもらうために簡略化した図を作りました。

分けて考えると分り易い。真実世界とは物の世界です。自分がいなくなった世界と考えると分かりやすいかも。そこに自分をおいてみる。五感が働いて周りの状況が分かってくる、そこに把握された世界の展開がある、過去の記憶も呼び出して頭の中にイメージを作る、心の世界である。

物の世界を今、五感でサーチしているそれが現実世界である。

しかし、生命はそれをバラバラに把握しているわけではなく今自分の体験としているのです。生命が働いているから唯識とも唯心ともいうのです。この唯心は哲学における唯物論の対概念ではありません。物心一如の唯心です。佛教は自己生命が根本ですから、心の働きを外す訳にはいかないのです。

下図では真実世界は鏡(生命)に事実世界として映っていると理解すると分かりやすのではないかと思います。

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